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古本夜話598 伊藤整『ロレンス篇』、『世界文豪読本全集』、春山行夫

昭和十年代初頭の健文社によるロレンスの伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』を始めとする作品の翻訳は、そのまま三笠書房の同十一年から刊行の『ロレンス全集』へと継承されたと思われる。だがそれは『チャタレイ夫人の恋人』を含め、五巻ほど出たところで中絶してしまったようだ。

その他にもやはり同時代に第一書房からもロレンス書が出されていて、それは同じく伊藤整による『ロレンス篇』で、『世界文豪読本全集』の一冊として、昭和十二年に刊行されている。これは冒頭に、伊藤による伝記と作品紹介を兼ねる「ロレンスの生涯とその芸術」を置き、以下は「春」「夏」「秋」「冬」という四つの章立てで、ロレンスの作品からそれに照応する部分を、自らの翻訳で引用抽出して編んだアンソロジーといえよう。前回の『恋愛論』も優れたものだったが、こちらは小説を主として編まれているので、ロレンスの異なる肉声が聞こえてくるようなアンソロジーに仕上がっている。きっとこの一冊は読者にとって、まだ未知のロレンスという作家への手引き、チェチェローネの役割を果たしたにちがいない。

それは新旧の混在はあるけれど、『ロレンス篇』のみならず、この『世界文豪読本全集』が目論んでいたひとつのコンセプトだと思われる。この予約システムで昭和十二年に刊行された『世界文豪読本全集』はタイトルからして凡庸な印象を与えるためか、ほとんど言及されることもないので、ここでその十二冊をリストアップしてみる。例によって、ナンバーは便宜的なものである。

1 本田喜代治 『ルッソオ篇』
2 高橋健二 『ゲエテ篇』
3 井汲清治 『エウゴオ篇』
4 中山省三郎 『ツルゲネエフ篇』
5 神西 清 ドストエフスキイ篇』
6 米川正夫 トルストイ篇』
7 阿部六郎 『ニイチェ篇』
8 深澤正栄 『ウエルズ篇』
9 河上徹太郎 『ジイド篇』
10 伊藤整 『ロレンス篇』
11 佐藤正彰 『ヴァレリイ篇』
12 佐藤 朔 『ボオドレエル篇』

実は10の『ロレンス篇』の他に、1、3、6、8、9と合わせて六冊を古本屋の均一台から拾っている。当初これらは第一書房がそれ以前に刊行していた山崎斌編『島崎藤村文学読本』などの「文学読本」シリーズを模したもので、「文豪」の選択にしてもちぐはぐであり、当時のルーティン出版の一種だと見なしていた。それに林達夫他編『第一書房 長谷川巳之吉』日本エディタースクール出版部)にも何の言及もなされていなかったからでもある。
第一書房 長谷川巳之吉

ところが六冊を点検してみると、3と8と9には「花と果実」という「月報」がはさまり、それらは配本順のナンバーである10、6、2が付されていた。その10にはルイ・アラゴン「ユウゴオとリアリズム」、フィリップ・スーポオ「美学者としてのボオドレエル」、6にはジャニース・デルペツク「パリで会つたウエルズ」、2には伊藤整「ジイドと日本文学」が掲載されていた。「月報」の「花と果実」というタイトルに加え、訳者を無記名とするこれらの論稿や伊藤の寄稿から考えれば、この『世界文豪読本全集』は春山行夫の企画編集によるものと見なすしかなかった。それに伊藤は春山の『詩と試論』の寄稿者だったし、3や12の井汲や佐藤は『三田文学』の関係者、8の深澤は第一書房パール・バックの翻訳者で、いずれも春山の近傍にいたはずである。

ただ「文豪」の新旧の選択から考え、すべてが春山の企画と断定できないにしても、「新」の部分は彼の意図に沿った訳編者が選ばれたと見ていい。残念なのは肝心の『ロレンス篇』に「月報」が欠けていたことで、誰が寄稿していたのか、どのような論稿の訳文が収録されていたのか、それらが気にかかるところでもある。

春山は昭和十年に長谷川巳之吉から『セルパン』編集の要請を受け、第一書房に入社している。春山は「私の『セルパン』時代」(『第一書房 長谷川巳之吉』所収)において、、次のように述べている。『セルパン』だけの編集を頼まれただけのアウトサイダーだったが、『セルパン』の新しい読者層に向けての出版物の開発は自明の理でもあったので、出版部も兼任することになり、持ち込み原稿窓口は長谷川と春山の二つになった。「もちろん決済は長谷川氏がしたが、私の窓口は風通しがよいので、よそでは難色を示されるような新しい内外の文学者や、まったく無名の新人の原稿があつまった。これはわが国の出版界では新しいシステムであった」。

しかし春山の「窓口」を通った本に関して、彼はバール・バックの『大地』ヒットラー『我が闘争』を挙げているだけで、その他のものに言及していない。それは彼の厚生閣時代も同様で、本連載108において、小谷部全一郎の『日本及日本国民之起原』がモダニスト春山による編集であることを指摘しておいたが、それ以外の明細は判明していない。唯一の春山論である小島輝正『春山行夫ノート』(蜘蛛出版社)でも、それらの春山の企画、編集書にはほとんど注視がなされていない。だがそれらは出版史から見れば、看過できないので、後にまた言及したいと思う。
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なお私もかつて「第一書房と『セルパン』」「春山行夫と『詩と詩論』」(いずれも『古雑誌探究』所収)を書いていることを付記しておこう。
古雑誌探究

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