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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話604 千倉書房、白柳秀湖、籠山京『勤労者休養問題の研究』

前々回の大畑書店の他にも、日本評論社から独立して出版を始めた者もいて、それは千倉豊である。彼は『出版人物事典』にも立項されているけれど、美作太郎に語らせたほうがいいだろう。美作は千倉の写真を掲載し、『戦前戦中を歩む』の中で、次のように述べている。


 私が入社した年の翌年、千倉豊が入社したきた。今日の千倉書房の創始者である。六尺ゆたかの巨軀で、狭い会社をのし歩くという風であった。福岡の出身で、快活で明るく、営業・宣伝を担当していたが、編集室にもよく顔を出した。金融恐慌で倒産した鈴木商店から転じてきたといわれ、どこか実業家くさいところのある変わり種であった。千倉は、それから二年後の一九二七(昭和四)年に独立して千倉書房を創業し、在社中に親しくなった著者を中心に『現代商学全集』(三十八巻)を刊行して、おくればせに円本ブームに参加することになる。この全集は、千倉が日本評論社在社当時にすでに企画されていたものであるが、これを自分の社にもらい受ける結果となった。千倉は、河合栄治郎著『英国労働党のイデオロギー』を創立早々に出版しているが、河合教授との縁はそれきりになった。千倉は白柳秀湖と親交があり、その著書を出版し、次第に経済面で独自の性格を発揮するようになった。

実は最近、浜松の時代舎で、昭和十三年に千倉書房から出された白柳秀湖の『定版民族日本史』全五巻を購入したばかりだが、どうして千倉書房が版元であるのかの理由がここに示されていることになる。それはおそらく白柳が昭和四年に日本評論社から『財界太平記』と『西園寺公望伝』の二冊を続けて刊行している事実を考えると、白柳も千倉が「在社中に親しくなった著者」にちがいなく、『千倉書房総目録(昭和四年〜昭和六十三年)』によれば、戦前だけでも白柳三十五冊に及んでいる。
定版民族日本史

この旺盛な千倉書房の出版活動は白柳の著作に限るのではなく、全体に及ぶもので、まさに美作がいうところの千倉の「企業心にたけたボスの風格」によっているのだろう。『同目録』に掲載された千倉書房の創刊年から昭和十年までの新刊発行点数は四百三十点で、年平均六十点以上であり、毎週一点を出していたことになる。千倉書房は「商科大学の解放の旗幟のもとに」創業したとされるが、その出版分野は文学、歴史、政治などと多岐に及び、千倉の並々ならぬ出版人としての力量を彷彿させる。優秀な編集者も在籍していたことだろうし、ちなみに本連載601 でふれた瀬沼茂樹も東京商科大学卒業後、千倉書房に入り、『現代商学全集』(ママ)の編集に従事していた。これも美作が語っていることだが、日本評論社の浅野武人という編集者も千倉書房に移ったとされる。
現代商学全集(『商学全集』第18巻、『銀行経営論』)

このような企画や編集事情は通常の出版社社史であれば、そのアウトラインだけでもたどることができる。だが『同目録』はタイトルとおりのもので、その内容への言及もない、まさに出版目録なのである。またこれも戦前の出版目録によく見られることだが、出版年不明、刊行されたのかわからないものも八十点近くに及び、千倉書房のような商業書を主とする出版物の収集の難しさを伝えている。

そのような一冊が手元にあり、これは『同目録』に記載されていない。それは籠山京の『勤労者休養問題の研究』で、昭和十九年九月の刊行である。菊判上製三二九ページ、初版二千部、定価五円六十銭、これに戦時下税と見なしていい特別行為税相当額二〇銭がかかり、売価は五円八十銭となっている。高定価の専門的研究書が二千部も刊行されるということ自体が戦時下の出版状況と関連しているはずで、このタイトルからして、本連載592でふれた東洋書館の「労務管理全書」を想起してしまう。

しかし考えてみれば、大東亜戦争下にあって、よくぞこのようなテーマの一冊を出したと顕彰すべきかもしれない。著者は「序言」で、「休養」は勤労が生産であるに対し、不生産な消費だと考えられてきたと始めている。だが勤労は疲労につながり、疲労の回復は休養を必要とするし、それゆえに「休養」と勤労は歯車の両輪の関係にある。そして「この決戦の最中に、正当な勤労の為の休養をば、発見し、反省せしめられるに到つた」。それがここに論じられている勤労者の休養問題ということになる。そのような主旨のもとに、「休養」の基本的解釈、これまで無視され、犠牲にされてきた実態がレポートされ、戦時下における具体的な休養確保の手段と方法が考察されていく。深読みすれば、戦時下における「怠ける権利」の提起のようでもあり、それはマルクスの娘婿ポ−ル・ラフォルグが著した同名の『怠ける権利』(田淵晋也訳、人文書院)を想起させる。
怠ける権利

医学博士とある籠山の立項が『現代人名情報事典』に見出されるので、それを引いておく。

現代人名情報事典
 籠山京 かごやまたかし
 衛生学者(生)長崎1910.11.15…… (学)1934慶応義塾大学医学部(博)1938医(経)1949満鉄衛生試験所所長、47中央労働学園教授、52北海道大教授、68退官後、上智大学教授、81名誉教授(著)1980《怠けのすすめ》、82《最低生活費研究》、83《貧困と人間》、84《国民生活の構造》

著書を見る限り、戦後になっても『勤労者休養問題の研究』のモチベーションをずっと手離さず、『怠けのすすめ』に表象されているように、それを持続させてきたと見なせよう。だがもはや時代は戦時下ではなく、一九八〇年代は消費社会が隆盛を迎えようとしていた。とすれば、消費社会下での「休養」の問題はどのように論じられたのであろうか。
怠けのすすめ


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