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古本夜話614 ヘンリー・フォード『世界の猶太人網』と包荒子

前回、長野敏一が挙げたユダヤ人問題書として、ヘンリー・フォード『世界の猶太人網』があったことを示しておいたが、世界の自動車主のフォードこそがユダヤ陰謀論の冠たるイデオローグだったのである。

本連載160などでふれた宮下軍平の二松堂書店から、その包荒子訳『世界の猶太人網』は刊行されている。それは昭和二年のことで、フォード紹介の当たり年だったのか、やはり同年にはフォードの自動車ビジネスサクセスストーリーとでもいえる『今日及び明日』(加藤三郎訳、大日本雄弁会)、その日本版として有川治助『ヘンリー・フォード 人及びその事業』(改造社)の出版を見ている。ユダヤ人陰謀論に関して、前者では言及されていないけれど、後者には「ユダヤ人排斥」という一章があり、「ユダヤ禍」や「米国におけるユダヤ人の諸悪」が論じられている。

有川によれば、フォードはユダヤ人がアメリカにおいて、社会的にいかなる勢力を有し、どのような害毒を社会に流したかを研究したという。その結果、金融業だけでなく、ユダヤ人と禁酒法、映画、裁縫業、野球との関係が明らかになり、酒の密売、映画製作の独占、裁縫業の寡占化による既製服の値段の吊り上げ、野球の興行のための堕落といった「ユダヤ人の諸悪」が挙げられることになる。「社会への奉仕を以て生命とするフォードと、金銭的利益以外何もないユダヤ人との間には、渡るべからざる溝渠」があるのだ。

それをさらにあからさまに露出しているのは『世界の猶太人網』で、口絵写真として真偽の定かでない「第二回シオン会議の光景」が掲載されている。これは『猶太百科辞典』を出典とし、一八九八年八月にスイスのバーゼル市で開催されたとのキャプションが付され、またその前年の第一回に有名な『シオン議定書』が発せられたとある。

そして「原書の緒言」でフォードは次のようにいっている。

 猶太問題が合衆国に存するのは既に年久しいことで、時に深刻に勢力を振つて、甚だ憂慮すべき結果に立ち至らんとしたこともあり、又国家の危機を醸成せんとする幾多の兆候を示したこともあつて、猶太人自身は能く之を知つて居るが、而かも合衆国人は之れを知らなかつたのである。
 猶太問題とは啻に主知の事柄即ち財政及び商業上の支配、政権の壟断、有らゆる生活必需品の独占及び亜米利加言論機関を意の儘に操縦すること等のことのみに関する問題たるに止まらないで、現今に於ては文明に実生活界にも侵入して居るのである、爰に於て乎該問題は全亜米利加人の死活問題となつた次第である。

続けて同書の中で、フォードはユダヤ人の性格と営利生活、ドイツの反動、ユダヤ問題の意義と事実、アメリカにおける反ユダヤ主義の動向、ジャーナリズムにおけるユダヤ問題の出現、ユダヤ世界征服綱領と『シオン議定書』などを論じていく。その過程で、前回のゾンバルトの『ユダヤ人と資本主義』も言及され、訳者の長野敏一もユダヤ問題に目覚めたのは昭和初期だったようなので、おそらくフォードの『世界の猶太人網』にも大いなる影響を受けたのではないだろうか。

この訳者の包荒子は安江仙弘のペンネームである。これは日本におけるユダヤ問題を包括的捉えた古典と称すべき宮沢正典の『増補ユダヤ人論考』(新泉社、昭和五十七年)で明らかにされている事実だが、宮沢は安江のプロフィルも明かしている。それによれば、安江は東京外語学校陸軍委託学生第一期生としてロシア語を習得し、一九一八年から二〇年まで、歩兵第五旅団司令部付でシベリアに赴任し、二一年にはユダヤ問題実地研究のためにパレスチナへ派遣され、三八年には関東軍大連特務機関長となっている。このような経歴からわかるように、安江は陸軍内部のユダヤ問題専門家であったし、日本で最初に『シオンの議定書』を公開したのも彼であり、それはやはり包荒子名での『世界革命之裏面』(二酉社、大正十三年)に掲載された。これも前回の長野がユダヤ人問題書としてリストアップした一冊で、未見だけれど、日露戦争からロシア革命を経て、陸軍を通じて、偽書『シオン議定書』が「猶太人の秘密会議の議事録」にして「ユダヤ人の世界征服陰謀書」として、広範囲に伝播していったことを告げていよう。
増補ユダヤ人論考 シオンの議定書

しかもそれはナチスのユダヤ人ジェノサイドやホロコーストへともリンクしていったように、日本の大東亜共栄圏構想下でも延命していったのである。

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