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古本夜話693 金森通倫『信仰のすゝめ』と「大正伝道叢書」

 ずっと新仏教運動と出版に関してふれてきたけれど、キリスト教においても、大正期は大いなる伝道の時代だったと思われる。

 『信仰のすゝめ』という一冊がある。これが福澤諭吉のベストセラー『学問のすゝめ』(岩波文庫)のタイトルに由来していることはいうまでもないだろう。B6判並製、一八八ページの本だが、奥付を見ると、大正五年八月初版で、月ごとに何度も重版を繰り返し、同六年六月には八十一版となっている。その記載は二十行四段に及び、このような奥付にはなかなかお目にかかれない。同書の版元の警醒社に関しては本連載562などで取り上げているので、ここではまず著者の金森通倫を確認してみる。彼は『世界宗教大事典』(平凡社)に次のように立項されている。

学問のすゝめ 世界宗教大事典

 かなもりつうりん/金森通倫 1857-1945(安政4-昭和20)
キリスト教伝道者。熊本バンドの一人で、1879年同志社卒業後、岡山教会牧師、同志社大学設立運動、番町教会牧師に従事。90年前後より自由主義神学の影響をうけて聖書を人間の宗教意識の記録、キリストを非凡な宗教人とし、伝統的な教理を捨て、教会を去った。その後政界、実業界で活躍し、貯金奨励運動などを推進したが、1913年夫人の死を契機に信仰を復興し、熱烈な伝道者となった。

 この立項に従えば、『信仰のすゝめ』は大正五年=1916年刊行であるから、金森が「信仰を復興し、熱烈な伝道者」たらんとしていた時代の一冊ということになる。

 その第一章の「真神(まことのかみ)」は「食はずぎらひ」なる節から始まっている。それはキリスト教の説教を聞いたこともなく、読んだこともないのに、ただ名のみを聞いて嫌ふい人がいる。だが「きゝもせず、よみもせずでは、その教(をしえ)の善悪(よしあし)が分るまい。まだその善悪の分らぬさきに、はやそれを嫌ふのはこれも同じく食はずぎらひの仲間ではあるまいか」と続き、それで「食はずぎらひ」の混み出しがついているのだとわかる。そしてそれは「どうぞ君等は、そんな食はずぎらひなどゝいふ無茶なまねをせず、一度よくキリスト教のはなしを聞ひてもらひたい」と話をつなげていく。

 まさに『信仰のすゝめ』は金森の言によれば、「今こゝに、始めて道を聞く人のため、成るべく分りよいやうに、(中略)教の全体を一纏め(ひとまとめ)にしえ、誰でも、一読してすぐ分るやうに説きあかして見たい」という目的で刊行されている。それゆえに伝道にふさわしい話体によって形成されていて、金森の伝道活動と寄り添うかたちで売れ、煩を重ねていったと推測される。

 この金森の伝道書に他ならない『信仰のすゝめ』のの巻末広告には星野牧師編輯「大正伝道叢書」十二冊が掲載され、前述したように大正が伝道の時代だったことを告げている。本連載672で、『高島米峰氏大演説集』を紹介し、新仏教運動もまた雄弁と演説の時代で、大日本雄弁会は高島の同書の他にも、政治家たちのそれぞれの『大演説集』を出版していたことを既述しておいた。大日本雄弁会が講談社の前身であることはいうまでもないだろうし、「雄弁」と「講談」をキーワードとすることで、出版のコアを形成していたのである。それとパラレルなかたちで、新仏教運動もキリスト教伝道も、また政治もデモクラシーや社会主義運動も併走していたといっていい。それは田山花袋が『東京の三十年』(岩波文庫)で述べているような、明治前半の音読の時代の水脈と通底しているのかもしれない。

東京の三十年

 それらのことはともかく、「大正伝道叢書」の次ページには、これも星野牧師編輯による「大正信仰叢書」十四冊が掲載され、同じく「菊判半截三十頁余/一部金五銭均一」という表記からすれば、これらは小冊子と考えられるし、やはり伝道に伴うプロパガンダ本と見なせよう。この両「叢書」において、星野牧師は前者に『人生問題と基督教』など三冊、後者には『基督教の礼拝』を始めとする五冊を著し、編輯ばかりでなく、執筆者としても中心にいたことになる。それはおそらく彼が伝道の中枢を占めていたことも意味していよう。

 彼の名前は星野光多で、星野という名前で連想するのは、北村透谷や島崎藤村たちと『文学界』を創刊した星野天知のことである。星野は明治二十年に平田禿木たちと日本橋教会で受洗し、キリスト教の伝道に携わり、熱心なカトリック伝者の松井万と結婚している。彼女は大正時代に神戸の聖心女子学院の設立に携わり、その副校長に就任している。これらのことから考えれば、星野夫婦の息子、もしくは近親者が星野牧師だった可能性も高いように思われる。
 
 その手がかりがないかと考え星野天知の『黙歩七十年』(『明治文学回顧録輯(一)』所収、『明治文学全集』99)を繰ってみたが、川合信水や押川方義への言及はあるにしても、星野牧師に関してはふれられていなかった。金森通倫の近傍の人物とも考えらえるので、もう少し探索を続けてみることにしよう。
『明治文学全集』99


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