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古本夜話707 「アジア内陸叢刊」と三橋富治男訳『トウルケスタン』

 前回の『東亜学』の中に、生活社の鄧雲徳『支那救荒史』(川崎正雄訳、昭和十四年)の書評が掲載されていたことを既述しておいた。生活社に関しては本連載131で創業者と設立事情、同578で雑誌『東亜問題』を刊行したことに言及しているが、「アジア内陸叢刊」というシリーズも出していて、『支那救荒史』もその関連書の一冊であろう。
アジア内陸叢刊(「アジア内陸叢刊」第3巻『蒙古と青海』)

 実は「アジア内陸叢刊」の一冊を入手していて、それはその4に当たるデニスン・ロス、ヘンリ・スクライン著、三橋富治男訳『トウルケスタン』である。二人の著者は英国人で、ロスはロンドン大学ペルシア語教授、カルカッタ回教高等学校々長、大英博物館勤務、スクラインは文官試験合格後、ベンガルにて任官し、中央アジアや近東を広く踏破し、「訳者序言」に見える「真摯なる知識層の、而も高度の知識的要求に呼応するに足るべき中亜史」としてのスクライン、ロスの『アジアの心臓』(The Heart of Asia)を上梓している。これが『トウルケスタン』の原書である。
The Heart of Asia

『トウルケスタン』として翻訳された同書は、「中央アジア人種の型」といった十二に及ぶポートレートや各国の写真に続いて、「中央亜細亜地図」、及び「ピヨトル大帝継承時代」からの「中亜に於けるロシア進出図」が折り込まれている。そして第一部が「上古よりロシアの占拠に至る情勢」、第二部が「中央アジアに於けるロシア」となっていることから、前者の地図が第一部、後者のそれが第二部に照応しているとわかるし、それに「訳者の補遺」として「廿世紀の中亜」が付され、中央アジア=トウルケスタンの歴史と状況が最近に至るまでたどられていることになる。

「訳者序言」は次のように始まっている。

 流砂と草原(ステップ)と山嶽と而してオアシスを以つて構成される荒蕪地、中亜の境土は歴史の燭光と共に東方漢民族と西方希臘・羅馬の自然的交渉路として民族・思想・文化の交流周旋の地であつた。此の交渉路上に点在する駅站の地には間断なき政治的統一と分裂と崩壊とが繰返へされ群雄割拠の情勢よりして大小のオアシス国家群が顕没隆替したが、西欧の暗黒時代には回教文化が沙漠の花と咲き誇り、過ぎにし栄耀は哀愁を籠めて灰々と幻想の絵巻物を繰りひろげて居る。其の歴史的光彩をと陰翳の裡に織り成される遊牧民族の消長、政治的過程、社会現象、将又チンギス・ハン、チムールの征旅の歩武を偲ぶとき、中亜の天地は東洋学、考古学の研究対象たるに止まらず、亜細亜復興を歴史的使命と観ずる吾等の関心を彌が上にも唆るものがある。

 このような「序言」から、二十世紀を迎えてのトウルケスタンが「東洋学、考古学の研究対象」のみならず、ソ連邦と「東方民族革命運動の廻廊」に位置するにしても、「亜細亜復興を歴史的使命」とする大東亜共栄圏下に含まれるとの認識が伝わってくる。本連載566のイブラヒムの来日にしてもまた、このような問題とリンクしていることになろう。訳者の三橋は戦後千葉大学教授などを務め、トルコ史の第一人者とされているが、ここでは「公務の暇を偸んでの翻訳」とあるので、おそらく当時は満鉄などの調査部か研究所に属していたのではないだろうか。

 それならば、このA5判五八二ページに及ぶ『トウルケスタン』をどのように評価すべきかということになるのだが、前回の『東亜学』にそれらの氾濫を見ているとの記述があった。『トウルケスタン』もその弊害を免れていないようだ。実は手元にある同書は前の所持者の鉛筆によるメモが書かれ、それは次のように本扉に記されている。

 原著は無味乾燥の年代記的叙述が極めて多い。それだけに役立つ点も多い。
 翻訳下手、しかも仲々に脱落が多く、省筆に注意せよ。節の切り方も勝手に行つてゐる。校正杜撰といふよりも無智に因る見遁しが多い。

 これは私にとっても、翻訳やその出版の編集に携わっているので耳が痛いし、それに続く翻訳のレベル、不注意による見遁し、担当編集者の知識の欠落、専門書の校正の難しさなども、翻訳出版に必ず付きまとっている問題である。それは現在でも同様だというしかない。しかし先の『東亜学』もいっていたように、支那事変後、東亜研究熱がにわかに高まり、研究や講座の出現、研究所や学会が創設される一方で、雑誌や書籍も続々と刊行されたと思われる。実際に『トウルケスタン』も支那事変勃発の翌年の昭和十五年の刊行であり、メモに書かれたような翻訳と編集によって送り出されたことになろう。

 このメモは本扉だけでなく、本文の全体に及び、原書と照らし合わせた上でのメモ、漢文でいうところの鼇頭の評語として示され、それはひとつのテキスト・クリティックともなっている。この元の所持者が誰なのかはわからないのだが、それはどのような時代にあっても具眼の士や読み巧者はいるし、また専門家の読者も存在していることを知らしめている。そうして翻訳の難しさを痛感するし、それは出版全体の問題であることはいうまでもないだろう。


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