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古本夜話715 八條隆孟『ナチス政治論』と「ナチス叢書」

 続けてもう一編、藤沢親雄絡みのシリーズのことも書いておきたい。それは本連載127でふれているアルスの「ナチス叢書」に関してで、その際には未見だった「同叢書」の一冊を入手したからだ。その一冊は昭和十六年刊行の八條隆孟の『ナチス政治論』である。同諸はドイツにおけるワイマール体制からナチス党の結成、国防軍の再建に至る過程を論じた、まさにその政治論だが、著者の八條については詳らかにしない。

 この「ナチス叢書」は駐独大使、陸軍大将の大島浩と本連載122、123の小島威彦を「責任編輯」とするもので、四六並製、各冊六十銭とされている。その巻頭には「ナチス叢書刊行の言葉」が置かれ、日本の「支那事変を契機とする皇道世界維新戦の発展」に呼応するように、「欧州全土を独伊枢軸ブロック」と化した。これは「世界史的転換」だと述べ、次のように続いている。

 ナチス・ドツは何によつて、かくも圧倒的勝利を獲得したか。これこそヒットラー総裁が、日独伊防共枢軸による、ゲルマン圏の確立によつて実現し得たものであり、しかも今や英本国攻略により、英吉利の植民地分離は、更に新しき世界長期戦に発展せんとする。
 まさに新興ドイツは、我が日本の国体を研究し、日本精神を体得し、光波遷都する旧欧州に、新しき世界を建設せんとする。
 かくしてドイツを知ることは、日本を知ることであり、また日本を知ることは、ドイツを把握することである。

 それを目的として、「ナチス叢書」は立ち上げられたことになるのだが、ここでは昭和十五年九月の日独伊三国同盟、とりわけ日独の関係が「皇道」の視座、すなわち「すめら せかい」として手前勝手に解釈されていることを示している。この問題は本連載116のヒットラーの『我が闘争』の翻訳と誤読へともリンクしていく。しかしそれはまた後述することになろう。

 さてこの『ナチス政治論』の巻末には「ナチス叢書」が五十冊以上リストアプされ、本来であれば、全点を挙げたいのだが、それは紙幅が許されない。その中でも既刊分には※印が付されているので、それらを挙げて見る。ここでも藤沢が著者の一人として顔を見せているが、これらの多くは入手するのが難しいと思われるからだ。これもナンバーは便宜的にふったものである。
 

1 末次信正 『日本とナチス独逸』
2 白鳥敏夫 『日独伊枢軸論』
3 小島威彦 『ナチス独逸の世界政策』
4 西谷彌兵衛 『ナチスの商業政策』
5 木村捨象 『独逸の資源と代用品』
6 クラウゼ 『ナチス独逸のスポーツ』
7 奥村喜和男 『国防国家とナチス独逸』
8 デュルクハイム 『独逸精神』
9 山本幹夫 『ナチス思想論』
10 ザール 『ナチス運動史』
11 八條隆孟 『ナチス政治論』
12 深尾重正 『ナチスの科学政策』
13 藤沢親雄 『戦時下のナチス独逸』
14 嘉門安雄 『ナチスの美術機構』
15 鈴木啓介 『独仏関係』
16 清水宣雄 『ナチスのユダヤ政策』
17 於田秋光 『実戦場裡のナチス』
18 川上健三 『ナチスの地理建設』

f:id:OdaMitsuo:20170922194451j:plain:h110(『ナチスの科学政策』)

 これらは昭和十六年五月時点での「既刊」で、「以下続々刊行」との明記からすれば、この他にもかなり多くを加えられるであろうが、最終的に何冊まで出されたのかは確認できていない。「ナチス叢書」の著者たちについてはやはり本連載127で、同125の「パリの日本人たち」、国民精神文化研究所とスメラ学塾関係者をメインとしていることを既述しておいた。またさらに分類すれば、同133の仲小路彰が孤小島威彦とともに立ち上げていて世界創造社、及び戦争文化研究所が創刊した『戦争文化』のメンバーも同様であろう。

 この『戦争文化』のことは本連載126でもふれているのだが、残念ながらいまだ見る機会を得ていない。ただ幸いなことに神保町系オタオタ日記」(2011・10・07)がその創刊号目次を掲載し、「ナチス叢書」の著者と重なる執筆者名を明らかにし、さらにそれらの人々の紹介もしているので、ぜひ参照されたい。

 またこれは未刊に終わったと思われるけれど、「ナチス叢書」の一冊として、坂倉準三の『ナチスの国土計画』がある。坂倉は「パリの日本人たち」の一人で、後のスメラ学塾の中心メンバーにして、ル・コルビュジエに師事した建築家でもあり、その近傍にいたのは岡本太郎だった。これは私見だが、二人が一九七〇年の万国博に深くかかわるようになったのは、「パリの日本人たち」とスメラ学塾の関係にも起因しているのではないだろうか。

 それからこの「ナチス叢書」へのまとまった言及を見ていないが、「責任編輯」を担った大島浩は、『現代日本朝日人物事典』などによれば、昭和十一年の日独防共協定の主唱者で、日独枢軸外交の要的存在だったが、敗戦後、A級戦犯として終身刑となり、昭和三十年に釈放されたという。たとえ名義だけだったとしても、この「責任編輯」者のA級戦犯、終身刑は「ナチス叢書」の出版社のアルス、著者関係者たちを震撼ならしめたにちがいない。アルスが戦後になって廃業してしまった一端はそのことに求められるかもしれない。
 

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