出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話727 平凡社『東洋歴史大辞典』

 平凡社の『東洋歴史大辞典』『平凡社六十年史』を確認してみると、昭和十二年三月から十四年八月にかけて、全九巻が刊行されている。その刊行とパラレルに、昭和十二年七月には支那事変、完結の十四年五月にはノモンハン事件が起きている。まさに日本とアジアの関係も風雲急を告げていた時代に、『東洋歴史大辞典』は出版されたのである。
東洋歴史大辞典(『東洋歴史大辞典』) f:id:OdaMitsuo:20171106200350j:plain

 『平凡社六十年史』は、『東洋歴史大辞典』が昭和八年の『世界歴史大系』をベースとする企画で、「当時としては画期的なもの」「名著として世評の高いもの」だったと述べている。しかし『世界歴史大系』の東洋版としては、昭和十四年の『全亜細亜の歴史大系』全十三巻のほうがふさわしいし、『東洋歴史大辞典』は下中弥三郎と平凡社が満を持して送り出した畢生の企画だったように思われてならない。

f:id:OdaMitsuo:20171107101132j:plain:h115(『世界歴史大系』)

 下中は第一巻の冒頭に「東洋歴史大辞典を世に送る」という一文を寄せている。これはその「内容見本」にも掲載されているもので、その全文を引いてみる。

 世界は今や西に暮れて東に明けやうとしてをる。永らく西に注がれてゐた人類の眼は徐ろに東に転じ始めた。『亜細亜を知らずして世界を語る能はず』の意識が日に日に高まつて来る。特に我等日本人にとりては、亜細亜は、文化的にも地理的にも経済的にも一体としての運命共同体である。此の意味に於て、東洋歴史の研究と理会は、我が学界政界教育界実業界共通の要求である。而もこれに対する根拠的一般的な文献が極めて少ない。正確最新豊富な内容を有する東洋歴史辞典の出現は、実に現代日本の切実なる時代的要求となつてゐるのである。
 本書東洋歴史大辞典全八巻は、かかる時代的要求に答へて出現したるもの、その材料の古くして新しき、その内容の豊富にして正確なる、東洋諸国諸民族の文化探求者にとりて最高唯一の指導書である。
 本書の編纂に当り、斯学諸先輩指導の下、東京及び京都の帝国大学東洋歴史研究室の専門家諸君竝に全日本新進学徒の総協力により、茲に東洋史研究の一代指南車を建設し得たるは、啻に小社の光栄たるのみならず我が学界の一大貢献たるを信じて疑はぬ。敢て大方の共鳴支援を俟つ。

 またこの下中の言に加え、「凡例」においては地域的歴史的に「満洲・蒙古関係の事項を重視」と謳われ、四六倍判、各五五〇頁、全九巻が刊行されていくのだが、その奥付の編輯兼発行者は下中弥三郎との記載である。内容見本には監修として、矢野仁一や池内宏などの四人の、東京と京都帝大の東洋史学者たちの名前が連なっているが、実物本体には見えておらず、それはこの辞典の企画編集内容に関する下中と平凡社の自負を告げていよう。

 このような下中による「世に送る」といった序文を付し、奥付の編輯兼発行者も下中名としているのは、管見の限り、昭和六年の『大百科事典』全二十八巻、同八年の『大辞典』全二十六巻である。とすれば、下中にとって、この二つの事典と辞典に加え、『東洋歴史大辞典』が同じように重要だったこと、それゆえに製作と編集に精魂をこめていたことを自ら物語っている。それは当時の時代状況において、「小社の光栄たるのみならず我が学界の一大貢献」の実現でもあったのだ。そしてまた前回の京都帝大東洋史研究室の関係者を主たる著者とする「支那歴史地理叢書」の成立、及びそこに見える近年の蒙古研究の飛躍的進歩の言などは、この『東洋歴史大辞典』の刊行を背景としていることが了解される。

 またさらに下中のこの辞典に捧げる情熱の原点を求めるならば、昭和八年に彼が中心となって創立した大亜細亜協会に行き着くだろう。これは下中が数多く携わった団体運動のうちで最も熱意を傾倒し、国内外にも極めて反響が大きかったものとされ、『平凡社六十年史』(平凡社)でも、その創立メンバー、目的と性格、下中の地位、機関紙、対外活動、世界的反響などが八ページの長きにわたって紹介されている。それを読むと、下中と時代と『東洋歴史大辞典』が不即不離としてあったことが伝わってくるように思われる。

 さて『東洋歴史大辞典』に戻ると、これは本連載247の三島の北山書店で、二十年ほど前に購入しているのだが、残念なことに第九巻が欠けているので、その諸項目や執筆者たちの配置を簡略に伝えることができない。そこで後に本連載で何回かにわたって言及することになる「アンコール・ワット」を引いてみると、その前に「アンコール・トム」の立項はあるものの、二段組のうちの小さな写真入りの十六行ほどのもので、昭和十年代後半になって盛んに刊行されるようになるアンコール・ワット文献を見ていることからすれば、少しばかり拍子抜けの思いを抱いてしまう。

 それは『東洋歴史大辞典』が満洲や蒙古に重きが置かれ、南進論とは一線を画していること、アンコール・ワットへの注視はまだ確立されておらず、研究者も同様であったのかもしれない。

 ただ最後に付け加えておくと、『東洋歴史大辞典』の延長線上に、昭和三十四年に『アジア歴史事典』の刊行が実現したのであり、それは版元は異なっても、同三十六年の京大文学部東洋史研究室編『東洋史辞典』(東京創元社)の出版も可能だったと思われる。

東洋史辞典(『新編東洋史辞典』)


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

odamitsuo.hatenablog.com