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古本夜話729 萬里閣書房『大支那大系』

 これは昭和十年代の出版物ではないけれど、昭和初期の円本時代に萬里閣書房から『大支那大系』が刊行されている。所謂支那シリーズとしては先駈けのように思われるので、ここで取り上げておく。ただ『全集叢書総覧新訂版』で確認してみると、昭和五年に全十二巻予定で始まったが、完結せず、七冊で中絶してしまったようだ。

f:id:OdaMitsuo:20171108113452j:plain:h120(「風俗・趣味篇」) 全集叢書総覧新訂版

 『大支那大系』に関しては拙稿「日置昌一の『話の大事典』」と萬里閣」(『古本探究3』所収)で、タイトルだけを挙げ、またそこで萬里閣の小竹即一が野依秀市の実業之世界社出身であることもふれておいた。私が所持しているのは『大支那大系』第三巻「政治・外交篇第八巻「風俗・趣味篇第十二巻「文学・演劇篇」下の三冊で、第一回配本は第八巻だとわかるし、そこには小竹を編輯発行印刷人とする「大支那大系月報」第一号もはさまれているからだ。

古本探究3

 その最初に松原義人の「内藤先生のこと」が掲載されている。松原のプロフイルは不明だが、次のように始めていることからすれば、萬里閣の編集者であろう。

 わが萬里閣が、大支那大系を計画しだしたのは、昨日や今日の問題ではない。すでに萬里閣といふ名に対しても連想されさうな、そして計画されさうなふさわしい名でもある。
 隣邦支那といへば、資源を多分に抱合したあの広大な土地と、侵略的に、世界還視の的となつて居ることを直感する。そればかりかは、興亡数千年の謎を包んだ国として残つて居る支那だ。これが、人文学的に、地誌学的に、凡ゆる方面から此の尽きざる謎の支那を正解し、紹介せんとする所謂、支那研究書は枚挙に遍なしといふ位。
 茲に於て、これ等の玉石混淆を選択統一し、本支那研究家の最高権威を一堂に網羅し、意義と光輝に満ちた大支那大系を刊行するは、国家的指命(ママ)かにも見られる。

 それゆえに「内藤先生にお骨折りして頂いては」となる。内藤先生とはいうまでもなく、京都帝大東洋史研究室の開祖の内藤湖南で、松原は「骨折り下さるといふ親切ぶり」を拝受したのだった。そうして『大支那大系』の「題簽」が内藤の手になり、「開幀」に周・成王時代南公鼎銘拓本、「装幀」に明・推朱龍鳳文机面模様が使われることになったのであろう。ただそれと同時に、昭和六年に満洲事変が起き、内藤が渡満したことなども『大支那大系』の中絶と関係しているのかもしれない。しかしいずれにしても、ここに支那や東洋に関するシリーズ出版企画には、京都帝大東洋史研究室の存在が不可欠となる発祥を見たように思われる。

 さてその第一回配本の「風俗・趣味篇」だが、これは本連載519でそのプロフイルを紹介しておいた後藤朝太郎が担当である。ちなみに「同月報」第三号には、後藤の『増補支那行脚記』などの三冊、長永義正『グロテスク支那』、村田孜郎『支那の左翼戦線』、長野朗『自由支那へ』、鳥居龍蔵『満蒙の探査』、佐藤進一『不老不死仙人列伝』が萬里閣の支那関係の「趣味と実益の八大名著」との広告が見え、『大支那大系』の企画と併走していたことを教えてくれる。

 それらの「名著」の筆頭たる後藤は、六十点に及ぶ生活風景などの口絵写真をまず示し、『大支那大系』の一番手として、「支那風俗趣味篇の序文」を寄せている。そこで後藤は「日本でこれまで幾度か支那全集ものゝ計画話題に上つてゐても物にならず立消えとなつた」のは従来の漢文や東洋史の堅苦しさから抜けられなかったことに尽きるとして、次のように結んでいる。

 要するにこの小冊子支那風俗趣味篇はその全篇に民国人の民俗性と社会相、並に風俗趣味の人間味のある処が何となくにじみ出てゐること、又その点に自分の多少努力したことさへ読者に見出してもらへるならば本書の目的は達せられる。広い支那文化の全般に亘る趣味の筆の如きは悠久閑雅な気持ちで油の十分に乗つたときでなくては出来ないことである。一朝一夕の速手間で達成的に作り上げる如きは自分の気持ちの許さない処である。聊か我が思ふ処を有りのまゝ叙べて本書の序文となる次第である。江湖の読者幸いに自分の気持に共鳴せらるゝ処があるならば、その閃めきを打寛いだ談笑裏に承る機会を得たいと思つてゐるのである。

 そして支那風俗の現れ方、支那の家庭生活、正月の行楽、田舎の正月、玩具、五味八珍、古名画に見る風俗や趣味、文人の幽斎、宗教や仏教や儒教、支那八選と民衆奇習などが三十章にわたって、しかもそれぞれに写真が添えられ、具体的に論じられていく。私はリサイクル店で入手した、中国の王朝生活を描いた大きな絵画を飾っているが、それは先の支那名画に見る風俗や趣味の記述が重なるようで興味深い。これを購入したことで、私は横浜の中華街で中国服のコートまで買ってしまったのである。

 そのために、この「風俗・趣味篇は興味が尽きないけれど、この際だから他の二冊の執筆者たちも紹介しておこう。「政治・外交篇は岸田英治、榛原茂樹、「文学・演劇篇」下は久保天随、楊蔭深、榛原茂樹、瀬沼三郎、村田孜郎、未見の「財政・経済篇」は長野朗、長永義正で、村田や長野や長永は、先に挙げた萬里閣支那関係の「趣味と実益の八大名著」の著者だとわかる。しかし残念なことに『大支那大系』もまた未完に終わってしまったのである。


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