出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話616 フオイヒトワンゲル、谷譲次訳『猶太人ジユス』

続けて日本におけるユダヤ人問題にふれてきたが、昭和五年に中央公論社から谷譲次を訳者とするフオイヒトワンゲルの『猶太人ジユス』が刊行されている。

しかしこの四六判七〇〇ページに及ぶ大部の翻訳『猶太人ジユス』は、当時の谷=林不忘牧逸馬の多忙な仕事ぶりから見ても、谷自らが手がけたとは考えられない。確かに冒頭の一ページの「序」で、ロンドンの書店でベストセラーとされる同書を購入したようなことを記しているが、代訳者がいたと見なしていいだろう。それもあってか、『中央公論社の八十年』でも、また室謙二による、本名の「長谷川海太郎伝」である『踊る地平線』晶文社)や川崎賢子の長谷川兄弟伝の『彼等の昭和』白水社)でも、『猶太人ジユス』は言及されていない。
踊る地平線 彼等の昭和

『猶太人ジユス』は十八世紀ドイツのウユルテンベルヒ公爵領を舞台とする歴史小説で、領主のアレキザンデル、その夫人のマリー・オウガスト、前領主エベルハルト、その愛人クリストル伯爵夫人、ワイゼンゼー大司教などを主要な登場人物としている。その一方で、主人公として、財政顧問のユダヤ人ジユスをすえ、さらにジユスの叔父の秘法学者ガブリエル博士、同じく娘のナエミ、やはりユダヤ人大金融家ランダウエルを配置している。そしてドイツ人貴族たちに対し、ユダヤ人は狡猾な財政家、魔術師、妖教僧、もしくは政府も故国も土地も自宅もない「漂泊(さまよ)えるユダヤ人」として描かれている。それを最も表象しているのは「主要登場人物」リストの裏に示された「ジユスはどんな男か?」で、次のように紹介されている。

 ジユスは紛れもない当時のモダンボーイ。ラッパズボンは穿かないが一部の隙もない流行の尖端で身を包んでゐた。チヤアルストンは踊らないが金を貯める事には抜目がなかつた。女子学生を追ひ廻すやうなヘマはやらないで、凡ゆる女を惹き附ける餌を用意してゐた。猫のやうな柔媚さで貴顕に取入り相手の急所に打ち込む猛悪な爪と牙を終始磨きたてゝゐた。一度喰ひ下つたが最後、死んでも話さぬだにのやうな執拗さと骨までしやぶらねばやまない残忍性を持つてゐた。眼のさめる様な色魔で、氷の様な冷血漢で、奸祉 邪悪な仕事師で、典型的な守銭奴であつた。

これはジユスに対し、かなりバイアスがかかった紹介で、おそらく書いたのは編集者だと思われるが、ジユスの表層のイメージとユダヤ人への偏見を重ね合わせることによって提出されている。虚心に『猶太人ジユス』を読むならば、そこにはドイツ人貴族たちの権力志向と金銭への欲望、そのためのユダヤ人の手前勝手な利用もリアルに描かれ、ユダヤ人たちとも相対的な存在として召喚されている。それにジユスの娘ナエミが自殺に至るのはアレキザンデルに襲われたからであり、ジユスにしてもドイツ貴族たちとの権力闘争に巻きこまれ、最後は絞首台での死へと追いやられるのである。

とすれば、この『猶太人ジユス』は本来的にユダヤ人に対する偏見を増幅させるために書かれたのではなく、ドイツの十八世紀貴族社会における権力と金銭をめぐる民族葛藤、及びユダヤ人の運命を描いた小説と見るべきであろう。ところがそのようには読まれず、ドイツやイギリス、また日本でもユダヤ人の悪しきステレオタイプ的イメージを増幅する中で売れたということを意味している。「解説」や「あとがき」も付されていないのも、その事実を伝えているように思われる。

そこで念のために、著者のフオイヒトワンゲルを『増補改訂版新潮世界文学辞典』で引いてみた。すると立項が見出されたのである。

増補改訂版新潮世界文学辞典
 フォイヒトヴァンガー Lion Feuchtwanger (一八八四〜一九五八)
 ドイツの作家。若き劇作家ブレヒトの発見者としての功績がある。反戦主義的傾向のためにナチスに迫害され、三三年亡命、フランス、ソ連を経て四〇年にアメリカへ移住。その間も小説、戯曲、劇評に活躍、ロサンジェルスで死去した。代表作は歴史小説『猶太人ジユス』(二五)。

またこれだけでなく、『ユダヤ人ジュース』も、このところよく参照している『世界名著大事典』においても、中野孝次によって立項されていたのである。かなり長いので、全文引用はできないけれど、そこには次のような一節が見られた。「この小説は民衆の観点から歴史を描いた力強く歴史小説として発表当時有名になったが、それもたちまち圧倒的なナチスの力によって消えてしまった。この作品の正統な評価は今度の課題である」と。

フォイヒトヴァンガーの他の作品を読む機会を得ていないけれど、このような彼の経歴や『ユダヤ人ジュース』への評価に接すると、この作品が反ユダヤ言説をあおるために書かれたものではないことだけは伝わってくるし、それは私の読後感とも一致している。

いかし『猶太人ジユス』の日本での翻訳は英語重訳ではなく、カバー表紙に見られるドイツ語原文から考えても、ドイツ語からのもので、その翻訳基層には反ユダヤ主義、もしくは陰謀論が据えられているように思える。それは「序」にあるこの小説が「現代日本の政界と財界と階級闘争をモデル」にしているようだとの言からすれば、「現代日本」の「財界」が「猶太人ジユス」と想定されているのだろう。

また巻末の二ページをしめる「近刊予告」の黒田禮二『廃帝前後』は、「日本が世界に誇り得る有数気鋭のヂヤアナリスト」による「近世独逸革命史論」と謳われている。そしてそこには「ジユスの中に描かれた舞台と背景と人物と制度と風習の一切は、此の『廃帝前後』を読む事によつて一層明瞭に了解することが出来る。これは小説ジユスを表玄関から覗いた物」とされる。「近刊予告」として、「めづらしや黒田禮二」とうキャッチコピーが躍っているが、『猶太人ジユス』の実際の翻訳者は黒田であるかもしれない。この『廃帝前後』とジョイントするようなかたちで刊行されたとも考えられるのである。

それが気になり、『廃帝前後』も読んでみたけれど、宣伝コピーほどには共通性を覚えなかった。したがって『猶太人ジユス』の代訳者黒田だと見極められなかったことも記しておこう。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら