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古本夜話624 三木清編『新版現代哲学辞典』

昭和十六年に日本評論社から刊行された三木清『新版現代哲学辞典』が手元にある。菊判上製、二段組六三二ページの裸本だが、おそらく箱入だったと思われる。これは「新版」とされているけれど、「旧版」がどこから出されたのかは定かでない。三木にしても、その「序」で、それが「刊行後間もなく絶版の状態に至った」と述べているだけで、その代わりに「本辞典は全く面目を新たにして現はれることになつた」と記し、その特色について、次のように書いている。
新版現代哲学辞典

 この辞典は現代科学の辞典であるが、その編輯に当つてまた特に優越なる意味に於いて現代的であることを方針とした。即ち先づ哲学上の諸問題、諸傾向、諸状況の叙述に於いては現代を中心とし、現代的な見地から取り扱ふことにしたのである。その際過去も現代と関連する限り取り上げられたことは言ふまでもない。次に本辞典は専門的なる哲学の範囲にのみ止まることなく、広く現代社会に於いて現実の力となれる諸思想の解明を企てた。これ哲学は現実から離れることなく、現実と結び付かねばならぬとの見解に出づるものである。第三にこの辞典に於いては哲学に隣接する諸科学に留意し、その綜合的な記述に多くの場所が与へられた。蓋し哲学は諸科学と密接な関連を有するものであり、諸科学も分化してゆく反面綜合せられてゆくことによつて始めて健全な発達を期待し得るのである。

その第一の特色は「アメリカ哲学」から「論理学」に及ぶ七五の「大項目主義」で、「引かれる辞典である以上に読まれる辞典」を期したことだ。それらの執筆は樺俊雄を始めとする四六人からなり、彼らはこの辞典のために召喚された三木の出版編集人脈といっていいだろう。それもあって、ここでは言及しないけれども、現在でも読ませる「大項目」の散見を見ることができる。

美作は『戦前戦中を歩む』の中で、「一九三九(昭和十四)年から太平洋戦争の勃発前後にかけて、私は『現代哲学辞典』(日本評論社)の編集打ち合わせのために週一度は、三木を杉並阿佐ヶ谷の宅に訪れる慣わしであった」と述べている。そしてその協力者として、樺の他に執筆者リストに掲載されていないけれど、本連載595の古在由重も同席していたことも。

この三木の辞典編集への関わりを知って、私もかつて「小林勇と鐵塔書院」(『古本探究』所収)を書き、小林は三木を資金スポンサー兼ブレインとして、昭和三年に岩波書店を辞め、鐵塔書院と新興科学社を興し、雑誌『新興科学のもとに』を創刊したことを思い出した。ところが同九年に小林の独立の夢は破れ、岩波書店へと復帰する。その一方で、三木のほうは四年に法政大学教授を退いたこともあって、よく知られた岩波文庫発刊の他にも、この。『新版現代哲学辞典』に見られるように、その後も出版企画や編集に携わってきたのではないかと考えられる。
古本探究

そこで三木の「年譜」(住谷一彦編『三木清集』所収、『近代日本思想体系』27、筑摩書房)をたどってみると、次のような事実が判明したので、それを抽出してみる。
三木清集

   昭和二年/最初の大きな出版計画としての岩波文庫創刊。
   昭和三年/岩波講座『世界思潮』全十二巻を、林達夫羽仁五郎と協同編集。また羽仁との共同責任編集で、鉄塔書院から『新興科学のもとに』を創刊。
   昭和八年/ドイツのゲッシェン叢書を範とする「岩波全書」創刊に参画。
   昭和九年/改造社『シェストフ選集』二巻を編集。
   昭和十三年/河出書房の編集顧問となり、講座『廿世紀思想』を企画編集。雑誌『知性』創刊計画に豊島与志雄中島健蔵とともに参加。岩波新書創刊にも小林勇、吉野源三郎とともに協力。
   昭和十六年/日本評論社『新版現代哲学辞典』を編集。また河出書房の『社会科学新辞典』中山伊知郎、永田清と共同編集。
社会科学新辞典

このような出版企画編集に携わるかたわらで、三木は多くの論文を書き、著書を上梓し、また豊島与志雄などと学芸自由同盟を結成し、本連載593の昭和研究会に加わり、同454などの小林秀雄たちの『文学界』同人ともなっている。また昭和研究会から派生した昭和塾主幹として、尾崎秀実、笠信太郎とともに活動し、大政翼賛会文化部長に就任した岸田国士を積極的に援助している。これらはその多くが執筆も含んだ出版や編集に関連してのことだと見なしていいだろう。

そうした三木の軌跡をたどっていくと、昭和戦前の人文科学の出版の分野において、彼が有数の出版オルガナイザーにしてプロデュ―サーでもあったことが浮かび上がってくる。

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