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古本夜話629 ニッチ著、飯島正訳『ムッソリィニ恐怖政治と牢獄脱走記』

前回の『シナリオ文学全集』の編輯者の一人として飯島正の名前を挙げたこと、また本連載582で日本評論社からの『ムッソリーニ全集』の刊行を伝えたこともあり、ここでF・F・ニッチ著、飯島正訳『ムッソリィニ恐怖政治と牢獄脱走記』にふれてみたい。

その前に『日本近代文学大事典』における飯島の立項を紹介しておく。没年は引用者が付した。
日本近代文学大事典

 飯島正いいじまただし 明治三五・三・五〜平成八・一・五(1902〜1996)映画評論家。東京生れ。昭和四年東大仏文科卒。在学中、大正一一年からキネマ旬報同人として映画評論を執筆、かたわら一三年大宅壮一、手塚富雄らと第七次新思潮同人となり、また十四年梶井基次郎、外村繁、中谷孝雄らの「青空」の同人となって、小説、詩、戯曲などに幅広い創作活動をあわせて行った。ひろく内外の映画に関心をもち、欧米の映画事情に通じ、平明な文体で観察の行きとどいた批評を書く点に特色がある。(後略)

後半を省略したのは著書に関して重複することなどによっている。先の訳書の巻末に飯島の著作七冊が掲載され、それらは著書として『シネマABC』『映画の研究』『現代映画芸術論』、翻訳として『ソヴエトロシヤの映画』『サンドラルス抄』『現代のフランス文学』『世界選手』が挙げられている。ちなみに『シネマABC』『映画の研究』『サンドラルス抄』は春山行夫の編集により、厚生閣からの刊行である。拙稿「春山行夫と『詩と詩論』」(『古本探究』所収)でも記しておいたけれど、飯島は「青空」同人だったことから、『詩と詩論』に加わったと思われるが、彼の自伝ともいえる『ぼくの明治、大正、昭和』(青蛙房)には何の証言も残されておらず、春山との関係も不明のままである。しかし前述の七冊、それに『ムッソリィニ恐怖政治と牢獄脱走記』を合わせ、昭和四年と五年に続けて出されていることからすれば、春山の編集と人脈が大きく作用していたと思われるだけに、奇妙な印象を受ける。
世界選手(ゆまに書房復刻版)古本探究 ぼくの明治、大正、昭和 

それはこの『ムッソリィニ恐怖政治と牢獄脱走記』も同様で、この翻訳は発行者を野澤廣とする赤爐閣書房からの刊行だけれど、飯島が訳したことも忘れられている一冊だろう。同書はイタリア前首相ニッチの甥にあたるフランチェスコ・ファウスト・ニッチの「『我等の牢獄と我等の脱走』の自由訳」、つまりリーダブルな抄訳と考えていいだろう。彼は平凡な共和主義者の銀行員だったが、ムッソリーニの逆鱗にふれ、暗殺されたファシストのマッテオッチ代議士の遺族にシンパシーを示したことによって捕えられる。

それに対してニッチは問う。「しかし、何故連れて行かれるのか云つてくれませんか? 何んな罪で罰せられるんですか? 僕たちの逮捕には何んな裁判が下されてゐるんですか?」。それに対する答が次のように発せられる。「何んな命令も不必要です。司法官は此処には何の関係もないんです。君たちは『行政上』投獄されるんです」と。そしてニッチは「僕を投獄しやうとしたものは、ファッシスト制度の行政にあることは確かだ」と思い至るのである。それは監獄生活から赤道に近いランペドッザ島へ送られ、シチリア島に面するリパリ島に流される。それは一九二五年から二九年に及び、最後にようやく脱走に成功し、パリに逃れることができたのである。その五年間の記録が同書ということになる。

飯島は「序」に当たる冒頭の一文において、映画的視点を忘れずに「冒険小説のやうに読ませる一方」で「現在イタリヤの覇権を握つてゐるファッシズムがどんなことをしてゐるかといふ明細なリポオト」だと述べ、次のように結んでいる。

 この本に現れるイタリヤのファッシズムは或は一方的な観察の結果である(時にはあり過ぎる)かも知れない。しかし、日本に今日紹介されてゐるファッシズムはこれまた一方的のものであり過ぎはしまいか。この点に於いて、ファッシズムがかういふことをやつてゐる、ということを示す本書は、そのファッシズムの是非は問はず、それだけでも価値のあるものであらうと思はれるのである。

ここで飯島はニッチの著書の翻訳に託して、慎重にファシズムの批判を行なっていると判断していい。それはまたタイトルに表象されているように、出版社の意志でもあったと考えられる。だがこの赤爐閣書房もそのプロフィルがはっきりつかめない版元である。巻末には一ページ広告として、長河龍夫『猟奇風俗百貨店』、ドクトル島洋之助『貞操の洗濯場』『童貞の機関車』、浜尾四郎『殺人小説集』が掲載されている。

『発禁本3』(「別冊太陽」、平凡社)には島の二冊の書影が見られ、これらが発禁処分となったことを伝えている。それによれば、この二冊は「海外体験を含む猟奇エッセイ本」で、島は当時の発禁常連者とされている。それらに浜尾の探偵小説、ニッチのファシズム批判レポートが加わるという出版ラインナップは、発行者の野澤廣が梅原北明たちの近傍にいた人物ではないかとも連想させる。また新潮社の『現代猟奇尖端図鑑』に飯島が「尖端映画考」を寄稿していたことも。おそらくそのような昭和初年の出版環境の中から赤爐閣書房も出現していたにちがいない。
発禁本3

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