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古本夜話630 往来社、「映画科学研究叢書」、フリーチェ『芸術社会学の諸問題』

前回飯島正の訳書として『ソビエトロシアの映画』を挙げておいてが、これは本連載215でふれた往来社の「映画科学研究叢書」の一冊である。それをリストアップしてみる。第一編から第十二編の刊行となっているけれど、アラビア数字に代える。

1 ヴエ・プドーフキン 佐々木能理男訳 『映画監督と映画脚本論』
2 レオン・ムーシナック、飯島正訳 『ソビエトロシアの映画』
3 伊藤大輔脚色、本間七郎、武田忠哉訳 『新撰映画脚本集』上巻 (「続大岡政談」「戻らざる幻」「リオ・リタ」所収)
4佐々木能理男、永富映次郎、岡田真吉、石本純吉訳 『新撰映画脚本集』下巻 (「作者を探す六人の登場人物」「アンダルジイの犬」「愛国者」所収)
5 山村冷笑、西国男 『発音映画入門』
6 鈴木伝明 『映画俳優読本』
7 佐々木能理男訳 『発声映画監督と脚本論』
8 袋一平 『ソヴエート映画の旅』
9 岩崎昶 『映画と資本主義』
10 上田進訳 『映画監督学とモンタージュ論』
11エリック・エリオット、岸松雄訳 『映画技術と映画芸術』
12 エイゼンシュテイン、佐々木能理男訳 『映画の弁証法』

 7と10 の著者名は示されていない。
 この他にも往来社は松竹映画監督の村田実、牛島虚彦の責任編輯による『映画科学研究』を第十輯まで刊行している。これは「今や映画科学研究の最高権威書」と謳われているけれど、雑誌と見なしていいし、映画にまつわる論考やシナリオの他に、様々な映画技術、音声や現像液や照明道具などのトーキーの出現に関連する論文も掲載され、タイトルからして「映画科学研究叢書」と対になっているとわかる。

これらの版元の往来社は映画書を中心とする出版社だと思われるので、先の9の岩崎昶の自伝と云うべき『映画が若かったとき』(平凡社)を読んでみたのだが、『キネマ旬報』のことは書かれているけれど、飯島の『ぼくの明治、大正、昭和』と同様に、往来社やその出版物に関しての言及はなされていない。
映画が若かったとき ぼくの明治、大正、昭和 

実は私もこれらの往来社の映画書を入手しておらず、その出版明細はフリーチエ、黒田辰男訳『芸術社会学の諸問題』の巻末広告によるものである。同書は昭和七年刊行で、発行所の往来社は麹町内幸町の商興ビル内に置かれ、発行者は佐藤丑之助となっている。

フリーチエは黒田の解説の「経歴と事業」にあるように、芸術と文学形態が社会の経済的、階級的形態にいかに照応し、発展していくかを明らかにして、マルクス鵜主義芸術学を体系づけたとされる。「原著序」などによれば、この『芸術社会学の諸問題』はフリーチエの主著『芸術社会学』の追補に当たる論文集のようだ。その中の「工業資本主義様式に於ける形象の性質に関する問題に」はソビエトで出された『ゾラ全集』、及びそこに収録されたゾラの創作ノートに基づくゾラ論である。それは『愛の一ページ』(石井啓子訳、藤原書店)|
『パリの胃袋』(朝比奈弘治訳、同)から始まり、『貴婦人の幸福』、すなわち『ボヌール・デ・ダム百貨店』(伊藤桂子訳、論創社)へと続き、この小説の特色は「商業の領域に於て、資本の集中である。大商店即ち『市場』が小さな商売を圧迫し、押しのけ始める」とし、この社会経済的現象に答えるために、ゾラはこの小説を書いたとされる。

愛の一ページ パリの胃袋 ボヌール・デ・ダム百貨店

だがこれは近代消費社会の象徴たる百貨店の出現によって、大衆が消費の欲望に目覚めていく物語、そのような装置としての百貨店を描いたもので、フリーチエの読解はマルクス主義芸術学の限界を示していよう。その後に彼は鉄道を描いた『獣人』 (寺田光徳訳、藤原書店)を挙げ、これは「商業資本が工業資本に席を譲る高度の資本主義」を描いたもので、「資本主義的―工業的技術的文明の象徴」だとしている。
獣人

もちろんロストウ『経済成長の諸段階』(木村健康他訳、ダイヤモンド社)はまだ出現していないが、第一、二次産業社会から第三次産業社会へと移行していくのが自然史過程であるとするならば、その逆行はありえないのだ。なおこの論文の訳は村田春海によるものである。またロストウに関しては拙稿「河出書房と『現代の経済』」(『古本探究』所収)でふれていることを付記しておく。
経済成長の諸段階 古本探究

ところで訳者の黒田のほうだが、彼は早大露文科を卒業後、プロレタリア科学研究所の芸術学研究会に属し、ソビエト文学の翻訳に専念し、昭和八年にはソビエト大使館に入り、二十年にソビエトが日本に宣戦するまで勤務していたという。プロレタリア科学研究所は昭和四年に秋田雨雀を所長として発足し、九年まで続いていたから、往来社の「映画科学研究叢書」『映画科学研究』の刊行と時期をともにしていたことになる。

といっても往来社は翻訳書として『ベビーゴルフの遊び方』や『新しい泳ぎ方』、島田晋『アソシエーション・フットボール』、日本速記学会編『速記術一週間独習』なども刊行しているので、映画書を刊行する一方で、それなりに間口の広い出版社だったといえるかもしれない。


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