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古本夜話635 内外社『綜合ヂャーナリズム講座』と『綜合プロレタリア芸術講座』

本連載632の新潮社の『社会問題講座』の成功はひとつの出版社を誕生させ、同じような講座をも生み出すに至る。その出版社は内外社で、刊行されたのは『綜合ヂャーナリズム講座』全十二巻である。

この編輯健発行人は第一巻から十巻までが橘篤郎、第十一、十二巻が小澤正元となっている。橘の名前は意外なところに出てきた。それは木村毅の『私の文学回顧録』においてで、現在は社会党代議士の八百板正と並ぶ大宅壮一の「第一期の子分」の一人としてだった。

 それから水戸の工業学校出の橘篤郎がいた。のち渋谷区の区会議員となり、橘書店を経営して、ダーリのロシア語辞典を復刻したし、関口存男に目をつけて。そのドイツ語講座を最初に刊行したのも彼である。のちに私の『大衆文学十六講』も彼が発行してくれた。これが大衆文学最初の研究書と言われていることは、世の知る通りである。聞けば、近ごろ、田中角栄の金脈をあばいて有名な立花隆は、この橘篤郎の甥だそうである。この八百板と橘が、そのころの大宅の助さん、格さんだった。

確かに中公文庫版『大衆文学十六講』を見てみると、昭和八年橘書店刊とあった。また植田康夫が『「週刊読書人」と戦後知識人』(「出版人に聞く」シリーズ17)で、『週刊読書人』の創刊メンバーで営業部長が橘経雄だったと語っているが、橘篤郎はその兄弟ということになる。ひょっとすると、橘経雄も『綜合ヂャーナリズム講座』の編集に関係していたのかもしれない。
週刊読書人と戦後知識人

もう一人の小澤のほうは『近代日本社会運動史人物大事典』に立項されていて、東大法学部に入学し、新人会に加わり、卒業後、朝日新聞社、内外社、日本外事協会、企画院に勤務とあった。またその著書『激動の中国と友好八十年』(谷沢書房、昭和六十二年)を読んで見ると、次の一説に出会った。
近代日本社会運動史人物大事典

 一九二九年四月、日本共産党に対する大検挙があって、私は党の機関紙を講読していたというだけで、池上署に七日間拘留され、それを機会として朝日を退社し、新人会の友人だった大宅壮一、服部之総らと内外社を創立してジャーナリズム講座十二巻、プロレタリア芸術講座六巻等を企画して出版活動をつづけたが、結局採算に合わず、三年で解散した。

この記述から内外社が『社会問題講座』完結後の昭和五年に創立され、判型と造本をまったく同じくする『綜合ヂャーナリズム講座』を立ち上げたことがわかる。服部之総は本連載603で既述しておいたように、『社会問題講座』の執筆者でもあった。

第八巻の巻末広告に、千葉亀雄・大宅壮一編輯と明記された『綜合ヂャーナリズム講座』は「我国唯一の新聞・雑誌・出版に関する専門的講座であり、同時に、ヂャーナリズムの一般常識を授くる移動大学である。講師は新聞雑誌界一流の権威二百余名を網羅」と謳われている。

これらの証言、記述、企画からして、大宅が自らの「第一期の子分」たち、新人会と『社会問題講座』などの編集、執筆者人脈を結集し、内外社をスタートさせたことが推測できる。しかしその出版活動が開始されると、ナップ=全日本無産者芸術団体協議会とのコラボレーションも作動していったと思われる。それはつまり日本プロレタリア美術家同盟、日本プロレタリア映画同盟、日本プロレタリア劇場同盟、日本プロレタリア作家同盟、日本プロレタリア音楽家同盟との連携を意味していた。

それが小澤のいう「プロレタリア芸術講座六巻」だが、これはナップ後援・内外社版『綜合プロレタリア芸術講座』のことである。本連載204などの秋田雨雀と江口渙監修、全十二巻とされているが、書肆研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』(八木書店)を確認してみると、そのうちの五冊しか刊行されていなかったようだ。

『綜合ヂャーナリズム講座』にはさまれた「内外社月報」にある江口の言葉によれば、『綜合プロレタリア芸術講座』は次のようなコンセプトに基づている。

 この講座の仕事は、プロレタリア芸術のあらゆる部門に亙つてあらゆる問題を取り上げて問題とし、更にそれを出来るだけ解り易い言葉で解き、かつ論じて労働者農民諸君や若いインテリゲンチャは勿論のこと、少年車掌や女工さんでさへも、一度この書を手にすれば、『プロレタリア芸術とはどんなものであるか』といふことをた易く理解できるやうなものを作り上げることにある。

またそこには「第一巻残部僅少至急御申込を乞ふ」というコピーとともに、第二巻の目次も示され、「文学篇」「演劇篇」「芸術篇」「映画篇」「音楽篇」の各論考が並び、ナップ五団体が全面的に協力しているとわかる。その例を一つだけ挙げれば、「美術篇」には岡本唐貴の「プロ美術に於ける形式の問題」の寄稿が見られる。いうまでもないかもしれないが、岡本は本連載212でふれた『忍者武芸帳』などの白土三平の父である。また単行本として、『日本プロレタリア美術集1931年版』の刊行も、「美術篇」と連鎖しているのだろう。

その他にも単行本には「映画篇」に属する山田光『大地との闘争』、「演劇篇」の村山知義『勝利の記録』、「文学篇」に当たる武田麟太郎の『脈打つ血行』、中條百合子『新しきシベリアを横切る』なども挙がっている。『綜合プロレタリア芸術講座』も含め、これらの単行本は未見だけれど、ここにも当時の大宅の広範な出版ネットワークを垣間見ることができるので、『綜合ヂャーナリズム講座』とともに言及してみた。


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