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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話638『綜合ヂャーナリズム講座』2

『綜合ヂャーナリズム講座』第二巻からも、次の三編を抽出、紹介してみよう。
 総合ジャーナリズム講座(日本図書センター復刻版)

 1 広津和郎 「新潮論」
 2   〃  「中小出版社の悩み」
 3 村田勇治 「通信販売とは何か」(出版物通信販売の研究)

1と 2 の広津が作家であるばかりでなく、出版を手がけていたことは本連載168「広津和郎、芸術社『武者小路実篤全集』、大森書房」などで言及してきた。また拙稿「円本・作家・書店」(『書店の近代』所収)において、広津が円本時代を迎え、『昭和初年のインテリ作家』の中で、文学者とは出版社・取次・書店という近代出版流通システムに従属する、単なる執筆業者、労働者にすぎないのではないかと考え始めていることにもふれてきた。
書店の近代 (『作者の感想』復刻版)

さらに広津は小説家であると同時に、初期には多くの評論を書いていて、その最初の『作者の感想』(聚英閣、大正九年)は日本近代文学館によって復刻されている。その他にも、回想『年月のあしおと』(講談社文芸文庫)からもわかるように、広津は硯友社の広津柳浪の息子、これも本連載253でふれたモーパッサンの『女の一生』の翻訳者として、出版の世界を複眼的に見てきたのである。そうした広津の複合的視点から、1と2 が語られていることになる。
年月のあしおと 女の一生 (広津和郎訳、角川文庫)

1の「新潮論」において、最初に『新潮』に関する二つのエピソードを提出している。ひとつは父の柳浪たちが『新潮』という同人雑誌を刊行しようとする矢先に、同名の雑誌が出されてしまい、父たちの雑誌は『にひしほ』として発刊されたが、数ヶ月で廃刊となってしまったことである。もうひとつは大学生になった頃の『新潮』の編輯者の松原至文が容貌魁偉な人物で、それに続く中村武羅夫も同様だったことからすれば、それが気の小さい文壇人を圧倒するための新潮社の佐藤義亮の戦略だったのではないかというもので、この二つのエピソードにしても、広津ならではのものではないかと思われる。

それに続いて、『新潮』が「天下の公器」であることを唱え、そのタイトルに背くことなく、常に当時に文学上の新運動に注意を払い、自然主義、白樺派、新思潮派に寄り添い、今やプロレタリア文学から新興芸術派に向かって紙面を解放していると論じる。だが新興芸術派は過去のトレンドよりも狭いもので、その生若い文学論への入れ込みは『新潮』の早や合点と退嬰性に起因している。それは「我々中年者」にとっての『新潮』の魅力をなくすようなところに向かっているのではないかという結論に至っている。

2 の「中小出版社の悩み」は次のように始まっている。

   出版は知識階級の仕事として面白い。その文化的意義は別にして、仕事そのもとしてだけでも面白い。一度出版をやつた事のあるものは、失敗してもその味が忘れられない。何度でもやつて見たくなる。(中略)
   かく云ふ僕自身も二度出版をやつて二度とも失敗した。それだのに少しも懲りてゐない。折があらば、もう一度やつて見たいと思つてゐる。

そして広津は一度目の失敗が会計を人委せにして使いこまれたこと、二度目は遊戯書として高級過ぎるものを出したことだと分析し、「これも僕の文学者的気質が、累(わざはひ)したのだ」とも述べている。そこで広津はまさに三度目の正直の備えとして、「この不況にも拘わらず、後から後から、新しい出版社が出て来る」にしても、「何しろこれは悪く云へばギャンブルだ」から、ひとつの提案をする。それは中小出版社の連盟による広告料や紙代の削減、取次に対する団体交渉である。かくして「了解し合へる同志だけでも結合し合つて、相互の利益をはかりながら、虎狼のやうな大出版社の征服主義に対抗すべきだと思ふ」と閉じられている。つまりこの一文は『昭和初年のインテリ作家』の出版社版なのである。前回、平凡社の下中弥三郎の言を取り上げ、現在とまったく変わっていないことにふれたが、中小出版社のほうも、広津のかつての指摘と同じ状況にあることに苦笑せざるをえない。

3 の「通信販売とは何か」の村田勇治に関しては巻末の「講師略伝」にも紹介はないけれど、その関係者と見なすしかないだろう。村田がいうところの「出版界の怪物」である通信販売屋は新聞、雑誌、公的広告機関の力を借りず、「個人的、潜行的広告術によって営業する出版書肆の請ひである」。その主たる書肆として、誠文堂、忠誠堂、玉文社、修文社、三洋社、大京社などが挙げられている。その出版物は「編輯もの」といって、著者による創作ではなく、発行者の要求によって、編輯者が機械的にあるものを集輯し、整理し、統一して一個のまとまった内容とするものである。「例を挙げてみれば、同じく菊池寛氏の小説を集めて一本にするにも、菊池氏の創作で全ページを埋るものではなく、『菊池寛警句輯』といつたやうに、氏の創作の中の警句めいた一節を抜き来つて、これを註釈し布衍するものである」。これは本連載267でふれた『波瀾曲折巨人の語る人生観』のような本をさしているのだろう。その他には次のようなものも挙げられている。

勿論中には六法全書或は漢和、英和、和英等の辞書類の如き堅いものもなきにしも非ずだが、それ等にしてからが、原著者の自ら監修し著述したものを堂々と出すことは殆んどなく、普通出版書肆の残本を整理するとか、古紙型を買ふとか、新刊書を安く買ひ受け、奥付だけを変へて売るとか、いろいろな手段を弄するのである。だから心ある通信屋は、その利益が如何に多からうとも普通出版屋(これは通販屋仲間では「新刊屋」といふ)に成り上ることを理想とし、新刊屋は通信屋を目するに塵溜めか泥棒のやうに心得てゐる。

ここに所謂赤本業界、「田舎者だまし」本の世界が広く語られていることなり、本連載でもしばしばふれてきた誠文堂と小川菊松もその系列に属することになり、それが出版社の厳然とした階級構造を形成するファクターとなっていたのであろう。だが本連載の目的のひとつは、このような赤本業界が果たしてきた役割を探索することであると付記しておこう。


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