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古本夜話644『綜合ヂャーナリズム講座』 8

前回、美術雑誌においても、専門の評論や記事だけでは成立せず、それらも含めてゴシップなども包括する一般雑誌と同様の編輯方針を必要するという『アトリエ』の編輯主任の藤本韶三の言を紹介しておいた。

『綜合ヂャーナリズム講座』にしても、それは同様で、これも前回の「出版屋うちわけ話」などはそれに属するだろう。今回ふれる第八巻にはこれもゴシップに近い甘露寺八郎の「出版書肆鳥瞰論(三)平凡社の巻」が掲載されているので、それと他の二編と合わせ、次の三編を取り上げてみる。
 総合ジャーナリズム講座(日本図書センター復刻版)

1 甘露寺八郎 「出版書肆鳥瞰論(三)平凡社の巻」
2 赤坂長助 「図書雑誌の販売と小売に就て」
3 苗穂一六 「出版宣伝雑誌」

1 の甘露寺の「平凡社の巻」は、前回の出口堅造の「出版屋うちわ話」の平凡社の金融に関する内幕をさらにクローズアップしたものといえる。それは「出版屋の新規開業に当つて」、「金は何処から出るか?」を平凡社に応用したものである。したがってこの甘露寺も出口と同じく、大宅壮一のペンネームであるかもしれない。

平凡社創業時代の丸ビルに日本柘植株式会社という高等ルンペン集団があった。その顧問役として、北海道釧路新聞社長兼遠藤商会主の遠藤清一がいて、東京中の主たる高利貸から数十万円をさらうほどの猛者だった。この遠藤が東京駅脇の赤い郵送車の逓送権を獲得し、一党の高等ルンペンを送りこんだ。そのことで遠藤商会は隆盛となり、その背後に福岡商事株式会社社長の小川島次がいて、『富強世界』や『致富講義録』なる株式雑誌、講義録を発行していたが、遠藤に寄り添い、次のプランを練っていた。甘露寺はそこに、本連載436で取り上げているけれども、思いがけない人物を登場させる。

 折も折、これも思ひを同じくしてゐた人物に、福岡商事高級社員の加藤雄策がゐた。加藤雄策とはそもゝゝ、こゝに論するところの平凡社長下中弥三郎夫人の実弟である。
 加藤雄策は商船学校出の男だ。平凡社が創業されるに及んでは、その支配人、人事課長となって宰領し、その地盤によつて平凡社から分離し、現在ではこのごろ売出しの「実話雑誌」を発刊してゐる非凡閣の主人としてをさまつた年は若ひが却々この道の苦労人とは知る人ぞ知るである。見透しも人一倍きく、平凡社華やかなりし頃の活動振はすさまじいもの、直木三十五などは手もなく彼に惚れこんだと云ふ話だ。
 この加藤雄策と小川島次は期せずして書肆樹立のプランを示し、義兄下中弥三郎の意のあるところを伝えた。時あたかも円本戦正に火蓋を切らんとする機運にあつた。彼等は鳩首凝議した。そこで福岡商事会社(中略)の払出の三千円内外の手形数枚は平凡社創立に貸し出された。

これらの真偽を確かめることはできないが、小川菊松でさえも怪訝に感じていた、加藤の下中に対する態度と羽振りよさを考えると、納得させられる気がする。

この手形が所謂融通手形であったことはいうまでもないが、当然のことながら、平凡社が隆盛になると、逆に福岡商事に手形を貸し出さざるを得ない。その手形の裏書をしたのは下中の埼玉師範時代の教え子で、民政党代議士の高橋守平だったという。高橋は下中のスポンサーの一人だとされていたが、平凡社の手形の裏書人であったと言う事実は伝えられていなかった。

甘露寺によれば、昭和三年の雑誌『平凡』の失敗に加え、このような手形の問題も絡み、驚くべきほどの円本全集出版が出されることになったという。私も拙稿「平凡社と円本時代」(『古本探究』所収)などで、平凡社と円本にふれてきたが、それらの出版に融通手形の問題がそこまで絡んでいたとは想像していなかった。もちろん自転車操業的出版だとは承知していたけれど。そして甘露寺は平凡社が昭和五年二月に手形不渡りを出し、会社は休業、債権者会議が開催された新聞記事を引用し、さらにその会議による再建案も提示し、「さて平凡社は何処へ行く?」としながらも、下中の「捲土重来を望んで止まない」と結んでいる。
古本探究

当社は「岩波書店の巻」も併録されていることもあり、こちらにも言及するつもりでいたが、平凡社の巻」が長くなってしまったこと、また「岩波書店の巻」は現在において、ほとんどが知られていることでもあり、今回は言及を省略したことを付け加えておく。

2 の「図書雑誌の販売と小売に就て」はそのまま1の平凡社の円本販売状況と密接にリンクしていて、しかもそれは取次の東京堂の取締役仕入部長の赤坂長助によっているのである。

赤坂は取次に関して、図書雑誌の「発行所と小売店の中間に介在して、それ等の販売を輔くる期間である」と定義する。そして単行本について、「昔は兎に角、現在では極めて特殊な場合を除く他殆んど委託販売制度であると云つて差支へない。委託販売制度とは図書類の発行所が、取次業者にその販売を委託し、取次業者はさらにこれを書く取引先の小売店に委託して販売をはかる制度である」と説明している。それらの定義と説明を提出し、円本以後の入銀制という新刊の低正味買切制の消滅と単行本の売行の生命の短さにふれ、その原因について、次のように述べている。

 つまり現在では発行所の或る部分が良い物を出すと云ふことなどはその目標でなく、出版物を投機的、金融的に発行してゐる為でもある。従つて其処に無統制に濫売が行はれ、生産過剰の事態が起るのである。で互ひに本が売れない売れないと云ふことになる。

まさにこれは現在の出版業界の状況を語っているようでもある。だがそれはすでに九十年前にも起きていたことを告げている。

しかしそれでもなお出版業界が成長を可能にしていたのは書店の増加であり、それが3の苗穂一六の「出版宣伝雑誌」の中に、朝鮮、満洲、台湾の植民地も含めた都道府県別書店数が挙げられている。「販売店は、三省堂、東京堂の如く、年額何万何十万を売上ぐる大店から小は小学児童を対手の、文房具から荒物煙草を兼業する、村の絵雑誌屋を含めて、昭和五年現在で、一万三千七百余軒の店がある」と記されている。そしてこれは拙著『書店の近代』にも述べておいたように、昭和十五年には一万六千店にまで増加していた。それが現在の一万四千店の書店数をはるかに上回っていたことになる。しかしそれでも赤坂が述べた、単行本をめぐる委託制下の出版状況は続いていたはずであるし、現在は書店数の減少の中で、それが起きているわけだから、いかに現在の出版状況が危機の中にあるのかはいうまでもないだろう。
書店の近代


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