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古本夜話646『綜合ヂャーナリズム講座』10

『綜合ヂャーナリズム講座』第十巻には神道久三「日本プロレタリア雑誌発達史」が掲載されている。プロレタリア運動におけるヂャーナリズムの歴史をトレースし、新聞や雑誌のスタイルや主筆者たちの名前も挙がり、簡略なチャートとなっている。だがこれは新聞、雑誌、人名辞典の趣もあり、残念ながら要約紹介に向いていない。
 総合ジャーナリズム講座(日本図書センター復刻版)

また『婦女界』主幹の都河龍「婦人雑誌の編輯」もあるけれど、すでに『主婦之友』の編集を取り上げているので、これもここではふれない。今回は次の四編を見てみる。

1 横溝正史 「探偵・猟奇・ナンセンス」
2 加藤武雄 「ヂャーナリズムと『創作』」
3 甘露寺八郎 「出版書肆鳥瞰論、誠文堂の巻」
4 本庄陸男 「児童をめぐる出版市場」

1 の横溝は当時『新青年』編集部から『文芸倶楽部』担当に移ったばかりであり、「探偵・猟奇・ナンセンス」は『新青年』の編集体験をベースにしている。そのことは「探偵小説といへば雑誌『新青年』の独占の感があつた」とか、ヴァン・ダインの『新青年』掲載の探偵作家の信条ともいうべき文章を引用し、探偵小説の本質的な価値を論じてもいる。

探偵小説の流行は日本だけでなく、世界を通じて顕著な事実で、とりわけ英米において一頭地を抜いている。その台頭と発達は近代の科学、機械文明と切り離せないし、現代小説の一つのタイプとして出現してきている。横溝はそれを補足する意味で、チェスタートンの「探偵小説はモダンライフに於ける詩の観念を表現する大衆文学中、最初にして而も唯一の形式である」という言葉を引用してもいる。

ただ日本の科学、機械文明がまだ英米ほどには発達していないことが、本格的探偵小説の出現に至っていない理由となる。探偵小説に寄り添う猟奇とナンセンスにしても、モダニズムの本質に徹することで地平を開いていくのではないか。確かに小栗虫太郎『黒死館殺人事件』や夢野久作『ドグラ・マグラ』の出現は、まだ数年を待たなければならなかったのである。
黒死館殺人事件 ドグラ・マグラ

2 の加藤武雄は本連載181でふれているように、新潮社の『新潮』や『文芸倶楽部』の編集者で、横溝と同じく、それが「ヂャーナリズムと『創作』」にも表われている。その書き出しは「創作といふ言葉が、純文芸的の作品―それも主として短篇小説を指すことになつたのは、何時頃からであつたらうか?」というものである。「創作」=純文芸的な短編小説とは大衆的読物風の作品と峻別する意味で使われていたようで、これは通常の近代文学史などにも記されていないはずだ。

その区別を現代に当てはめれば、葛西善蔵と三上於菟吉ということになるのだが、『中央公論』や『改造』が「創作」を重んじなくなってきた。それはジャーナリズムが歓迎するのが大衆文芸、通俗小説などの「面白い作品」という傾向に染まってきたからだ。だがここで「面白い」ということに関して、考えるべき時を迎えているのではないか。ここでもまたジャーナリズムと「創作」の相克が語られていることになる。

3 の甘露寺の「出版書肆鳥瞰論」は繰り返し取り上げてきたが、今回の「誠文堂の巻」はかなり特異な注視であるように思われる。それは彼の次のような言葉にも表われている。

 最近では誠文堂といへば「十銭文庫」で知られてゐる。しかし一般には、あんまりちやほやされない。こゝは地味な出版屋だ。地味といふのは、毎日の新聞広告面を出版界の社交界と見て、そこに、華々しく毎日顔を出さないといふ点でいふのだが、事実はその反対で、実際に中産階級以下の家庭には、想像以上に深く食ひ込んでゐる出版屋は誠文堂である、といへるのだから面白い。

そして「主人小川菊松氏の細い終歴は知らない」のだが、「興亡の多い出版界に特殊な地位を持つてゐる書肆」ともいっている。それから芳賀剛太郎『自習漢和辞典』その巻末広告の原田三夫『子供の聞きたがる話』全六巻などにふれ、次に今年の昭和六年における「記念半価大提供」のチラシ文と創業二十周年代バーゲンの広告を示す。

また誠文堂予約出版目録から九種類の全集や大系を挙げ、さらに八大雑誌の『科学画報』『子供の科学』『商店界』『広告界』『実際園芸』『無線と実験』『家禽と家畜』『スポーツ』もリストアップし、その発行事情と戦略を探っていく。

しかし甘露寺の誠文堂探索は戸惑いが明らかで、小川と誠文堂のスキゾフレニックな性格と企画と出版物に理解が及ばなかったことも伝わってくる。ある意味では岩波書店や平凡社などと異なるかたちで、小川と誠文堂は手強いのだ。それはクロージングの「誠文堂は、過去の書店であると同時に現在の書店であり、同時にまた将来の書店でもある」という言葉に象徴的に表われていよう。

4 の本庄陸男はこの時代にナルプ(日本プロレタリア作家同盟)に属し、多くの童話などを発表していたとされる。それもあって、「児童をめぐる出版市場」が書かれたのであろう。それは「恐ろしく小さな資本の駈け出し出版屋と、とてつもない大きな抜け目のない出版屋とが目をつける出版市場―そんなところに、学校といふものがある」と始まっている。八百万人以上の子供がいる消費市場として、そこには教科書や子供向けの出版物、「破廉恥出版物」も含め、洪水のように押し寄せ、「哀しげな小資本の出版屋」と「抜け目のない大出版屋」が参入していく。小出版屋は二千数百の児童書を有する模範学校の教師を口説き、ペン習字の隆盛を見て、『硬筆習字練習帳』を作り、その学校専用登録を取ることで、確実に売れ、しかも模範学校使用の宣伝レッテルはその販売に拍車をかけ、元は小さな文房具屋が堂々たる出版屋になった。

その他の出版屋の手口としては「その筋」の推薦状を散布する宣伝による販売で、安い日給の外交員を雇い、学校巡りをさせ、校長から口説き落とすのだ。何と本連載407の椎名龍徳『生きる悲哀』もそのような一冊だとされ、版元の文録社は巨万の利益を博したという。その他にも同様の雑誌や書籍が挙げられている。

しかしこれらは小さな出版屋のやることで、大きな出版屋の講談社は「膨大な、『字の読める』児童―子供の販売欲を手に入れること」に向かう。最初は先生への『キング』『講談倶楽部』、級長への『幼年倶楽部』『少年倶楽部』の贈呈から始まり、広告などによる洗脳で、学校全体を講談社の消費者にしてしまう。これらを通じて講談社文化が子供たちの潜在意識にも刷りこまれていく。それに抗するものとして、川崎市の公立小学校の文庫設立自治会での子どもの発言として、『少年戦旗』を子供のための本として挙げたというエピソードを記し、この一文を閉じているが、こちらはこちらでどうなのかという気にもさせられる。


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