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古本夜話652 ブラヴァツキー『霊智学解説』

前回ふれたように、明治四十三年十二月に博文館からブラヴァツキーの『霊智学解説』が刊行されている。しかしこれは発売所を博文館とするもので、厳密にいえば、博文館の出版物ではない。『博文館五十年史』の「出版年表」にその記載がないことは、それを裏づけている。

それが何を意味するかというと、奥付「訳者兼発行者」がE・S・スチブンソンと宇高兵作とあるように、この二人が印刷所を使って自費出版したと考えられる。そのことから、博文館が発行所と引き受けたと見なしていい。彼らが横須賀の海軍機関学校の教官だったことは前回既述したばかりだ。また菊判四六三ページで、定価一円五〇銭という設定にしても、かなり廉価であることを考慮すれば、どこからかの出版資金を得ての刊行だと推測される。

このことは本連載247でふれた鈴木大拙訳のスエデンボルグの『天界と地獄』にも共通するもので、奇しくもこちらも『霊智学解説』と同年三月に刊行され、定価も同じ一円五〇銭である。それゆえに後者は前者を参照しての定価設定だったとも考えられる。これは心交社復刻版の特色であろうが、ブラヴァツキーのポートレートも含めた口絵写真が六ページにわたって掲載され、その中には『霊智学解説』出版時の宣伝パンフレットもある。そこには「霊智学は宗教、義務、慈善に対して高尚なる見解を与へ、思想界の一大核心を謀り、宗教の狭義的束縛を除き、人類同胞主義を実際に教示するなり」とのブラヴァツキーの言も見えている。また明治二十年に平井金三たちによって京都に神智学会支部が設立された際に、アメリカ本部から交付の認可状の写真もある。

それらに加えて、『霊智学解説』The Key to Theosophy の翻訳だが、巻末に横浜の洋書店KELLY&WALSHと日本橋の丸善に在庫があると、THE OSOPHICAL PUBLISHING COMPANYの、これも三ページンに及ぶブックリストが掲載され、日本の明治末における霊智学=神智学の浸透を伝えている。先述したように、『霊智学解説』と『天界と地獄』は明治四十三年の出版であるけれど、この二冊にはさまるかたちで、同年の六月に柳田国男の『遠野物語』が刊行されている。
天界と地獄

このことに関しては拙稿「水野葉舟と『心霊問題叢書』」「心霊研究と出版社」「浅野和三郎と大本教の出版」「大本教批判者としての中村古峡」(いずれも『古本探究3』所収)を参照されたい。なお付け加えておけば、浅野和三郎は海軍機関学校で、『霊智学解説』の訳者二人と同僚だったと目されるし、中村古峡はこれも前回ふれた杉村広太郎が設けた共同生活所の聚星泊の寄宿生でもあったのだ。
古本探究3

さてここで『霊智学解説』の著者のヘレナ・ペトロブナ・ブラヴァツキー(以下HPB)に関して紹介しておくべきだろう。ただ彼女については簡略で要領を得た立項が見当らないので、『世界宗教大事典』(平凡社)や『世界神秘学事典』などを参照し、ここに提出してみる。

世界宗教大事典 世界神秘学事典

HPBはロシア生まれの神秘思想家、現代オカルティズムの劈頭を飾る人物、神智学協会の創立者。彼女は一八三一年にウクライナのエカチェリノスラフで、軍人貴族の父と小説家の母の間に生まれた。十八歳でエリバン州副知事のブラヴァツキーと結婚したが、間もなく夫のもとを逃げ出し、そのまま死に至るまでブラヴァツキーを呼称することになった。二十歳の頃からヨーロッパ、エジプト、インドと遍歴を続き、著名な若き霊媒として活躍する一方で、事業家としてインク工場や造花工場を営み、また探検家として世界の秘境にも向かった。このような遍歴の中で、比較宗教学、民族学、博物学、チベット密教、カバラ、エジプト魔術を研究、習得したとされる。しかし彼女のチベットへの入国、その山中での「大師」から得た神智学教義、霊的能力、太古からの秘教的知識の継承なども含め、二十代から三十代にかけての世界各地をめぐる遍歴は謎とされ、オカルティズムの歴史にその鮮烈な姿を現わすのは、アメリカにおける一八七五年の神智学協会設立以後といっていい。

HPBはアメリカで心霊術研究者として広く知られていたオルコット、及び弁護士のウィリアム・Q・ジャッジと出会い、神智学教会を設立する。それは先に挙げた『霊智学解説』の宣伝パンフに示された「霊智学」を「神智学」と代えれば、そのまま主旨、及び宣言となるものであっただろう。それに基づき、七七年にHPBは最初の主著『ヴェールをぬいだイシス』(Isis Unveiled)を刊行する。これは主として一四〇〇冊の古典的著作からの二一〇に及ぶ引用からなり、すべての宗教教義の背後には太古からの同一啓示が存在することを実証し、鉱物、植物、人間から霊的諸存在に至る存在界の壮大な宇宙的統一性についての根拠を提示しようとする試みだったとされる。Isis Unveiled は先のブックリストにも掲げられていた。そしてこれが十九世紀末から二十世紀初頭にかけて欧米のキリスト教文化に大きな影響を与えたという。

それが日本においては仏教の世界に表れたことになる。その理由は七八年にHPBとオルコットがインドに向かい、八〇年に二人はヤイロンで仏教徒となり、神智学協会のオリエンタリズムは八二年のマドラス近郊のアディヤールの本部の設置として表れ、この写真も『霊智学解説』に掲載されている。それがインドのみならず、イギリスや日本や中国にも大きな影響を与え、仏教連盟の招きによるオルコットの日本での講演に結びつくわけである。

その一方で、HPBは使用人の告発や英国心霊協会からの批判によって、神智学教会を退き、インドから去り、イギリスへ向かわざるをえなかった。そして八八年にもう一冊の主著Secret Doctrineを刊行し、九一年にロンドンで没している。その後、神智学協会は分裂の時代に入っていくわけだが、日本における『霊智学解説』出版は明治四十三年、すなわち一九一〇年である。それはアメリカの神智学協会が分裂独立し、キャサリン・ディングレーをジャッジに続く三代目の後継者とし、サン・ディエゴのポイント・ローマに学校が建設され、最盛期を迎えつつある時代だった。それもあって、『霊智学解説』の原書はそこでのものを使用していることから、HPBの一八八九年のロンドンから寄せた「序」に加え、「ポイントローマ版に託して」という一九〇七年の「カセリン・チングリー」の「序」に当たる一文も掲載され、一八九八年から霊智学会(Theosophical Society)から世界同胞及霊智学(The Universal Brotherhood and Theosophical Society)と改められたことが記されている。とすれば、杉村たちの仏教清徒同志会(後の新仏教徒同志会)にしても、その名称の由来はこのBrotherhoodに起因しているのかもしれない。

『霊智学解説』を通じてHPBに言及することも考えたのだが、必然的に訳語の変更などに伴ってしまうので、このような紹介になってしまった。それに主著の『ヴェールをぬいだイシス』も『シークレット・ドクトリン』も全訳が刊行されていないこともあり、HPBの全貌を語ることは誰にとっても難しいだろう。

ところが二〇〇三年に突然のように、ちくま学芸文庫としてHPBの『インド幻想紀行』(加藤大典訳、上下)が出版された。これはHPBが一八七九年からボンベー到着に始まるインド旅行を、原題を文庫サブタイトルの「ヒンドスタンの石窟とジャングルから」としてモスクワの新聞に掲載したものである。ロシア語書信原文からの英語版へのボリス・ド・ジルコフ編訳From the Caves and Jungles of Hidostan は一九五〇年に初版が刊行されたようだ。これを読むと、HPBの幻視者的な特質が紀行と文体に表出し、彼女の秘めたる学識と神秘的思想が浮かび上がってくるような、まさに幻想紀行に仕上がっている。そして私はマックス・ミューラーの『東方聖書』の影響を勝手に想定していたが、『ヴェールをぬいだイシス』や『シークレット・ドクトリン』に対しても、想像をたくましくしてしまった。同じ訳者と同文庫での出版を願って止まない。
インド幻想紀行 インド幻想紀行


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