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古本夜話657 荒木茂と宮本百合子『伸子』

『世界聖典外纂』で、「ミトラ教」「麻尼教」「スーフィー教』を担当している荒木茂は、その前年の大正十一年に岩波書店から『ペルシヤ文学史考』を上梓している。彼は古代から近代に至るペルシア語を一貫して学び、東大でペルシア語を教えた最初の日本人だとされる。またオマル・ハイヤムの「ルバイヤート」のペルシア原文からの翻訳を試み、『中央公論』に発表したのも荒木だった。

しかしそれらの仕事や業績よりも、当時の荒木は宮本百合子の最初の夫であり、『伸子』のモデルとして知られていたと思われる。二人が離婚したのは大正十三年であり、改造社からの出版は昭和三年だとしても、『伸子』の連載が『改造』で始まったのは十四年だったからだ。それにその離婚は沢部に美の「湯浅芳子の青春」というサブタイトルを付した『百合子、ダスヴィダーニャ』(文藝春秋、平成二年、のち学陽書房)にも描かれているように、荒木夫婦の間に侵入してきたレスビアンの湯浅との三角関係をひとつの背景とするもので、当然のことながら、モデルに関しても噂されていたにちがいない。
伸子(近代文学館復刻)百合子、ダスヴィダーニャ(学陽書房版)

以前に児童文学者の自伝を読んだことがあり、彼女はそこで、高校の同僚教師だった前夫を否定的に描いていて、気の毒な思いに捉われたことがあった。その児童文学者のことをある席で、やはり高校教師だった知人に話したところ、実はかつて彼女との結婚の話ももちこまれたと打ち明けられた。それを受けて、もし結婚していたら、代わりにあなたのことが同じように書かれたかもしれず、結婚に至らなかったのは幸いでしたねと答えるしかなかった。狭い地方の県立高校の教師の間であれば、そのように書かれたことで、二人の離婚の話が蒸し返され、また話題にされるにちがいなかったからだ。

『伸子』も、伸子というヒロインの結婚生活のトラブルと苦悩を通じての自覚と成長を描いた作品とされているが、『改造』という雑誌メディアの性格を考えれば、読者のほうは伸子と佃の結婚を、百合子と荒木の関係に置き換えて読んだと見なせよう。大正七年に中條百合子は建築家の父の精一郎のニューヨーク行に伴い、コロンビア大学の聴講生となる。そこでペルシア語を専攻する荒木茂と知り合い、八年に結婚する。彼は二十歳の頃にアメリカに渡ってきた、すでに三十五歳の老書生で、貧乏で地位もなく、「アメリカごろ」と評判もよくなかったし、彼女よりも十五歳年上だった。それゆえに両親も結婚には賛成でなかった。

それが鮮明に露出してくるのは二人の帰国後のことで、ありがちな夫と両親の葛藤に加えて、夫婦間の階級闘争のような色彩も帯びてくる。象徴的なのは、荒木の仕事をめぐる評価として表出している。それを『伸子』から見てみる。伸子は佃の「通俗的な、ペルシャ文学概論」に関して、「常套語を平気で数多く使ったり、まわりくどくて、明快な思想も感情もない文」を見つけ、「説明が足りないのよ ところどころ。まるで予備知識のないものが読むと、物足りないの。それに何というか、材料の底までたっぷり筆が届いていないようなところがある気がする」と批評する。

その荒木の『ペルシヤ文学史考』が手元にあるが、B6判上製函入、三〇〇ページのもので、定価一円八十銭、初版二〇〇〇部として刊行されている。もちろん私もこの分野に通じているわけではないので、評価は差し控えるが、伸子の言は気の毒のように見える。どのような経緯があって、大正十一年に岩波書店から出版されたのかわからないが、おそらくこの分野のものは初めての出版のように思えるし、ペルシア語の組版のことを考えれば、製作費も割高だったであろう。『伸子』の記述からしても自費出版のようではないし、岩波書店にしても、しかるべき推奨を受けての出版であり、またコロンビア大学のウィリアム・ジャクソン教授の英文による「序」も寄せられている。これが業績と認められたことで、荒木は東京帝大講師となり、翌年に『世界聖典外纂』への寄稿も依頼されたと思われる。こちらも百合子は読んだにちがいない。

しかしそのような関係にたどり着いた二人の結婚生活は終わりを迎えるしかない。これも『伸子』から引いてみる。

 面倒に云えば、佃という男、自分と彼との結合生活に導き入れられた、彼女に辛抱ならぬ中流的な精神や感情の不活発さ、貧弱な偽善、結局は恩給証と引きかえになるのが楽しみらしいいわゆる仕事の態度、それらと、とてもうまく調子を合わせて行けない自分を見出したということになるのであった。それ故、伸子は佃に対して、混じりけのない一面の気の毒さがあった。彼だけこの世でそういう生活を欲し、無批判なのではないから。彼女は、自分の欲するそのものが彼にもいると信じて、彼に結びついて、がむしゃらな熱情を詫びることができた。しかし、一人の人として伸子は疚しさなく、自分の主張を実行する心のよりどころがあるのであった。

新日本出版社の『宮本百合子選集』第十二巻所収の「年譜」によれば、大正十三年のところに「湯浅芳子を知る。/夏、離婚した。長編『伸子』の第一部「聴き分けられぬ跫音」を書き、『改造』へのせた」とある。
なお『伸子』のテキストは『同選集』第二巻所収を使用した。

宮本百合子選集』第十二巻(『宮本百合子選集』第十二巻)


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