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古本夜話659 ピッシェル『仏陀の生涯と思想』

前回の『耆那教聖典』の松宮春一郎の「故鈴木重信君を憶ふ」の中で、次のふたつの事柄が言及されていた。ひとつは鈴木が大正二年に公刊を目的とするのではなく、ドイツ語の研修のためにピッシェルの仏陀伝を翻訳したこと、もうひとつは病者心理の研究対象、もしちくは病者のための精神の糧となるべく、十三年間の闘病生活を日記にしたため、全快したら病弱者の燈として出版したいという希望であった。

耆那教聖典

後者は友人たちによって出版計画が進められていたと伝えられているが、それが実現したのか、確認することができていない。しかし前者は大正十一年に新光社からピッシェル、鈴木重信訳『仏陀の生涯と思想』として刊行に至っている。高楠順次郎の「序」によれば、ピッシェル博士はベルリン大学教授で、インド方言、とりわけパーリ仏教に造詣が深く、カルカッタ大学によって仏教の古典的研究を広めるために招聘されたが、インドの地にて病にかかり、客死してしまった。鈴木に関しては前回既述しておいたように、若くしてサンスクリット語、パーリ語に熟達し、仏教、耆那教研究、特に仏教の文芸的解明に異数の期待をもたれていたが、彼もまた不帰の客となってしまったのである。高楠は「著主、訳主倶にかく悲痛の歴史を存せし」と述べ、両者に「惜むべきかを」と哀悼を捧げている。

その訳『仏陀の生涯と思想』は南方仏教から見た北方仏教を混えての比較仏陀史と要約してもいいと思われるが、それに伴い、日本の新仏教運動と南方仏教の関係などの様々なことを教示してくれているので、そうした事柄をたどりながら進めてみよう。ピッシェルは近代仏教ルネサンスから始めている。十九世紀末から、かつてはインド学者や宗教研究者の間だけで知られていた「仏陀」の名前が広く知識人の口に上るようになり、インドで生まれ、周辺国に及んだその宗教運動は新しい生命を得て、洋の東西を問わず、第二の凱旋式を挙げんとしている。まず一八九一年にスリランカのコロンボで仏教を再び広めようとする大菩提会が設立され、カルカッタに本部を置き、南北インド、ビルマ、米国シカゴに支部を設立し、英語の月刊雑誌を発刊した。

そして一九〇三年には万国仏教協会という別の団体が組織され、広く布教を志し、南方仏教の聖典語であるパーリ語研究を試みた。その会頭となったのは仏教教義に精通したスコットランド人で、イギリス、ドイツ、アメリカ三国に会員や代表者がいて、定期刊行物としてBuddism を出版している。南方仏教の中心地のスリランカでは国内の学者がヨーロッパの学者たちと協力し合い、英語雑誌『仏教徒』(The Buddist )を刊行し、国外で広く読まれている。

そのような仏教における欧米を含んだルネサンスを概観した後、ピッシェルは日本の状況についても特筆している。

 最も盛大なのは日本に於ける仏教徒の活動である。そこには太陽女神天照大神を似て中心とする単純なる宗教に代つて、仏需両教を似つて国教となさんとする運動がある。日本の学者は欧洲に来てパーリ語やサンスクリット語を研究してゐる。私達は彼等が支那訳による北方聖典を編纂し重要な仏教徒の旅行記を支那文から訳出したり、また仏教教理の各部門に於て科学的研究を大成してくれた為に、自分達の仏教に関する智識に、重大な催進を与へた事を感謝せねばならない。編輯の上手な、特に挿絵に特色のある仏教雑誌「反省」(Hansei-Zasshi)が近頃まで「東洋」(The Orient)と改題して続刊されて居た。桑港にも伝導館を設立して雑誌「法の光」(The light of Dharma)を出版し主に米人に読まれて居る。

これを補足しておけば、高楠の他に、本連載512525の南条文雄や同510の渡辺海旭、513の島地黙雷たちの研究活動、また明治二十年代から始まった日本の新仏教運動とそれに併走していた仏教書出版の動向を伝えているのだろう。ただ『反省雑誌』が『中央公論』の前身であることはいうまでもないが、『東洋』と改題されたというのは間違いで、別の仏教雑誌と混同しているか、もしくは『中央公論』のことをさしているのではないだろうか。また『法の光』に関しては詳らかでない。

それに続いて、ピッシェルは仏教が東洋の一大宗教であるだけでなく、異教徒迫害、魔女裁判、十字軍も生じることがなかった救済の宗教であるゆえに、キリスト教を超える今日に最大宗教となったとまで述べている。そしてその仏教の起源と歴史がたどられ、仏陀の生涯とその教理、僧団における位置や儀式などが、これもまたマックス・ミュラーの言説をベースに語られていく。またドイツ探検隊がトルキスタンで発見したペルシアのグノーシス派の記録の読解に関して、「ベルリンの帝国人種学博物館の部長をしていたミユラー教授の鋭敏なる頭脳に感謝せねばならぬ」という一文にも出会うが、これもマックス・ミュラーをさしているのであろうか。

このピッシェルの『仏陀の生涯と思想』はこれらの記述の他に、インドから西域地方を経て中国や日本に伝わった「北伝仏教」(北方仏教)に対し、スリランカ、ビルマ、タイ、ラオス、カンボジアなどの南方諸国における「南方仏教」とパーリ語聖典に照明を当てていることが特色だと思われる。おそらく鈴木重信はこのピッシェルの原書に出会うことによって、パーリ語の習得へと向かったのであろう。


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