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古本夜話661 坂本健一と『コーラン経』

本連載655で示した松宮春一郎による「世界聖典全集刊行之趣旨」からわかるように近代科学文明の積弊に対して、その出版は霊的源泉、精神文明の輝きとしての世界の諸聖典の翻訳紹介を目的としている。それは国際状況からすれば、日露戦争から第一次世界大戦とロシア革命、国内にあっては大逆事件、シベリア出兵、米騒動などを歴史的背景とし、それに新仏教運動が併走することによって、出版企画が推進されたと思われる。

しかしその版元である世界文庫刊行会と松宮、その出版に関する予約直販システム、高楠順次郎を中心とする、マックス・ミュラーの『東方聖書』を範とした編集や翻訳などについて、本連載でも繰り返し言及してきたけれど、それらの詳細はいまだもって判明していない。訳者に関しても、ようやく本連載で三回続けて『耆那教聖典』の鈴木重信や『死者之書』の田中達のプロフィルを提出することができたが、第十四、十五巻『コーラン経』上下の坂本健一のことは不明のままだった。ただ「凡例」やまさに後書に当たる「コーラン経の後に書す」は「蠡舟」名で記されているので、坂本はこれを号としていること、また前者には次のような文言が見えていた。
世界聖典全集 (『世界聖典全集』前輯第七巻『耆那教聖典』)

 此訳本は、亜刺比亜文原本を座右に備へしも、訳者の原語の知識に貧しきため、主としてセール、ロドエル、パルマー諸訳本を参照して成れり。段落篇章に就きてはホェリー本に出でしアブヅル・カドルにも拠れり。蓋し簡潔治遵勁の名篇を為さんとして不明に失せんよりは、寧繁冗に流れんも丁寧詳密を期せんと欲せしなり。

これによって、『コーラン経』がアラビアと原典からの翻訳ではなく、主として英訳からの重訳だとわかる。「コーラン経の後に書す」によれば、ジョージ・セールはイギリスの東洋学者で、一七三四年に『コーラン』の英訳を刊行し、それに続いて仏訳や独訳も続いたようだ。なおパルマー訳「マクス・ミュラー叢書」とあるから、『東方聖書』の一冊かもしれない。

本連載565566でふれた大川周明の 『古蘭』(岩崎書店、昭和二十五年)、井筒俊彦の『コーラン』(岩波文庫、同三十二年)が翻訳刊行されるのは、いずれも戦後を迎えてのことである。それゆえに、坂本の『コーラン経』は英語からの重訳とはいえ、『コーラン』の先行する初めてに近い大部の出版だと考えて差し支えないだろう。しかも高楠順次郎の薫陶を受けた大川はもちろんのことだが、井筒にしても『コーラン経』だけでなく、『世界聖典全集』によって思想的なベースを確立したことは間違いないと思われる。
コーラン

そのような出会いについても、率直に語っているのは戦後三番目の翻訳者の藤本勝次である。彼は『コーラン』(『世界の名著』15、中央公論社、昭和四十五年)の解説「コーランとイスラム思想」において、まず昭和十三年頃の旧制高校時代に図書室の書架で見つけた『コーラン経』を書影入りで取り上げ、これが日本で最初の翻訳だと明言している。
コーラン

また藤本は、本連載567の田中逸平による大正十一年の中国訳からの翻訳『天方至聖実録年譜』(大日本回教協会、昭和十六年)、高橋五郎、有賀阿馬土共訳『聖香蘭経』(同刊行会、昭和十三年)、同577の回教圏研究所所長の大久保幸次が昭和十六年から月刊誌『回教圏』に連載した第三章までの翻訳といった戦前の『コーラン』翻訳史をたどっている。だが坂本に関しては、彼が『麻謌末』(博文館、明治三十二年)の著者だったことにしかふれられていない。しかしそのことによって、坂本は『世界聖典全集』の「編輯顧問及訳者」として招聘されたのではないだろうか。

この坂本の立項を『日本児童文学大事典』において、ようやく見出すことができたので、それを引いてみる。

 坂本健一 さかもとけんいち 生年不明〜一九三〇(昭和5)年?月。歴史家。号蠡舟(いしゅう)。一八九八年東京帝大史学科卒。北京京師堂に七年間出向の後、著述業。『通俗世界歴史』五巻(博文館)など著書多数。『世界歴史譚』6『麻謌末』(九九、博文館)は「一宗の教祖」であり、「百戦の英傑である稀代の偉人」(緒言)の激動の生涯を描いた少年向け英雄譚である。神示を受けた後、コーランと剣をかざして戦いに明け暮れる中でその人間的動揺も率直に述べてあり好感が持てる。

ここでは『日本児童文学大事典』の立項ということもあって、坂本の『コーラン経』の日本で初めての翻訳者としての役割に目が向けられていない。

それでも『博文館五十年史』で『世界歴史譚』を見てみると、明治三十二年に高山林次郎(樗牛)の『釈迦』から始まり、三十六冊に及んでいる。これは未見であるが、少年向き外国人伝記叢書で、十枚前後の挿絵が入り、著者は東京帝大出身で、『帝国文学』会員が半数を超えていたとされ、その中には上田敏『耶蘇』、桐生政嗣(悠々)『コロンブス』、松岡国男(柳田)『クロンウエル』も含まれている。ここでは坂本建(ママ)『マホメット』との記載が見える。ただ明治三十一年の『通俗世界歴史』は長谷川誠也とあるので、そのうちの何章かを担当していたことにより、先の立項となったのかもしれない。

このように少年用伝記の一冊として、『マホメット』を担当したことがきっかけとなり、坂本はイスラム教や『コーラン』への関心を高めていったと推測されるが、それがどのようにして『世界聖典全集』と『コーラン経』へとリンクしていったのか、その回路はまだ明らかになっていないことになる。


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