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古本夜話747 喜田貞吉『福神』

 前回、喜田貞吉にふれたこと、及び戦前の本ではないけれど、喜田の気になる一冊を入手しているので、それを書いておきたい。その一冊とは喜田貞吉編著『福神』(山田野理夫補編、宝文館出版、昭和五十一年)である。
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 その前に喜田に関する簡略なプロフィルを提出しておく。明治四年徳島県生まれ。二十九年帝大文科国史科卒。文部省図書審査官・文部編集に就任し、最初の国定教科書『小学日本歴史』を執筆、編集した。だが南北朝並立の記述が大逆事件に結びつくと攻撃され、四十四年に文部省を免職となる。大正二年京大講師を経て教授、昭和十三年に辞任する。その間の明治三十二年に日本地理研究会(後の日本歴史地理学界)を設立し、『歴史地理』を発行し、大正八年には『民族と歴史』(日本学術普及会)を創刊し、未解放部落の異人種、異民族、古代賤民起源説を打破する。前回の「ミネルヴァ論争」後の昭和十四年に亡くなり、戦後に平凡社から『喜田貞吉著作集』全十四巻が刊行されている。

 『福神』に収録の吉田の諸論稿は初出誌を掲載していないけれど、主として『民族と歴史』に発表されたものであろう。山田野理夫の「解説」によれば、『民族と歴史』は「特殊部落」や「憑物」に続いて、特別研究号として「福神」を編み、大正九年一月一日に刊行している。この特集に喜田の福神に関する論考が何編掲載されているかは不明だが、単行本の『福神』のほうは十八編で、すべてではないと思われる。

 『福神』の後半は、続けて出された「続福神」特集のための臨時増刊をそのまま収録している。それらの寄稿は喜田以外の九人によるもので、単行本四三〇余ページのうちの四分の一も占められていないことから考えても、前半の喜田の福神にまつわる論考は、これまで彼が発表したものの集成であろう。それならば、「福神」とは何か。冒頭の「福神沿革概説」を見てみる。
f:id:OdaMitsuo:20180111212907j:plain:h120(続福神研究号)

 喜田はそこで福神の歴史をたどっていく。古代の狩猟漁業時代は山、海、島、川、潮、野などを守り、それぞれの幸を与える神が福神だった。そのうちの野神や山神が道祖神、海神が弁才天女と混交して後に遺っていく。それらの神以外に、古代人は山林原野を跋渉し、波濤を凌いで海上を航行したことから、陸路、海路の神々の守護が最も必要で、岐神(ちまたのかみ)、道敷神(ちしきのかみ)、道解神(ちぶりのかみ)、船戸神も福神だった。だがこれらは幸を与える神とは異なり、道祖神に分類できる。

 それから農業時代に入ると、食糧供給が安定するようになり、狩猟漁業民も農民となり、原野も田畑へと変わっていく。里人が主流を占め、かつての山人や海人は傍流へと追いやられる。この時代において、最大の希望は五穀豊穣で、穀物の神が福神となり、それを宇賀神という。ウガとは稲を意味し、その名を負う倉稲魂神(うがのみたまのかみ)、その穀物を炊く竈神などの神々も福神として祭られていく。その一方で、宇賀神は蛇神と混交し、弁才天女と習合されている。

 しかしそうした農業時代が進行していくと、そのような生活に適合できない山人は放浪生活に慣れていたこともあり、漂泊生活を続け、「ウカレビト」として、男は狩猟と雑芸兼業者、女は「ウカレメ」といわれる遊女となり、両者は「クグツ」と称された。大江匡房はそれらを『傀儡子記』『遊女記』(『日本思想大系』8 所収、岩波書店)で詳しく描いている。これらの漂泊民の福神は行旅の生活から道祖神に他ならず、その刻したる像は数千に及ぶというが、道は誰もが通るので、広く一般にも崇拝されていたのである。
『日本思想大系』8

 その他にも動物崇拝に起因する福神である狐神、蛇神、インド伝来の毘沙門天、大黒天など、支那伝来の寿老人、福禄寿などの招福神、また地主神としての大黒や夷も加わり、室町時代からも七福神なるものが成立したことになる。

 そして喜田は次のように結論づけている。

 これを要するに福神とは人類の幸福を求めんとする思想の一の発露であって、時代により、社会によって一定しておらぬ。時代思想の推移と、社会組織の変遷とによって常に変わっているもので、この研究は単に福神その物を明らかにするばかりでなく、実に民族史上、社会史上の最も興味ある研究の一である。

 さらに日本の福神は農業五穀の神の宇賀神、主として傀儡子が祭った神の道祖神の二大系統に分かれるとし、次に宇賀神の章を立て、それから各福神へと及び、摩多羅神にも至る。摩多羅神とは威霊は盛んだが、まかり間違えば、恐ろしい罰を与える福神なのである。古く天台、真言宗によって祭られ、天台宗では西坂本の赤山明神、常行堂の摩多羅神、真言宗では東寺の夜叉神などが有名である。そうはいっても、摩多羅神は「得体の知れぬ神」であることに変わりはなく、経典などに確かな依拠は見出せない。

 ここで喜田の福神のふたつのヴァージョンだけを挙げたのは、その宇賀神と摩多羅神が半世紀を経て、新たに解明される回路をたどったからである。まず摩多羅神に関しては服部幸雄が『宿神論』(岩波書店、平成二十一年)で、比叡山内陣の摩多羅神像の写真や京都妙法院の摩多羅神画像を示し、それが中国から渡来してきた外来神にして、後戸に秘して祀られていた神、猿楽芸能民が守護神として崇めた宿神であることを明らかにした。
宿神論

 それを継承して、中沢新一は『精霊の王』(講談社、平成十五年)で、宿神=シュクジンと柳田国男の『石神問答』(『柳田国男全集』15 所収、ちくま文庫)をリンクさせ、ジャクジという「古層の神」を浮かび上がらせた。その中沢に先駆け、山本ひろ子は『異神』(平凡社、平成十年)において、第二章を「摩多羅神の姿態変換」、第三章を「宇賀神―異貌の弁才天女」として、いずれも実物のカラー写真を添え、摩多羅神と宇賀神という異神たちが暗躍した中世日本の秘教的世界、中世の「顕夜」を現出させている。
精霊の王』『柳田国男全集』15 異神

しかし服部にしても山本にしても『福神』を挙げてはいるが、それを最初に見出したと思われる喜田についての言及はほとんどなされていない。それは少しばかり残念なように思われる。また『福神』には宿神と翁、猿楽芸能民との関係に着目した最初の研究「宿神考」(『民族と歴史』大正九年十一月一日号所収)の収録がないことも同様に思える。


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