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古本夜話756 富永董、北野博美、地平社書房「民俗芸術叢書」

 本連載749、750と続けて小寺融吉の本を取り上げてきたが、書き終えてから、浜松の時代舎に出かけ、柳田国男の『民謡の今と昔』を見つけた。これは昭和四年に地平社書房から刊行されたものである。四六判一四六ページの地味な本で、調べてみると、筑摩書房の旧版全集『定本柳田国男集』第十七巻に収録で、かつて読んでいたことをすっかり忘れてしまっていたのである。

f:id:OdaMitsuo:20180207174232j:plain:h120定本柳田国男集
 
 それだけでなく、同巻には『民謡覚書』(創元社、昭和十五年)の収録に加え、その「月報」の町田嘉章「私が柳田先生から受けた大恩」には、昭和十六年五月の柳田と小寺の汽車内での写真掲載、及び小寺が十九年に病没したとの証言がある。町田は昭和戦前のNHKの邦楽番組担当者で、柳田を通じて、小寺と『日本民謡大観』を編んでいるという。とすれば、本連載750の『をどりの小道具』は戦前のものの再版、もしくは宮尾しげをによって編まれた小寺の遺稿集とも考えられる。

民謡覚書 をどりの小道具

 また同じく『定本柳田国男集』第七巻には、『踊の今と昔』(『人類学雑誌』所収、明治四十四年)を始めとする踊に関する論考も見え、柳田が小寺たちの先達として民謡や踊にも着目していたことを、あらためて教示してくれる。そのような柳田の仕事を失念していたのは、彼が芸能に関しての注視を払っていなかったという私的な思いこみによっていると反省するしかない。

 それに『民謡の今と昔』の購入は新たな発見をもたらしてくれた。これは本連載749でふれた雑誌『民俗芸術』に端を発する「民俗芸術叢書」の一冊で、既刊として小寺融吉『芸術としての神楽の研究』、近刊として中山太郎『祭礼と風俗』が挙がり、「月刊学術雑誌」としての『民俗芸術』とその『合本』の案内も掲載されている。それは『民俗芸術』の発行所が地平社書房に移っていたことを告げている。しかもその発行者は富永董なのである。やはり本連載749において、小寺の『郷土民謡舞踊辞典』の前版が『日本民謡辞典』で、それは壬生書院の富永によって刊行されたことから、彼は民俗芸術の会の関係者ではないかと記述しておいたが、まさに当事者に他ならなかったことになる。しかし富永も「本屋風情」のゆえなのか、『柳田国男伝』にもその名前は見当らない。

郷土民謡舞踊辞典 (『郷土民謡舞踊辞典』復刻) f:id:OdaMitsuo:20180131142506j:plain:h110

 さらにこれも『民謡の今と昔』の本体ではなく、そこにはさまれた「北野博美謹記」とある一枚の「お詫びの言葉」によって、本連載442などの北野が「民俗芸術叢書」の編輯者であることを知った。これは小さな投げ込みといっていい一枚なので、失われている確率が高いこともあり、その全文を引用してみる。

 此集の中、「民謡雑記」の一篇は、本叢書編輯の任にある小生が、風吹き荒む二月の末、無理に先生に訖うて筆録させて貰ったものであります。然るにいろゝゝな事情の為に其浄書が非常に遅れ、鉛筆の走り書きが消えさうになつてもまだそれが出来上らなかつたといふことは、先生に対して勿論、広告によつて疾くから註文を寄せられた読者諸氏にも、十分にお詫びをしたいと思ふのでありますが、今となつては、殆んどその言葉もありません。今日只今、微かな記憶と走り書きとを頼りに漸くこれを書上げました。只々、書上げて残念にも不安にも思ふ一事は、さうした事情の為に、折角話して頂いた先生の深遠なご研究の論旨を、少なからず不徹底ならしめたこともやあらんかと恐れせしめられることであります。発行の遅延に就いては一切を黙するとしても、これだけのことは是非述べて置かねばならぬ責を感じて此一筆を書添へました。先生並に読者諸氏の御諒恕を請ふ次第です。

 あえてここにそのまま全文を引いたのは、もはやほとんど読むことができないものであろうし、柳田の著作のかなりの部分がこのような聞き書きによって成立していると思われるからである。北野が別刷でここまで「お詫びの言葉」を発信した事情はダイレクトに伝わってこないけれど、柳田のことだから、何らかの理由が含まれているに違いない。『定本柳田国男集』第十七巻は「あとがき」で北野の口述筆記にふれているが、柳田の「朱筆訂正本」を採録したとある。だがそれは送り仮名の追加だけで、まったく内容は変わっていない「朱筆訂正本」だと思われる。

 最近になって、今村欣史による宮崎修二朗の聞書『触媒のうた』(神戸新聞総合出版センター)が出されたことで、「のじぎく文庫」の一冊として企画された柳田の自伝ともいうべき『故郷七十年』(朝日新聞社、講談社学術文庫)にまつわる未公開のエピソードを教えられた。柳田がエリート主義者であること、岡茂雄の『本屋風情』 (中公文庫)ではないけれど、とりわけ出版者や編集者に対して冷淡で、そのわがままぶりを承知していたが、戦後も同様だったようだ。その反映もあってか、柳田の周辺には多くの出版者や編集者がいたはずだが、それらの人物についての言及はきわめて少ない。そのことも作用して、『柳田国男伝』にしても、出版者や編集者の登場は多くなく、北野にしても姿を見せていない。
触媒のうた 故郷七十年 本屋風情
 それから『民俗芸術』のことだが、以前にその創刊号広告を見た記憶があり、それが『民俗』(復刻 岩崎美術社)だと思い出し、繰ってみると、昭和三年三月号に掲載されていた。その目次には折口信夫「翁の発生」、柳田「人形舞はし雑考」とともに、小野寺融吉「日本と欧州の娯楽的舞踏の比較」と北野博美「奥沢九品仏の連迎会に詣でて」も並び、発行は地平社書房で、『民俗芸術』の編集は富永や小寺や北野が中心となっていたことがうかがわれる。


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