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古本夜話765 里見弴『愛と智と』

前回、『実業之日本社七十年史』における、昭和十年代半ばからの文芸書出版の隆盛の記述を引き、作家と書名を挙げておいた。だが名前だけで、書名にふれていない作家もあった。その一人が里見弴で、彼は昭和十六年に小説『愛と智と』を刊行している。
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 戦前の実業之日本社の小説として、これだけは手元にある。その巻末には前回挙げた小説を含めて二十三册並び、壮観といえる。しかも四六判、上製函入の『愛と智と』は美本といっていいし、その装幀は箱と本体の表紙絵が異なり、前者はモノクロで若い母親と赤ん坊、後者はカラーで、まだ未婚らしき女性が描かれ、この物語のありかを伝えているようだ。装幀は小磯良平によるもので、戦時下を感じさせない。恐らく『愛と智と』も『新女苑』に連載された小説と考えられる。それもあって、この作品はほとんど言及されず、筑摩書房の『里見弴全集』にも収録されていないので、ここで紹介してみたい。
里見弴伝

 『愛と智と』は土井家の食卓の場面から始まっている。それを囲んでいるのは主人の宏太郎、夫人の操子、長男の敏光、主人公である三女の久美子の四人だった。三女という訳は大正十二年に鎌倉の別荘で関東大震災に遭い、別荘もろとも押し流され、長女と次女、次男の三人が亡くなっていたからだ。これは「この物語に大した関係はもたない」との作者の断わりも入っているけれども、この小説が予定調和的に進んでいかないことを暗示しているように思える。

 二十三歳の久美子は女学校を終えてからの五年間、家事に従っていたが、明日は結婚を控えている。彼女が味わってきたこの五年間の長さと落ちつきの悪さは、家族にもまったくわかってもらえなかったし、その挙句の果てに「仲人口と、興信所の調査以外に、なんの予備知識ももちやうのない一人の男」と「たった一度の見合い」で、「明日は、もうその男の妻」となるのである。その中尾は法学士で柔道三段、大財閥系の銀行勤めで、当年三十歳の大男とされる。しかし久美子にとっては「好きも嫌ひも、どだいそのめやすさえつかない」し、彼女は「諦め」の心境にいるし、母のほうも「娘の結婚を、人身御供にでもあげるように」思っている。父も内心忸怩たるものがあり、これから先は「智恵」と「愛」に基づく「お前の領分だ」というしかない。

 学士会館での結婚式と熱海への新婚旅行を経ての結婚生活は、未亡人の義母との同居であり、当然のことながらうまくいくものではなかった。二人は夫の仲間たちと大勢で、スキー旅行に出かけたが、猥雑な雰囲気で、久美子は落胆し、のけ者にされている感じがし、持ってきた『田園交響楽』を開いたりしていた。これはいうまでもなくジイドで、久美子が本を読む女であることを表象する場面となり、これが伏線ともいえるし、後にトルストイの『アンナ・カレーニナ』も出てくる。夫の中尾は落ちつかない性格で、本を読むことはない。読書をめぐるハビトゥスの相違が浮かび上がってくる。

田園交響楽 アンナ・カレーニナ 女の学校

 そして久美子は夫が「尊敬できない」という理由で、離婚しようとする。母はそんなことをいい出せば、世間の夫婦はほとんど成立しないと反対する。それを受けて、兄はやはりジイドの『女の学校』を例に出し、姉をかばう。父も母の言い分を認めながらも、同様にいう。

 「(……)尊敬すべき地位の人を、―良人には限らない、学校の先生だらうと、会社や役所の上役だらうと、また一家内の、親とか兄とかの目上だらうと、いかに尊敬したくも尊敬できない場合に、不真面目な奴なら、下等な優越感で、すぐいゝ心持にのさばり返つて了ふだらうけれど、誠実のある人間にとつては、これは可なり辛いことだ。敏や久美子が、さういふ正しい感情をもつてゐてくれたことは、……あたりまへだと思ふが、併し俺は、やつぱり嬉しいよ」

 ここに家庭小説にこめられたリベラリストとしての里見の戦時下体制批判が表出していると見るのは考え過ぎであろうか。

 しかしその後、娘の離婚話に反対していた母が敗血症にかかり、わずか一週間で亡くなってしまう。その見舞いに現れた中尾は、思いがけずに自らの輸血を申し出て、土井家の三人を感激させる。彼は「尊敬できない」夫から、「奇蹟によつて招き寄せられた人」に変身したようだった。だが母の通夜と葬儀も進み、「あの人にだつて、それア、いゝ面はあつてよ」との言ももれるけれど、復縁とはならず、父と兄と妹の三人暮しが始まり、父は娘と二人連れの関西への旅に出る。これは小津安二郎の『晩春』、また里見が『彼岸花』『秋日和』の原作者、また里見の息子の山内静夫が松竹の小津映画プロデューサーだったことを想起させる。この二作は『秋日和・彼岸花』(夏目書房、平成七年)として刊行されている。

晩春 彼岸花 秋日和 f:id:OdaMitsuo:20180219144530j:plain:h120 

 それらのことはともかく、久美子は旅の途中で悪阻を覚え、妊娠していることを知った。彼女は「出戻りになつてから、先夫の子を生むとは」という思いに対し、兄はフラアンジエリコの「聖母受胎」の絵を与え、彼女はそれを見つめて過ごし、男の子を分娩するに至り、父の名前にあやかって宏雄と名づけられた。土井家は四人に戻ったのである。そうした中で語られる父と兄の、硯友社から夏目漱石に関する文学談議は、孫と甥の宏雄がそのようなハビトゥスの中で育てられていくことを告げているかのようだ。それに最後の場面は、久美子が兄の恩師の仏文学者と再婚することになり、閉じられている。
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 しかしそれまで『愛と智と』には戦争の影響は希薄だったけれど、前夫の応召に続いて、兄の出征も近づきつつあり、「次第に一家の上に、何かしら灰色の霧でも立ち籠めたやうな」雰囲気に包まれていったのである。ここから『愛と智と』は、支那事変に兵士を送り出す背景を備える小説としての物語機能に覆われていく。

 それはおそらく実業日本社之が昭和十年代後半に刊行していた家庭小説や女性小説の強い色彩であり、そのことは同時代の小説にも共通し、それゆえにこそ多くの小説が書かれ、出され、読まれたといえるかもしれない。まさにいうなれば、本連載279の戸川貞雄『第二の感激』にも示しておいたように、これらの小説群は「銃後の共同体」を支えるものとして機能していたと思われる。

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