出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話768「仏蘭西文学賞叢書」と『サント・ブウヴ選集』

 前回はふれられなかったが、実業之日本社における昭和十年代半ばの文芸書出版の隆盛は外国文学にも及び、十五年から「仏蘭西文学賞叢書」が刊行されていく。それらの刊行予告も含め、ラインナップを挙げてみる。例によって番号は便宜的にふったものである。

1 エドワール・エストーニエ、桜井成夫訳 『孤独』
2 ロマン・ルウセル、新庄嘉章訳 『春のない谷間』
3 エルネスト・ペロション、朝倉秀雄訳 『眠れる沼』
4 モオリス・ブデル、今日出海訳 『北緯六十度の恋』
5 コンスタンタン・ウエイエル、芹沢光治良訳 『或る行動人の手記』
6 タロウ兄弟、水野成夫訳 『作家の情熱』
7 F・ミオマンドル、川口篤訳 『水に描く』
8 ジョセフ・ケッセル、佐藤正彰訳 『佯りなき心』
9 アンリ・フォコニエ、佐藤朔訳 『馬来に生きる』
10 ラクルテル、市原豊太訳 『妻の愛』
11 モンテルラン、河盛好蔵訳 『独身者』
12 デルテイル、杉捷夫訳 『ジャーヌ・ダーク』

f:id:OdaMitsuo:20180307162013j:plain:h120(『孤独』)

 これらは「叢書」名どおりフランスでゴンクール賞などの文学賞を受賞した小説の翻訳で、浜松の時代舎で入手しているのは1と9の二冊だが、いずれも水島茂樹によるフランス装にならった装幀で、それがこの「叢書」のフォーマットであろう。これらも含めて、ここでしか邦訳されていないように思える。とりわけ9のフォコニエ『馬来に生きる』は、本連載688の馬来を舞台とし、エグゾティスムとフランス人植民者の内的生活が交錯して成立している。訳者の佐藤によれば、「新しいエグゾティスムの小説」「真の植民地小説」と見なせるし、主たる登場人物のロランは作者を彷彿とさせ、「西洋と東洋との精神的な混血児」とも目される。

 フォコニエはこれが処女作で、一九三〇年にゴンクール賞を得ているが、無名作家の受賞はほとんどないし、その八年後に短編集を一冊だけ出しているだけらしいので、この『馬来に生きる』の一作で、日本への紹介は途絶えてしまったのではないだろうか。またそれはこの「仏蘭西文学賞叢書」のほとんどに当てはまるものかもしれない。

 『実業之日本社七十年史』はこの「叢書」に関して、「世間の一部からは敵性文学とそしられながらも多くの人々に愛読されたが、結局は当局の『不急不要文学』の烙印の犠牲になって続刊を断念したのは惜しまれる」と評し、九冊まで出されたとしている。だが所収の「実業之日本社出版総目録」を見ると、8までしか確認できないが、八冊は間違いのように思われる。それとも9の現物が確認できなかったことによっているのだろうか。

 それはともかく先の一文に続き、「こうして戦局の激化に伴いこの『不急不要』の範疇は文芸全体に拡張されるに及んで、わが社の文学書出版の芽はすこやかに伸び、華やかに開花しながら、実を結ぶのを待たずに終った」と述べている。

 その日本文学書出版の一端は前回に挙げておいたので、ここでは「仏蘭西文学賞叢書」に続いて、外国文学書出版のほうを見てみたい。まず「叢書」と関連してフランス文学だが、昭和十八年には辰野隆監修『サント・ブウヴ選集』第一巻が出され、戦後の二十三年に第二巻、二十四年に第三巻、二十五年に第四巻が続いている。これらのうちの第一巻『中世及び十六世紀作家論』第三巻『十八世紀作家論』を入手していて、前者は戦前版ではなく、戦後の二十三年に出され、奥付に重版記載はない。そこには「サント・ブウヴ選集」と題する小冊子がはさまれ、岸田国士や小林秀雄を始めとする「推薦の言葉」が収録され、第一回配本とあるので、装幀の青山二郎も同様だが、新たに戦後版、それも全七巻として刊行され始めたとも考えられる。
f:id:OdaMitsuo:20180308110553j:plain:h120

 この十九世紀最大のフランスの文芸批評家について、かつてサント・ブーヴ『月曜閑談』(土居寛之訳、冨山房百科文庫)を拾い読みしただけなので、語る資格はまったく有していないけれど、すこしばかりこの全七巻の構成にふれてみたい。それぞれの作家論の出典を見てみると、大半が全十五巻からなる『月曜閑談』からの抽出で、小冊子における中村真一郎の解題によれば、それに『新月曜』『文学的肖像』『女性肖像』からのものを加え、最終の第七巻には一般的文学論と方法論、自伝的論文、日記、雑録、書簡を収録し、さらに年譜と総索引を付す予定だったとされる。
月曜閑談

 そのために辰野の監修の下に、実質的に中村を編集者として、東大仏文科を中心にして五十人近くが召喚され、この一大翻訳プロジェクトに臨んだことになる。しかしいくら戦後の文化の時代を迎えていても、このようなサント・ブウヴの著作集が売れることはなかったであろうし、第四巻を出したところで中絶してしまったのであろう。そこまで刊行されただけでも快挙といっていいし、それ以後前掲の冨山房百科文庫版を除いて、そうした試みは二度となされていないといっていい。

 また「実業之日本社総目録」を見ていくと、「仏蘭西文学賞叢書」とパラレルに、ドイツ青年指導局『輝く鉄十字章』に始まる「ドイツ小国民美談」シリーズ、ハインリヒ・バッゲル『重たい血』などの『ドイツ民族作家全集』、アンドレ・モロワ『ツルゲーネフ伝』などの『伝記文学選集』、E・アンリエット『農園の夏』といった「アメリカ少年少女文学賞叢書」も出されている。これらは未見だが、いずれ入手する機会を得たら、取り上げるつもりでいることも付記しておこう。

odamitsuo.hatenablog.com
 
[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら