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古本夜話779 羽太鋭治、澤田順次郎『最近犯罪の研究』と天弦堂

 中村古峡の日本変態心理学会=日本精神医学会が、当時の「変態」というコードを通じて警察講習所などの権力構造とリンクしていたこと、及び『変態性欲』の主筆の田中香涯が羽太鋭治や澤田順次郎と並んで、「性欲三銃士」と称せられていたことを既述しておいた。ちなみに北野博美の『変態性欲講義』には参考文献として、両者の『変態性欲論』(春陽堂、大正四年)も挙げられていたのである。
変態性欲論 (『変態性欲論』)

 その羽太や澤田にしても、当然のことながら、警察などとの関係は生じていたはずで、大正五年に天弦堂から両者による共著として、『最近犯罪の研究』が出されている。二人の肩書は羽太が「ドクトル・メジチーネ」=医学博士、澤田は日本犯罪学会々員とあり、ここで彼らは「性欲三銃士」というよりも、同時代の専門の犯罪研究者としての姿を見せ、犯罪の原因や要素を分類し、犯罪者の体格や心理から生じる犯罪を分析し、それから不良少年と婦人の犯罪に言及していく。

 しかし田中を含め、「性欲三銃士」は本連載776の神谷敏夫『最新日本著作者辞典』にも立項されておらず、彼らはおそらく想像する以上に多くの本を出していても、発禁を伴うベストセラーメーカーだったことから、やはり広く社会的に「著作者」として認知されていなかったと見なせよう。

 その代わりといっていいのか、法学博士の花井卓蔵が「序」を寄せ、それは「三十余枚に及ぶ大論文」で、「例言」を記した澤田をして、「衷心肝銘せずには居られぬ」と感激させている。花井は拙稿「倉田卓次と『カイヨー夫人の獄』」(『古本探究』所収)でもふれておいたけれど、やはりフランスの裁判記録『カイヨー夫人の獄』にも「序」を寄せていて、同書において「鼇頭の評語」も付されていることも『最近犯罪の研究』と共通している。それらの事実、及び天弦堂の「発行者中村一六氏が利益を離れて、本書を出された篤志」との澤田の謝辞は、『カイヨー夫人の獄』などに連なるボランティア的法学書出版の系譜への信頼を意味しているのかもしれない。
古本探究

 この花井は「性欲三銃士」と異なり、明治から大正にかけての著名な弁護士で、多くの人名事典に立項されている。それは『現代日本朝日人物事典』も同様で、慶応六年広島県生まれ、明治二十一年英吉利法律学校を卒え、若くして刑事弁護人の第一人者とある。弁護士活動の他に衆院議員、貴族院議員として、長らく政界にもあり、その間に普選法実現のためにも尽力し、その一方で手がけた事件は一万件とされ、著名なものとして、星享暗殺事件、日比谷焼打事件、足尾暴動事件、大逆事件などがあり、社会主義や労働、農民運動絡みの事件の弁護を引き受けている。
[現代日本]朝日人物事典

 そのような花井の立ち位置もあり、『最近犯罪の研究』の「序」を引き受けたことになろう。そこでの花井の主張は、犯罪の原因が「病的と社会的境遇」の二種に求められるというものだ。病的犯罪は精神病者に多くあり、殺人、障害、放火、強姦、社会的境遇に基づく犯罪は窃盗、強盗、詐欺、文書偽造、横領などの財産に関するものといっていいし、無意識からの犯罪は「少年と老人と婦人」に求められる。その犯罪予防として、次のような政策が提案される。

 先ず犯罪の因つて起こる原因を究め、而してそれに対する適応療法を施すことが肝要である。即ち個人の徳義心を高めしむること、知能を啓発せしむること、良習慣と養成せしむること等で、これが犯罪の根本的予防である。而して之れを実行する方法としては、貧困者には産業を与へ、貧困の子弟は、特殊の学校に送り、不良少年は感化院に入れ、酒癖の悪い者は、酒容病院(日本には未だ無いけれども、欧米では盛んに行つて居る)に送り、精神病者は精神病院に入れ<<で、それぞれ治療を加ふることをせねばならぬ。此れ等は社会政策として行ふものであるが、完全なる社会政策は、犯罪を予防する上に於いて、大なる効果のあることを忘れてはならぬ。

 思わず、『監視することと処罰すること』を原タイトルとするミシェル・フーコーの『監獄の誕生』(田村俶訳、新潮社)を想起してしまったが、ここに日本における近代の精神病者と犯罪者、少年と老人と女性を含めた「監視することと処罰すること」の始まりと導入が宣言されていることになろう。そして必然的に、「変態」というコードを掲げる「性欲三銃士」たちも、この法的権力の下へと召喚され、併走していたのである。
監獄の誕生

 それはこれらの論文が『警察協会雑誌』や『監獄協会雑誌』に掲載されたものであることからも証明される。かくして澤田によれば、「本書は犯罪学、法学、医学、心理学、人類学、社会学及び教育学等の各方面より、犯罪の研究」となり、その「例言」の最後の一文がゴチックで、「此の書を、もと警察官たりし亡父の墓前に手向く」とあることを理解するに至る。

 この『最近犯罪の研究』も例によって浜松の時代舎で入手した一冊だが、ただその後、それ以外の天弦堂の本は目にしていない。


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