出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話780 マックス・ノルダウ『現代の堕落』

 しばらくぶりで前々回「大日本文明協会叢書」にふれたこと、またかなり長きに渡って探していたその中の一冊を最近になって入手したこともあり、これも取り上げておきたい。

 それはマックス・ノルダウの『現代の堕落』で、大正三年に大日本文明協会から刊行され、第二期の四十八冊に属すために、菊判で、索引も含めて四六九ページに及んでいる。

 マックス・ノルダウに関して知ったのは、ブラム・ダイクストラの『倒錯の偶像』(富士川義之監訳、パピルス)においてである。そこでノルダウは十九世紀後半の進化する男たちに、性と人種差別に基づく先祖返りのコンセプトを提出し、それで大成功を収めた『退化』という一冊によって、世紀末の混迷する社会における様々な女々しき事象の隅々に至るまで、この退化の状態が浸透していることを訴えた。そして本連載117のヴァイニンガー『性と性格』とともに、十九世紀末思想に大きな影響をもたらしたとされる。
倒錯の偶像
 
 幸いにしてノルダウは本連載70の『世界文芸大辞典』にノルドーとして立項されているので、それを引いてみる。
世界文芸大辞典 第一巻(日本図書センター復刻)

 ノルドー Max-Simon Sudfeld Nordeau(1848-1923)ハンガリーのユダヤ系文学者。ブタペストに生れ、パリに死す。ブタペストで医学を修め、パリに来てから多くの著書を出している。近代文明、即ち世紀末文化の頽廃を非難攻撃した。就中『変質』“Dégénerescence”1893-94)が最も知られ、彼はこの中で、病理学的立場から、ドイツを除く他の諸国の人々の変質を指摘し非難した。彼によれば、近代人は凡て変質と言つてよく、心身共に不具であり、過度に感動的にして、気力なく、非活動的・夢想的・懐疑的・神秘狂的である。かうした彼の論旨は、各方面に多大な反響を捲き起こした。バーナード・ショーなどは『芸術の健全』“The Sanity of Art”で彼の所説を反駁した。(後略)

 さすがに『世界文芸大辞典』らしい立項で、戦後の『岩波西洋人名辞典増補版』よりも要を得て、適格である。

 ここに挙げられている仏訳『変質』がダイクストラのいうところの『退化』で、彼は一八九五年の英訳Degenerationを参照している。おそらくこの英訳が中島茂一=孤島によって抄訳され、大正三年に『現代の堕落』(Entartung)として出版されていたのである。しかもその「序」を寄せているのは坪内逍遥で、「一時欧州の論壇を騒がせし博士ノルダウの本著は、近世文芸の代表者を月旦したるものとしては、其の言う所矯激に過ぎて批判の正鵠に外れたりと雖も、所謂世紀末の時弊を剔抉せるものとしては、今更頗る研味するに足るものなり」と始め、十七ページに及ぶ異例の長さだといっていいし、当時のノルダウの著作の大きな影響と拡散を伝えていよう。それを補足するように、大日本文明協会による「例言」も、「一八九三年、本書の始めて世に出づるや、甲論乙駁、是非の論、欧羅巴の天地に喧囂として底止する処を知らざる状態なりき」とも述べている。それにひょっとすると、論旨はまったく異なるにしても、坂口安吾の『堕落論』のタイトルも、このノルダウの訳書に起源を求めることができるかもしれない。
堕落論

 それらはともかく、ノルダウの世紀末批判は多岐にわたっているので、私がゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の訳者でもあることから、第四篇「写実主義」における「ゾラ及ゾラ派」を見てみよう。ノルダウによれば、フランスにおける自然主義は終わりを迎え、ゾラの弟子たちはすでに離反し、ただゾラ一人だけがそれを認めずにいるけれど、その写実主義は誤りであった。それはただ描写の技術と印象主義に基づき、現実生活を描き、自らの小説を、その環境を観察し人間の科学的記録としているけれど、ゾラは実際に観察などしていないし、「一度も人生の満潮の中に跳ぶ込まざりしなり。彼は常に紙の世界に閉ぢ籠れり」。かくしてその小説は「新聞紙と書物とより唯、無茶苦茶に採り来れり」の産物だと指摘し、具体的に種本の存在を挙げていく。

『居酒屋』におけるパリの労働者の生活、風俗、習慣、言語はプーローの『ル・シュブリーム』、『ナナ』のミュファ伯爵の色情狂的特徴の描写は、オトウェーの『保存せられたるヴェニス』に関するテーヌの書、『愛の一ページ』の中に描かれた冒険は『カサノヴァ回想録』からとられ、「彼は他人の書物の中より、其所謂写真的なる材料を取り来れり」。

居酒屋 ナナ 愛の一ページ
 それに加えて、『金』を書くときには株式市場を見学し、『獣人』を書くに際しては汽車に乗って旅行し、その「皮相な観察」を配合し、色をつけて「実験的小説」として提出している。それはゾラがその土地や住民の生活の真相を知らずに書いていることを意味し、結局のところ、ゾラのすべては誤謬、虚偽ということなり、それらの虚妄は『ごった煮』『大地』の出来事や悪行に明らかだとされる。そして『ナナ』に代表される病的傾向を評して、「彼は全く変質者なり。彼の作物は変質の産物なり」との結論が出される。

金 獣人 ごった煮 大地

 ノルダウにかかってはゾラの綿密な資料調査や取材旅行、同時代と生活を描こうとする意図も、すべてが変質者による剽窃、皮相な観察となり、「ルーゴン=マッカール叢書」は「変質の産物」、つまり「退化」に位置づけられてしまうのである。そのような眼差しがユダヤ人に向けられた場合、ドレフュス事件が起きたことになり、ドイツにあっては何が起きたかはいうまでもないし、同じように「ラファエル前派」から始まるダイクストラの『倒錯の偶像』も、それをテーマとしていることを付記しておこう。


odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com

 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら