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古本夜話795 『プロスペル・メリメ全集』と堀辰雄訳「マダマ・ルクレチア小路」

 『プロスペル・メリメ全集』のほうは『ボードレール全集』と異なり、全六巻を架蔵している。これも六隅許六=渡辺一夫装幀で、渡辺も第二巻の「エトルリアの壺」や「雙六将棋の勝負」などの訳者であるけれど、同巻には左翼から転向後の水野成夫が「シャルル十一世の幻想」などの四編を翻訳していて、『ボードレール全集』ほどの東京帝大仏文科人脈の印象は薄くなっている。翻訳者にして出版者でもあった水野に関しては、拙稿「水野成夫と酣燈社」(『古本探究2』所収)を参照されたい。
 f:id:OdaMitsuo:20180520102927j:plain:h120(『プロスペル・メリメ全集』)f:id:OdaMitsuo:20180520143316j:plain:h120 古本探究2

 それに加えて第三巻の「カルメン」は浅野晃、第四巻の「マダマ・ルクレチア小路」は堀辰雄、第五巻の「ロシヤ文学」は神西清が翻訳していることも特色であろう。ただそれらの全部にふれられないので、ここでは堀訳の「マダマ・ルクレチア小路」に限る。それは三島由紀夫が『文章読本』(中公文庫)で、堀辰雄へのフランス文学の影響に加え、堀訳ではないけれど、「トレドの真珠」「マテオ・ファルコネ」(いずれも杉捷夫訳)にオマージュを捧げていることにもよっている。

文章読本

 メリメはジプシー女性のカルメンとバスク人兵士ホセの悲恋をテーマとする『カルメン』が代表作で、ビゼーによってオペラ化されていることで知られていよう。だが彼の本職は歴史記念物監督官であり、その旅行体験などから得た作品も多く、『プロスペル・メリメ全集』の訳者の一人である杉捷夫編『メリメ怪奇小説選』(岩波文庫)が刊行されているように、「怪奇小説」の書き手でもあった。「マダマ・ルクレチア小路」もそうした一編に挙げられるので、堀の達意の訳文をたどり、これを紹介してみたい。それにこの翻訳は『堀辰雄全集』(新潮社、昭和三十三年)の第五巻に収録され、彼の翻訳の中で最も長いものだけれど、もはやまったく読まれていないと思われるからだ。
カルメン カルメン メリメ怪奇小説選

 主人公の「私」が羅馬に行くに際し、父は多くの紹介状を書いてくれたが、その中には閉じられた一通があり、その宛名は「アルドブランディ侯爵夫人様」と書かれていた。それは父の居間にあった綺麗な婦人の小型の肖像画、父が言うところの「蓮葉女」その人ではないかと思われた。羅馬に着き、「私」は聖マルコ広場の近くにある彼女の立派な邸を訪ねた。下男に手紙と名刺を渡すと、家具は粗末だが、夥しい数の絵がある客間に通された。

 その中にレオナルド・ダ・ヴィンチの手になるような婦人の肖像画があり、コレクションの白眉に思えたので、よく見ると、その服装は父の所蔵する「蓮葉女」とまったく同じだった。侯爵夫人によれば、それはレオナルドによる「有名なルクレチア・ボルヂアの肖像」で、「私」の父もそれを一番ほめてくれたといった。侯爵夫人はかつての美しさを失っていなかったけれど、そこには「蓮葉女」の面影があった。しかし表情と身だしなみは変わり、「黒づくめのなり」をし、「彼女が信心深くなりすましてゐる事」を示していた。ここまできて、この「マダマ・ルクレチア小路」が「ルクレチア・ボルヂア伝説」を重ね合わせて書かれていることに気づく。

 それでも彼女は父の手紙もあり、「私」を優しくもてなしてくれたが、羅馬の画家などは悪い仲間となり、危険なので、付き合わないようにとの説教も聞かされ、やがて僧となる次男のドン・オタヴィオを紹介に及んだ。その後「私」は町で、一人の神父に、彼と間違われるという体験した。一方で、「私」は知り合いの画家から、次のような話を聞かされた。侯爵夫人は若い頃、「かなり放縦な生活」をしていたが、「もうそんな好(すき)事をしてゐる年」でもなくなると、「深い信仰に身を投じ」、金と狩猟にしか目が向かない俗物の長男の代わりに、次男を「未来のカルディナル僧」に仕立てようとしている。そのために彼は彼女の「最後の友達」である神父の手に委ねられ、一人での外出も婦人に目を向けることも許されていなかった。神父は専制的権力によって家中を支配してもいたのである。その神父によって、「私」は彼と間違われたことになる。

 「私」とドン・オタヴィオと神父は教会に出かけたが、彼は神父にはわからないから、仏蘭西語で話そうと始め、それは人物が一変したかのようで、自分が仏蘭西人なら代議士になるといった。また「私」は侯爵夫人の邸で、独逸の婦人を紹介され、「私」があの肖像画の目は今にも動きそうに見えるといったところ、彼女は身を慓わせ、「恐ろしい話」を聞かせるに及んだ。彼女の義妹は、軍隊に義勇兵として属していた青年の許嫁だった。彼は彼女に自分の肖像を与え、それは彼女も同様で、彼はそれをいつも胸につけていた。ある日のこと、彼女はその肖像が目をつぶるのを見て、胸に激痛を覚え、気絶し、彼が戦死したといった。彼女は間違っておらず、彼は敵の敗残兵の弾丸を胸に受け、彼女の肖像を壊していたのである。

 そのような話の後、「私」はコルソオ街に出ようとして、これまで通ったことのない「曲りくねつた、狭い小路」を抜けていった。すると「微かな声」がして、「一個の薔薇」が足元に落ち、「一つの窓から、白い着物をきた女」が見えた。「私」がその薔薇を拾い上げ、窓を見ると、それはすでに締まり、女も消えていた。その翌日、あらためて「私」は正装し、その少ししおれた薔薇をボタン孔に差し、「王女の住んでゐる家」をめざし、その小路に向かった。そこはマダマ・ルクレチア小路と呼ばれていたのである。その名前はあの肖像画、及び前夜の話を想起させ、その「王女」がルクレチアかもしれない、あの肖像画に似ているのかもしれないと思った。

 しかしその家は想像していた立派な邸どころではなく、古ぼけた二階建で、窓の鎧戸は閉ざされ、門には南京錠がかかり、白黒で「売家または貸家」と書かれていた。それでも「私」は好奇心にかられ、近所を尋ね回ると、その家の鍵を預かっている老婆のところにたどり着いた。「私」は老婆と一緒に家に入り、それぞれの部屋を見てみると、この家が十五世紀頃のもので、家具は何もなく、壁などが腐蝕し、剥がれていた。あの「王女」を見かけた二階に上がると、そこには大きな肱掛椅子があり、なぜかそれだけ埃がたまっていなかった。そこで「私」は老婆に金を与え、「どうして此家の事をルクレチアの家なんぞと言うんだい」と聞いた。

 老婆は語り始める。異教時代のアレキサンドル様の治世に、マダマ・ルクレチアという美しい姫君がいて、それは梁受けに「稚拙に彫られた女神シレエヌ」のことで、姫は「好事(すきごと)」を好まれ、宮を離れ、この家を建てた。そしてこの窓のところに坐り、男振りのよい騎士が通ると呼び入れ、おもてなしをした。だがそれを外で話されると、姫の迷惑となるので、その愛人に暇を告げると、家来たちがそこの階段で待ち伏せて殺し、あの花壇の下に埋めたのです。ところがある時、姫の兄が通り、それに気づかすに呼び入れ、同じ処置がとられた。姫は兄が忘れた手巾から、その名前を見て、自分たちの犯した罪に気づき、あの梁で自ら首を縊ったのです。夜分にはその幽霊が出ると評判になっていると。

 この話を侯爵夫人の邸ではできないので、「私」は例の画家に話した。それは「君がルクレチア・ボルヂアの亡霊を見たんだ」という答えがあり、さらに注釈も添えられていたが、「私」を満足せしめるものではなかった。それもあって、「私」はその家の前で何度も足を止めた。しばらくして寒い晩に、ドン・オタヴィオに会い、「私」が外套を持ち合わせていなかったので、彼は自分の外套を渡し、その着方も教えてくれた。それにくるまり、聖マルコ広場の歩道に差しかかると、一人の男が近づき、「私」に紙を渡した。そこには「あなた様のルクレチア」の名前で、「今夜は入らつしやらないで下さいまし、さもなくば私共は破滅です」と書かれていた。だが「私」は無意識にマダマ・ルクレチア小路に向かい、家の窓が開いているのを見つけ、「ルクレチアかい」と繰り返しているうちに、自分の胸に恐ろしい打撃を受け、舗道の上に倒れた。「私」にむかって「ルクレチア様の御報(おむくひ)だ」という叫びが上がった。

 「私」はすぐに立ち上がったけれど、外套や上着に孔があいていた。それでも弾丸は羅紗の襞のために力を弱められ、ひどい打撃傷だけですんだ。その時、気がつかず、背後にいたドン・オタヴィオが後ろから怪我はなかったかと尋ねた。そして彼は「人違ひ」だといい、「此謎が解ける」まで、誰にもいわないようにと頼んだが、数日後、ドン・オタヴィオは「自分を一緒に連れて往つて貰いたい」といい、「私」は了承し、ホテルに戻ると、中庭に旅装馬車が待っていて、しかも「マダマ・ルクレチア」が部屋で待っているとのことだった。「私」が部屋に上がると、若い女がいた。それから変装したドン・オタヴィオが現われ、三人で出発した。ドン・オタヴィオは、豪農だが、あまり評判の好くない男の妹である可愛らしい娘と好い仲になっていた。二人はマダマ・ルクレチアの家であいびきを続けていて、あの晩彼女は「私」と彼を間違えたことで、因業な兄が「私」との密事だと思い込み、「私」が撃たれることになったのである。

 その後、三人はフロオレンスに着き、ドン・オタヴィオはルクレチアと結婚し、パリへ立ち、「私」の父の和解交渉が功を奏し、オタヴィオは侯爵の父の死によって爵位と財産を相続し、「私」は二人の最初の子供の名付親になった。

 この『プロスペル・メリメ全集』の推薦キャッチコピーとして、芥川龍之介の「ゴオチエ今日読むあたはず、メリメ日に新たなり」という言葉が引かれている。この「マダマ・ルクレチア小路」を読むと、芥川の述懐がよくわかるような気にさせられる。


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