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古本夜話803 国木田独歩『欺かざるの記』後篇と隆文館

 実は前々回の吉江孤雁『緑雲』と一緒に、浜松の時代舎から購入してきた一冊があり、それは国木田独歩の『欺かざるの記』後篇である。これも続けて書いておくしかない。
f:id:OdaMitsuo:20180617113401j:plain:h110(『緑雲』)

 この『欺かざるの記』は本連載156で、前篇を刊行した佐久良書房にふれ、やはり小川菊松の『出版興亡五十年』に見える、「この『欺かざるの記』は上巻だけを佐久良書房が発行し、下巻は草村松雄氏の隆文館から発行したのはどういう訳であつたろうか」という証言を引いておいた。その時には古本屋で『欺かざるの記』前篇は見たことがあったけれど、実際には入手しておらず、学習研究社版『定本国木田独歩全集』を参照するにとどまっていた。ただそれは独歩の自筆本を定本とし、詳細なテキストクリティックが施されたもので、用意周到な編集と校訂による決定版だと思われた。それでも塩田良平の「解題」において、『欺かざるの記』の校訂が田山花袋、田村江東、斎藤弔花の三人によることが記されているが、どうして前篇と後篇が「共版」ではなく、佐久良書房と隆文館による「分離出版」だったのかの説明はなされていない。
出版興亡五十年

 また私もそこで、佐久良書房(左久良書房)の発行者が細川芳之助、関宇三郎、戸田直秀など、その編集主任が『欺かざるの記』の自筆本を入手していた柴田流星だったことを既述しておいた。しかし「分離出版」問題はずっと不明のままだったし、そこに隆文館の『欺かざるの記』後篇と出会ったことになる。隆文館に関してはこれも本連載157の「隆文館の軌跡」などでたどっているし、発行社の草村松雄=草村北星についても、同152などで近代の特筆すべき出版者としてのプロフィルを提出しておいた。

 また作家としての北星に関しては拙稿「家庭小説家と出版者」(『古本探究Ⅲ』)を参照されたい。出版明細は『欺かざるの記』の巻末の「隆文館新刊図書目録」にも明らかで、書名は挙げられてないが、北星を含め、塚原澁柿園、菊池幽芳、小栗風葉、徳田秋声、広津柳浪などの小説を始めとする百八十冊ほどが二〇ページにわたって掲載されている。このようにまとまった「隆文館新刊図書目録」を見るのは初めてのことでもあった。

古本探究Ⅲ

 前置きが長くなってしまったけれど、ここで『欺かざるの記』自体に戻らなければならない。この後篇の隆文館からの刊行は、明治三十七年に独歩が星亨の『民声新報』編集長に就任し、そこに在籍していた草村と親交があり、そのことに起因しているのではないかと考えていたが、それだけでなく、「同目録」には田山花袋の『花袋小品』『旅すがた』なども挙がっているので、花袋を通じての出版だったのかもしれない。

 『欺かざるの記』は独歩が明治二十五年から書き始め、同三十七年に至るまでの手記で、一部は発表されていたが、全文は死後の公刊であった。同書は近代文学史において、石川啄木や樋口一葉の日記と並んで、不朽の日記、しかも文学作品として高く評価されている。その後篇は明治二十七年四月から三十年四月にかけてで、サブタイトルとして、「事実=感情=思想史」が付されている。これは独歩自らによるもので、菊判七四二ページに及ぶ大冊である。この函入の一冊の実物を初めて目にするが、濃紺のシックな美本で、函背にはタイトルが記されておらず、どのようにして書店で売られていたのかを考えると興味深い。しかも大冊のわりには安い定価の二円五十銭である上に、「特価金二円」と奥付表記もなされている。おそらくかなりの部数ゆえの特価設定と推定され、独歩の死後の人気を伝えているようにも思える。

 またそれが記された奥付の上には著者の独歩と並んで、遺族代表者として、弟の国木田収二の名前もあり、発行者は草村、発行所は確かに隆文館と佐久良書房が並んでいる。それともに、あらためて驚かされるのは、後編の冒頭の明治二十七年四月一日に記された次のような述懐である。

 農夫として一生を運命づけられたる者は、田野を耕して其の幸福を希ひつゝ一生を送る。
 吾は文士として、文を作りて以て一生を送るべく運命づけられたるのみ。以て自ら幸にす可し。如何すれば幸にするを得るか?美妙を発揮するに就て只だ正直熱心に働けば足る。如何にして美妙を発揮し得るか、大我のみ。同情のみ。信仰のみ。

 まだ近代文学は誕生したばかりだったし、それらのインフラとしての出版社・取次・書店という近代出版流通システムも形成されるつつあった時代に、早くも「吾は文士として、文を作りて以て一生を送るべく運命づけられたるのみ」と自覚していたことになるのだから。独歩が『武蔵野』を民友社から刊行するのは、それから七年後の明治三十四年だったのである。

 しかしこの後篇の圧巻は、明治二十八年から二十九年にかけての佐々城信子との出会いと結婚、信子の失踪とその破局であろう。それを象徴するかのように、口絵には独歩と信子を描いた満谷国四郎の作品が置かれている。『欺かざるの記』は独歩の文士としての「運命」に基づく「大我のみ。同情のみ。信仰のみ。」の生活に信子が耐えられなかったことを暗示していよう。だがそうした結婚と破局を経ることで、独歩は『武蔵野』を上梓するに至り、文士として「以て自ら幸にす可し」という境地に達したにちがいない。

 ただその一方で、自らが独歩社を興し、出版社・取次・書店という近代流通システムが加わり、破産に至るとは想像だにしていなかったと思われる。このことに関しては、拙稿「出版者としての国木田独歩」(『古本探究Ⅲ』所収)や黒岩比佐子『編集者 国木田独歩の時代』(角川学芸出版)を参照してほしい。
 編集者 国木田独歩の時代


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