出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話816 ジイドの時代と『ソヴエト旅行記』

 やはり白水社のアンドレ・ジイドの『贋金つくり』(山内義雄訳)を入手している。これは昭和十年二月初版発行、十四年八月十三版と奥付に示され、順調に版を重ねているとわかる。『白水社80年のあゆみ』を繰ってみると、前々回も記述しておいたように、昭和六年に『窄き門』、十年に前書と『贋金つくりの日記』(鈴木健郎訳)、十一年に『二つの交響楽』『地の糧』(いずれも今日出海訳)が出されている。
(『白水社80年のあゆみ』) (『窄き門』)(『贋金つくりの日記』)
(『二つの交響楽』)

 その一方で、春山行夫が「私の『セルパン』時代」(林達夫他編著、『第一書房長谷川巳之吉』所収)で、昭和十二年の『セルパン』五月号の「出版部だより」掲載の「ジイド日本の読書界を席捲す」にふれている。そこで小松清訳『ソビエト旅行記』の売れ行きが三ヵ月で七千部に達していて、「本年度の最高のレコードホールダーになるでせう」との言を引いている。

第一書房長谷川巳之吉 

 この実際の表記は『ソヴエト旅行記』で、手元にある。奥付を見てみると、昭和十二年二月初刷三千部、四月二刷一千部とあり、「出版部だより」を裏づけている。巻末広告にはいずれも堀口大学訳のジイドの著作『未完の告白』『新しき糧』『一粒の麦もし死なずば』『女の学校・ロベール』の四冊が並び、これらもこの二十日間ほどで、合わせて七千部が重刷となり、「こんな例は日本でもいままで余り類例がないことで、今日の知識人がいかに読書の選択に於いて本格的になってきたかが立証されて頼もしいかぎりです」との言も引かれている。それに春山は『未完の告白』と『女の学校・ロベール』が、いずれも昭和十四年二月に第十六刷に達し「当時の記録としては驚異的な数字だ」と記し、他の文芸書重版状況も示し、「第一書房にとっては、その繁栄の序の口であった」と証言している。先の『第一書房長谷川巳之吉』所収の「第一書房刊行図書目録」を見ると、ジイドはさらに昭和十二年『ソビエト紀行修正』、同十三年『田園交響楽』(いずれも堀口訳)、十四年『芸術論』(河上徹太郎訳)と続いている。

 しかし『ソヴエト旅行記』はジイドの他の著作と異なる読まれ方をされ、そのことで、三ヵ月で七千部にまで達したのではないだろうか。ジイドは一九三六年六月にゴーリキーの瀕死の病を知らされ、飛行機でモスクワに向かい、その翌日、その死に接し、赤の広場での告別式で追悼の辞をのべた。それから二週間、モスクワに滞在して様々な施設や人々を訪れ、さらに一ヵ月ほどソビエトの地方を回り、帰国した。そこで同行した一人である『北ホテル』の作者ウージェヌ・ダビを猩紅熱で失ったために、『ソヴエト旅行記』はダビに捧げられている。

 それまでジイドはコミュニズムの同調者だったが、この旅行から戻ると、『ソヴエト旅行記』を書き、反スターリン主義の立場に転じ、フランス共産党からも離反することになったのである。それはこの旅行記の次のような言葉にも明らかだろう。

 今日ソヴエトで強要されてゐるものは、服従の精神であり、順応(コンフォルミズム)である。したがつて現在の情勢に満足の意を表しないものは、みなトロツキストと見なされるのである。われわれはこんなことを想像してみる。―たとへレーニンでも、今日ソヴエトに生きかえつてきたら、どんなに取扱はれるだらうかと。
 スターリンはいつも正しいといふことは、とりも直さず、スターリンがすべての権力を握つてゐるといふことと同じである。

 フランスで同書が発売されると、わずか二ヵ月で百五十版を超え、政治、思想、文学界に侃々諤々の論議が引き起こされたという。それを受けて、小松清による邦訳も刊行されたことになり、まさに日本でもポレミックの書となったことは想像に難くないし、実際にそうであったと推測される。

 この『ソヴエト旅行記』は例外に属するとしても、本連載でも昭和十年代の様々な外国小説や翻訳シリーズ、及び外国文学全集などを取り上げてきたが、このような翻訳出版状況は第一書房だけでなく、白水社にしても同様だったのではないだろうか。マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』 (山内義雄訳)にしても、同時代に出されているのである。それはデュ・ガールが一九三七年、昭和十二年にノーベル賞を受賞したことも影響しているのだろう。また小津安二郎の『晩春』(昭和二十四年)で、『チボー家の人々』をめぐる会話が交わされているが、私のような戦後世代にしても、昭和四十年代初めに図書館で読んでいたのである。
白水社
晩春

 それはジイドも同様で、多くが新潮文庫化され、ジイドの時代が戦後も続いていたことを示し、私もやはり同時代に最初に挙げた『贋金つくり』の改題であるジッド『贋金つかい』を新潮文庫で読んでいる。その『贋金つかい』の巻末のリストにあるジッドの作品を見ると、十二冊を書終えられるし、またジイド=ジッドが読まれていたことを教えてくれる。

(『贋金つかい』)

 それはデュ・ガールと同様に、ジッドの戦後の一九四七年のノーベル賞受賞も作用してだろうが、昭和二十五年に新潮社から『ジイド全集』 全十六巻が、原書のガリマール書店版そのままのフランス装で刊行され、それに続いて『ジイドの日記』(新庄嘉章訳)の全五巻も出されている。またこれらは未見だが、同時代に新樹社、角川書店、河出書房からも『ジイド全集』が試みられていたようで、確かに戦後まで、ジイド=ジッドの時代が続いていたことになろう。

(『ジイド全集』、新潮社版)ジイド全集 (角川書店版)


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら