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古本夜話817 建設社と『ジイド全集』

 前回、昭和十年代に入って招来した、第一書房と白水社を中心とするジイドの時代にふれたが、両社に先駆け、いずれも昭和九年に『ジイド全集』が建設社金星堂から刊行されている。金星堂版は後述するつもりなので、ここでは建設社版を取り上げておきたい。本連載75でその第三巻にふれているが、昭和十一年に出された「新修普及版」全十二巻のうちの一冊を入手したからである。その第十巻には「自伝・評伝」として、『一粒の麦もし死なずば』『文学と倫理』が収録され、これも偶然のことながら、翻訳は堀口大学によっている。

f:id:OdaMitsuo:20180813160604j:plain:h120(建設社版、第十巻) f:id:OdaMitsuo:20180813144346j:plain:h120 (新修普及版)
f:id:OdaMitsuo:20180813155456j:plain:h120(金星堂版)

 この前版、昭和九年の「建設社決定版」としての『ジイド全集』のコンセプトは次のようなものだった。

 アンドレ・ジイド。現世紀のあらゆる苦痛と混乱とを身を似て体験したこの大才。彼の呈出する問題はまさしく吾々の問題である! 今やジイドの名は文学界を揺がし、思想界を動かし、轟々たる毀誉褒貶の渦を巻起して、ほとんどその止るところを知らぬ。しかも彼の真の姿は変貌に変貌を重ねて、容易に近づくを許さぬ所、この時に当り、吾社は十分なる用意の下に、ジイドの豊穣複雑なる全貌を吾国に紹介せんとし、彼の全作品にそれぞれ当代望み得べき第一人者を配し、責任ある定訳を網羅してジイド邦訳全集決定版を刊行し、既に六冊配本し、決定版として江湖の賞讃を恣にす。

 そして翻訳陣として、これまで本連載791などで挙げてきた東京帝大、京都帝大仏文科出身者を中心とする二十六人が列記され、その中には意外なことに大仏次郎もいて、これは未見だが、第八巻の『重罪裁判所の想ひ出』を担当しているようだ。また装幀はこれもやはり青山二郎によるもので、ここでも訳者の小林秀雄たちとのコラボレーションを伝えている。

 実はこのキャッチコピー的な案内を見つけたのは『ジイド全集』においてではなく、本連載792で挙げたクルティウスの『バルザック論』の、フランス語からの重訳『バルザック研究』の巻末広告によってだった。これは昭和九年に同208の長谷川玖一訳で、建設社から出され、所持していたけれど、重訳ということで言及しなかったのである。しかしこの一冊は『ジイド全集』のことだけでなく、建設社の当時の出版目録も兼ねているように思われた。同343で、そこにも見える今和次郎たちの『考現学採集』を取り上げてきたが、その出版物の全容はほとんど判明していなかったからだ。
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 それに加えて、建設社に関して、かなり長きにわたって留意してきたけれど、『日本出版百年史年表』の昭和五年のところに、「9・20 合資会社建設社創業(代表:坂上眞一郎)、哲学・経済・文芸書出版」とあるのを見出しただけで、奥付から住所が牛込区揚場町であることはわかっても、他にまとまった言及に出会っていない。それは刊行物についても同様だった。

 そのような時に、『バルザック研究』を入手し、単行本リストといったものを目にすることができたので、主たるものを挙げておこう。まずバルザック関連から示せば、本連載191の犬田卯訳の農民小説の白眉『レ・ペイザン』、園池公坊の劇映画歌劇紹介『ソヴエト演劇の印象』、岡不崩の古今独歩の大著『万葉集草木考』、林甕臣の遺稿出版『日本語原学』など、武田忠哉の新即物主義論集『ノイエ・ザハリヒカイト文学論』、小泉哲の蕃社研究、社会学的研究の『蕃郷風物記』『台湾土俗誌』、帝大独文学会編『独逸文学研究』、「独逸文芸学叢書」としてのベーターゼン、芦田弘夫訳『文芸学概論』、武田忠哉訳『文芸学の法則』、長野勲の先人未踏の研究『阿倍仲麿と其時代』、関衛の欧亜技術伝来史『西域南蛮美術東漸史』、外山卯三郎の考証文献的名著『日本初期洋画史考』、廣畑茂の貨幣及金融関係『支那貨幣史銭荘攷』、橘孝三郎の身と愛郷塾教典、名著の『農村学(前編)』『農学本質編』など、口田康信の自治指導の原理『新東洋建設論』といったラインナップである。
f:id:OdaMitsuo:20180814102130j:plain:h120(『文芸学の法則』)

 これらに『ジイド全集』と『カロッサ全集』全七巻が加わるわけだが、何か出版物の組み合わせが焦点を結んでこないように思われる。ソビエト演劇、万葉集と日本語学、ドイツ文学、美術史、中国貨幣史、農本主義者の著作類といった出版物の、よくいえば多様性、ひるがえって脈絡の無さは何に起因しているのだろうか。それに『カロッサ全集』は帝大独文学会と『独逸文学研究』の関係からと推測できるが、『ジイド全集』に関しては『バルザック研究』や『レ・ペイザン』の訳者たちとはリンクしていないので、どのように企画が成立したのかをうかがうことができない。
f:id:OdaMitsuo:20180814105147j:plain:h120(『カロッサ全集』)

 そこで必然的に考えられるのは、創業者の坂上眞一郎のプロフィルとそのポジションであるし、長谷川玖一が『バルザック研究』の「後記」で阪上とともに謝意をしたためている佐佐木秀光という建設社の編集者らしき人物によっているのかもしれないという推測である。

 だがいずれにしても、これからも建設社のことは続けて注視していきたいと思う。


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