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古本夜話822 秦豊吉『伯林・東京』と岡倉書房

 本連載819のピチグリリ『貞操帯』に序を寄せた丸木砂土が本名の秦豊吉で、昭和八年に岡倉書房から『伯林・東京』というエッセイ集を出している。冒頭にはまず「秦生」名による「小序」が置かれ、それは丸木名による艶笑随筆的なものとまったく異なる秦の肉声がこめられ、昭和八年における自らの決意表明ともいえるトーンに染められているので、全文を挙げてみる。
f:id:OdaMitsuo:20180817110254j:plain:h120(『貞操帯』)

 学校を出て満十六年間、僕は三菱の一社員として勤めた。この三菱の大恩は、決して忘れ得ぬと共に、僕がこの永い間に叩き込まれたものは、長短ともに所謂三菱式以外に何もない。この微々たる一サラリイマンの僕を、幸ひにも拾い上げて下すつた新主人東宝劇場社長小林一三氏に、僕は旧主人三菱に仕へたその精神をそのまゝで仕へる以外に、何も出来ない所以である。
 この決心をした昭和八年は、僕にとつて重大な年だ。この年に出る第十四冊目の散文集は、他のどの一冊よりも、僕には大事である。僕の新主人の随筆集「奈良のはたごや」の後から、僕の本の出る事も、大いに嬉しい。これは出版元岡倉君の好意であらう。

 これには少しばかり注釈が必要なので、『日本近代文学大事典』などを参照し、補足してみる。秦は明治二十五年東京日本橋に生まれ、大正六年に東京帝大独法科を卒業し、三菱商事ベルリン支店に勤務する。昭和八年小林一三の知遇を得て、東京宝塚劇場に転じ、戦後に新宿の帝都座で日本最初のストリップ「額ぶちショー」をプロデュースし、二十五年には帝国劇場社長に就任する。叔父は松本幸四郎、同窓の友人には芥川龍之介や久米正雄たちがいて、その文才をたたえられ、マルキ・ド・サドをもじった丸木砂土名で多くの艶笑随筆を書く一方で、翻訳者としてゲーテ『若きエルテルの悲み』(『兄と妹』所収、聚英閣)やレマルク『西部戦線異状なし』(中央公論社)などを出している。
f:id:OdaMitsuo:20180902201601j:plain:h120(『西部戦線異状なし』)

 この自らの「小序」と補足からわかるように、秦にとって昭和八年は三菱商事のサラリーマンから東宝に転職した「重大な年」ゆえに、同年刊行の『伯林・東京』も「他のどの一冊よりも、僕には大事である」との思いもこめられるに至ったことになる。その言葉に違わず、同書はその文才と多様な観察眼、機知とユーモアが充全に発揮され、一九三三年=昭和八年におけるアクチュアルな伯林と東京を結んでの文化、社会レポートを形成している。「小序」から推測すると、それは東宝と小林へ提出する欧米派遣報告記とも考えられる。 

 昭和八年五月にレマルクを自宅に訪問した写真を中表紙に掲載した『伯林・東京』は三ヵ月に及ぶ伯林、巴里、倫敦、紐育をめぐる旅行記といっていい。それは「旅行」を始めとする十章立てで、それぞれの章に二編から五篇が収録され、いずれもが興味深く、すべてにわたって紹介したい誘惑に駆られるが、それは紙幅が許さないので、そのうちのいくつかをピックアップして挙げるしかない。

 秦にとって伯林は第二の故郷で、七年ぶりの訪れだったが、そこで買った初めての老眼鏡をかけて見ると、もはや変わってしまい、ヒトラー、ドイツ国民主義、ビスマルク主義の伯林で、バロック趣味の劇場には客が少なく、映画館では国粋映画が上映され、ユダヤ文士や芸術家は弾圧されていた。それからドイツ各地のラフスケッチがあり、欧米各地での芝居見物がレポートされ、次いでアメリカのシカゴ博覧会の日本館にいるカリフォルニア生まれの日本人二世の娘たちの、座ることを知らずに育った足の美、カリフォルニアの日光と果物によってもたらされた美しい肌を見出す。続いて巴里における黒い踊子ジョセフイン・ベエカアとの会見が実況中継のように語られる。

 そして都会における百貨店がゾラの『女の幸福』(『ボヌール・デ・ダム百貨店』伊藤桂子訳、論創社)を枕にして語られ、春の三越百貨店が対比、対照の運びとなる。その後に再びシカゴ博覧会に戻り、「博覧会は、近代世界都市の謝肉祭であらう。博覧会が一つのお祭騒ぎである意味において、陳列品を研究的に見せようとする展覧会とは、自ら区別しなければならぬ」というベンヤミン的なアフォリズムも発せられる。この「進歩の世紀」博覧会には「『生きてゐる不思議』とい片輪物の見世物」があり、それが東京で観た映画「怪物団」(トッド・ブラウニング『フリークス』)を想起させるとし、その「見世物」の詳細を述べ、さらに「闇の中の生活」「オオルド・プランテエシヨン・シヨウ」「神秘の寺院」などといったグロテスクな「見世物」をたどっていく。それは「進歩の世紀」どころか、「退化の世紀」であるようで、ここにおいて、アメリカの博覧会のコンセプトが「見世物」へと移行してしまったことを伝えようとしているのだろうか。
ボヌール・デ・ダム百貨店 フリークス

 その他にも紹介しておきたいエピソードが多々あるのだが、もはや紙幅も尽きたので、本連載にふさわしい、とっておきのものを最後に示し、終わりにしようと思う。秦はこの旅行の間、ずっと日本に残してきた妻のことを引き合いに出しているが、そのひとつに「おらが女房」とのタイトルで、それに続いて行替え、小文字で「を褒めるぢやないが(越後獅子)」を置き、次のような一文を書いている。

 妻は金持の娘だったが、持参金を持ってくることを忘れ、僕には金目のものなどの財産が何もない。
 僕の財産と言へば、本だけである。僕は微々たる収入を挙げて、本を買つてしまふ。そこでいつも乍ら貧乏してゐる。従つて僕と結婚する事によつて、妻の生活程度は、令嬢時代からみると、余程低下した訳である。
 そこで新婚間もなくである。僕は既に人生の前途暗澹たるを望んで、
 「おれが死んだら、お前、どうして暮すね」と訊いたものである。
 僕の妻は、可愛い目をしてゐる。その目を愈々あどけなくして
 「あたし、古本屋を初めますわ」
と答えた。

 それではお後がよろしいようでと、本来であれば、これで終わりとしたいのだが、もうひとつ付け加えておかなければならない。小林の随想集『奈良のはたごや』が『伯林・東京』の巻末広告に見え、両書が同年に出されたと確認できる。だがここでそのアウトラインがつかめないのは、発行者を岡村祐之、住所を神田区淡路町とする岡倉書房で、この版元もずっと留意しているけれど、まとまった紹介を見出せずにいる。それでも奥付にはめずらしいことに、校正渡辺清、装幀奥江徇との併記が見出される。本連載819などの建設社ではないけれど、この岡倉書房のこともまた、後にふれることになるだろう。


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