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古本夜話823 岸田国士訳『ルナアル日記』と『にんじん』

 これまで昭和十年代におけるフランス文学翻訳ブームといったトレンドにふれてきたが、その中の一人がルナアルでもあった。それは本連載808のブールジェほどではないにしても、私たち戦後世代にとっては馴染みが薄い。『にんじん』の作者であることは承知しているが、『ルナアル日記』は身近なものではなかった。それは同786でふれた、ルナアルの訳者たる岸田国士の戦前の知名度と昭和二十九年の死も作用しているのだろう。
ルナアル日記

 本連載799の辰野隆『仏蘭西文学』においては「ルナアルを語る」という八十ページを超える長い一章が設けられ、『にんじん』『博物誌』に加え、『ルナアル日記』全七巻に関する詳細な紹介をしている。これらの一部は彼の随筆集『南の窓』(創元社、昭和十二年)収録のものである。そこで辰野は、岸田による『ルナアル日記』の全訳が、豊島与志雄の『レ・ミゼラブル』『ジャン・クリストフ』(いずれも新潮社)、関根秀雄の『モンテーニュ随想録』、山内義雄の『チボオ家の人々』(いずれも白水社)、河野与一の『アミエルの日記』(岩波文庫)と並ぶ訳業だと推奨している。
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 『ルナアル日記』は白水社から昭和九年の『にんじん』の普及版に続いて、同十年から十三年にかけて全七巻が刊行されている。本連載812でふれておいたように、これらは草野貞之が編集担当者だったと考えていいだろう。日本でのジュリアン・デュヴィヴィエ『にんじん』の映画公開は昭和九年なので、それに合わせての翻訳出版で、ベストセラーになったと伝えられている。この『にんじん』の戦前版は未見だが、昭和二十五年二月刊行版は入手していて、これは戦前版の再版だと思われる。なぜならば、四六判並製、旧仮名のままであるからだ。ちなみに裏帯には辰野の『仏蘭西文学』の『にんじん』紹介の一文が使われている。

f:id:OdaMitsuo:20180904111201j:plain:h115 (戦前版)f:id:OdaMitsuo:20180904153204j:plain:h120(戦前版)f:id:OdaMitsuo:20180904110310j:plain:h120(昭和二十五年版)にんじん(DVD)

 『白水社80年の歩み』を確認すると、その後の昭和三十四年に戦後版と見なしていい合判函入の『にんじん』の刊行が挙げられている。それはロングセラーで、図書館などでも容易に見られるが、そこには先の昭和二十五年二月刊行版になかった「あとがき」が付され、「版をあらためる」に際し、新かなづかいと当用漢字の制限によったことが述べられている。その日付は昭和二十五年九月とあるので、同年に『にんじん』は戦前版の重版と、「版をあたらめ」た新版で出たことになる。これは『日本出版百年史年表』でもふれられていないけれど、この時代における「新かなづかい」と「当用漢字の制限の実施」が、戦後の出版界に与えた影響に関して、まさにあらためて一考すべき事柄なのかもしれない。
f:id:OdaMitsuo:20180904112451j:plain:h120(昭和三十四年版)

 それはともかく、『ルナアル日記』のほうは昭和十一年刊行の第三巻を入手している。それは「1902-1903」に当たるもので、『にんじん』収録の「年譜」によれば、「戯曲『別れも愉し』仏蘭西座に上演さる。/フィガロ紙の寄稿家となり、文芸時評を担当す。/戯曲『ヴェルネ氏』アンドレ・アントワアヌに依つて初演さる」の年月である。日本では明治三十六年から三十七年にかけてということになる。この巻には十六枚の写真が挿入されているが、そこには仏蘭西座での上演やアントワアヌ座での『ヴェルネ氏』初演も含まれている。

 辰野は『ルナアル日記』からアフォリズム的文章を紹介することに専念しているけれど、ここではそれよりもきわめて散文的な部分を引いてみる。それは一九〇二年八月二日のところである。

 シトリイ。初めて来たのだが、名前を隠しておきたかつた。今しがた、宿屋の前を通ると、人人が大声で話をしてゐるのが聞えて、そのうちの一人は、それでも声を抑えながら、殆んど叫ぶやうに、「にんじん!」と云つた。私もいつかは振り向いてかう答へねばならないやうなことになるのだらうか―「ぢやあ、君の名はなんていふんだ! ならずものか、それとも道楽者か?」。にんじんの物語がまた始まり、そして私にとつてこの国が住むに堪へない国となるのだらうか?
 なんといふことだらう。私が八十まで生き永らへることにでもなつて、「辣腕を振ふ」村長にならねばならなかつたとしたら、村の小僧たちは私をにんじんと呼びながら、私の後を追ひかけるだらう。

 これを補足すれば、『にんじん』は自らの少年時代をモデルとしたもので、赤毛のためににんじんと呼ばれ、母親からいじめられた体験をベースとしている。したがってシトリイの村でも自分がそうなるのではないかと語っていることになる。先の「年譜」によれば、『にんじん』の出版の翌年の一八九五年に故郷のシトリイ村近くの農家を買い、そこで毎年四月から十月までを過ごすようになり、一九〇〇年には『にんじん』も戯曲化され、同年にシトリイ村会議員に選出されている。第三巻にはそのシトリイ村の写真の掲載もある。

 これらの事実からすれば、郷里にあってルナアルは『にんじん』の著者として有名で、そのことによって『にんじん』と呼ばれていたのである。それもあって、一九〇四年にはシトリイ村長となり、農村の改革を思い立ち、社会主義運動にも加わったとされる。まさに現実的に「『辣腕を振ふ』村長」となったわけだが、その詳細は「一九〇四年―六年」にあたる『ルナアル日記』第四巻に記されているのだろうか。それを読む機会をまだ得ていない。

 なお辰野によれば、日記の中にはルナアルと愛人の関係も詳述されていたが、それらはすべてルナアル夫人によって破棄されたという。


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