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古本夜話828 山田珠樹『フランス文学覚書』とユイスマン

 ずっと辰野隆にふれたからには、その盟友である山田珠樹を取り上げないわけにはいかないだろう。山田と結婚し、同じくフランス文学者の山田[ジャク]をもうけた森茉莉の証言によれば、二人の関係はホモソーシャルな秘密結社のようだったとされる。

 しかも山田も東京帝大文学部教授として仏文学講義も受け持ち、やはり白水社から『東門雑筆』『フランス文学覚書』を出している。昭和十五年刊行の後者は入手していて、その奥付裏広告を見ると、吉江喬松『仏蘭西文学談叢』、杉捷夫『フランス文学雑筆』、鈴木信太郎『文学附近』、渡辺一夫『ふらんす文学襍記』『筆記帖』などが挙がり、この時代にフランス文学の翻訳ばかりでなく、フランス文学にまつわるエッセイ集が多く出されていたことを教えてくれる。
f:id:OdaMitsuo:20180914110348j:plain:h110(『文学附近』)f:id:OdaMitsuo:20180914111315j:plain:h110(『ふらんす文学襍記』)

 山田の『フランス文学覚書』を通読すると、彼がジャンルを問わないフランス近代小説の読み巧者であることが伝わってくる。その「バルザックの巨きい味と写実味」は章タイトルにふたつの「味」が示されているように、文字どおりバルザックの「人間喜劇」全体を味読したものといえるだろう。ただそこに山田の好みもあって、本連載791の「セラフィタ」のようなスウェデンボルグの神秘的宗教に対しては「巨きい味」を認めていない。

 その代わりといっていいかもしれないが、バルザックが出てから、小説がそれまでの詩と劇と同様に、崇拝すべきものとなり、文芸殿堂の一神に出世し、フローベール、ゾラ、トルストイ、ドストエフスキーも啓発されたことに加え、「純芸術的な味」としての「写実味」を提出したことにあると山田はいう。バルザックの小説において、地理や人物、風景や衣服や室内なども、客観的描写法や感覚的描写法によって「写実味」が裏書きされ、山田のような「バルザックが大好き」な「玄人」は、この「写実身を玩味するやうになる」とも告白している。そしてこの「巨きい味」と「写実味」は、フランス文学伝統のゴーロウ精神とラテン精神のうちの前者を代表するものだとも。

 このような山田の読み巧者的立場から、スタンダールが「ペイリスム」、ゾラは「ゾラ論」として言及されていくのだが、出色なのはユイスマンで、『フランス文学覚書』では異色の三編「ユイスマン」「ユイスマンの神秘的自然主義」「ユイスマンの芸術」の収録が見られる。ここで付記しておけば、山田はHuysmans の読み方はユースマンスが正しいかもしれないが、「日本の読み習はし」に従って、ユイスマンとしたと述べている。確かに戦後になっても「日本の読み習はし」からユイスマンとされてきたが、昭和五十年代にになってユイスマンスに改称されたのである。だがここでは山田に従い、ユイスマンとする。

 このユイスマン論のうちの白眉は「ユイスマンの芸術」で、サブタイトルに「A Rebours に就いて」とあるように、『さかしま』の紹介となっている。ただこれは長いものなので、要約してみる。古い貴族の末裔のデ・ゼサントは長きにわたる血族結婚のためか、心身ともに少年時代から退廃し、美的感覚だけが鋭かった。成年に達して両親の莫大な遺産を受け継ぎ、歓楽にふけるが、文人や思想家たちと交わっても、彼らの名誉心と金銭欲も見せつけられるだけだった。そうしてついに彼は世を捨て、パリ郊外に金にあかせて好みのままの人工楽園を作る。それは日光を遮り、毎晩五時に起き、毎朝五時に夕食をして寝るという生活で、食堂の窓からは人工の鳥が泳ぐ水中が見え、照明の変化によって、異なる海を巡航するという気分をもたらすまったく「さかしま」の世界であった。ヴェルレーヌ、ボードレール、マラルメの詩、フローベール、ゴンクール、ゾラの小説だけが許される読書となった。だがデ・ゼサントは衰弱し、滋養灌腸を受け、その人工的な環境を歓ぶが、医者によってパリに戻される。
さかしま

 しかしこの「ユイスマンの芸術」の昭和五年における紹介時点で、ユイスマンの翻訳はまだ出されておらず、山田の『フランス文学覚書』と同年の昭和十五年における『彼方』(田辺貞之助訳、弘文堂)を待たなければならなかった。

 私たち戦後世代にしても、この『さかしま』を読めるようになったのは、昭和三十九年の澁澤龍彦訳『さかしま』が桃源社から刊行され、同四十一年に「世界異端の文学」として、『彼方』『大伽藍』(出口裕弘訳)とともに刊行されたからだ。それに続いて、『出発』(田辺貞之助訳、光風社)、『腐爛の華』(田辺貞之助訳)『ルルドの群集』(田辺保訳、いずれも国書刊行会)などが刊行され、『さかしま』とはことなるユイスマンの多面的な相貌が明らかにされていったといえよう。

彼方  f:id:OdaMitsuo:20180914000525j:plain:h111 出発 (『出発』) 腐爛の華 ルルドの群集

 よく知られているように、ユイスマンはモーパッサンと同様にゾラの影響下にあり、普仏戦争に題材をとった共作集『メダンの夕べ』から出発し、『さかしま』などを経て、神秘主義を経由し、『ルルドの群集』などのカトリックへの回帰という道筋をたどっていく。しかし日本での最初のまとまった紹介は山田によるもののように思われ、それはほぼ一世紀後に、大野英士『ユイスマンとオカルティズム』(新評論)が出されることで、ユイスマンス研究はひとつの頂点を極めたように思われる。

ユイスマンとオカルティズム


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