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古本夜話833 生田長江『文学入門』

 前回、新潮社が大正時代に入って、本格的な外国文学の翻訳出版を企画し、「近代名著文庫」を創刊したことを既述しておいた。佐藤義亮は「出版おもひ出話」(『新潮社四十年』所収)で、次のように述べている。
f:id:OdaMitsuo:20180918113546j:plain:h120(「近代名著文庫」、『サフオ』)

 新潮社が翻訳出版として認められるに至つたのは、『近代名著文庫』を企て、その第一編としてダヌンツィオ『死の勝利』を出してからである。
『死の勝利』は元来、生田長江氏が『趣味』発行所の易風社から出す筈になつてゐたものだが、長江氏はまだ無名であり、訳文も生硬だから小栗風葉氏に文章を直して貰つて共訳にしようといふ発行所の希望から手間どつてゐたのである。長江氏は金が急ぐので、自分一人の名で出してくれないかと言つて原稿をもつて来られた。私は大して生硬だと思はないし、翻訳に外国語できない人の名を冠するなどは、却つてをかしいから、訳者は一人で結構だと言つたので、話は即座に決まり、すぐ印刷にかゝつた。出版したのは、大正二年の一月である。

 ところが当時、森田草平と平塚雷鳥が塩原の雪山に死に場所を求めての逃避行が『死の勝利』の影響、もしくはその実践だと喧伝されたことで、「翻訳物としては全く記録やぶりの売れ行き」となったのである。残念ながら、この『死の勝利』は入手していないが、それより前の明治四十年に、生田長江が新潮社から出した『文学入門』が手元にある。佐藤が新声社と『新声』を手離し、新潮社と『新潮』を立ち上げたのは明治三十七年という事情も反映されているはずで、その住所は麹町区土手三番町、発行者は佐藤の義弟中根駒十郎となっている。

 四六判並製、三〇〇ページほどの、タイトルも含めて地味というしかない一冊だけれど、ひとつだけ特色があり、それは夏目漱石が七ページに及ぶ「序」を書いていることだ。そこで漱石は、自分も「いろいろな意味に於て文学の研究者」だとして、次のようにいっている。「文学になると同じく学の字はついて居るが、理学化学動物植物の諸科学とは丸で趣を異にして極めて曖昧なものになつてゐる。学と云ふ名はあるがどこが学だか薩張り分らない」。それでも「此種の著書が払底の今日」の「日本に在つては非常に有益なものと信ずる」と。

 ここであらためて出版社・取次・書店という近代出版流通システムの成立についてふれておけば、それは明治二十年代で、ちょうど近代文学の誕生と軌を一にしているし、双方ともまだ広く成長の果実を味わう地点には至っていなかった。それをふまえて、生田は書いている。

 固より今日の処では、文学がまだ一般に社会上勢力を有すること少いからして、生活はなかゝゝ楽でない。小説家で流行児となつて居る二三の人などは例外として、まづ文学者は貧乏なものとしてある。小説でも二三流と下れば、韻文の作家や評論家と同様に、報酬は極めて少く、文壇知名の士百人の中、七十人、八十人までは、地方の中学校の先生よりも、苦しい生活をして居るものと思へば、太した間違いはないのである。(中略)
 かゝる次第であるからして、将来文学者として立たうと思ふ読者は、貧乏を覚悟してかゝらねばならぬ。一時の貧乏ではない。殆んど一生の貧乏を予期してかゝらねばならぬ、貧乏に堪へ得ない人、自分ひとりはどんな貧乏にも堪へ得るけれど、打つちやつて置けない繋累があると云ふ人、さう云ふ人は文学者にならうなどと思立つべからずだ。文学者の生活は二〇三高地よりも危い、決死の勇気あるものに非ずむば、到底飛込まれるとことではないのである。

 明治末期においても、文学者の生活はこのようなものだったから、漱石のいうように「此種の著書が払底」していたのも無理もない。「殆んど一生の貧乏」を覚悟することが文学者に求められていたし、それをコアとして『文学入門』も書かれたことになる。それは新潮社と生田も同様で、『新潮社四十年』所収の「同刊行図書年表」を見てもわかる。新潮社の前身で明治二十九年創業の新声社は三十六年に破綻し、三十七年に新潮社として再出発するのだが、生田も『新声』時代からの投書家で、『新潮』創刊時からの執筆者であり、佐藤とともに「甘言苦語」という匿名コラムも書いたとされる。

 それとともに、『文学入門』に続き、『英語独習法』や『文学新語小辞典』や編著『新叙景文範』や共著『近代思想十六講』を出す一方で、翻訳としてのニイチエ『ツアラトウストラ』、トルストイ『我が宗教』や『死の勝利』なども翻訳していく。それらの延長線上に、昭和円本時代を迎え、『世界文学全集』のうちのダンテ『神曲』、ルソオ『懺悔録』(大杉栄共訳)、ダヌンツイオなどの『死の勝利他』の三冊を受け持つことで、ようやく生田も「金が急ぐ」ことから逃れたと思われる。
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 私見によれば、明治四十年の『文学入門』刊行時には文学市場はまだ成立しておらず、それは山本芳明が『カネと文学』(新潮選書)で立証しているように、大正時代における総合雑誌の相次いでの創刊などを待たなければならなかった。そして昭和に入り、円本や岩波文庫の出現に象徴されるように、ようやく文学市場が成立したのである。それは翻訳も同様で、『世界文学全集』が、それまでの買切から訳者の印税システムをも確立させたことにも寄っている。このような意味において、生田もそうした過渡期を体現した文学者だったといえよう。
新潮選書)の続編に当たる。
カネと文学


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