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古本夜話835 博文館『紅葉全集』、春陽堂『紅葉全集』、中央公論社『尾崎紅葉全集』

 前回、生田長江が『文学入門』で挙げた紅葉、一葉、樗牛の三人の全集はいずれも博文館から出されていて、明治後半が博文館の時代だったことを告げている。

 本連載271で『一葉全集』、前回は『樗牛全集』を取り上げたこともあり、今回は『紅葉全集』にふれてみる。ただそれは明治三十七年の博文館版だけでなく、その後四十二年に出された春陽堂版『紅葉全集』 も見てみたい。しかも春陽堂は大正十一年には『紅葉全作集』、十四年にも『尾崎紅葉全集』を刊行しているからだ。それに菊判の博文館版は一冊しか所持していないけれど、春陽堂版『紅葉全集』は三冊、『尾崎紅葉全集』全四巻を入手している。その事実は明治後半において、博文館が『文芸倶楽部』によっていたように、春陽堂も『新小説』を背景とし、文芸書出版の雄だったことを示していよう。

一葉全集 (『一葉全集』) f:id:OdaMitsuo:20180920195423j:plain:h120(『樗牛全集』)
f:id:OdaMitsuo:20180923165104j:plain:h120(『紅葉全集』、博文館)f:id:OdaMitsuo:20180923165543j:plain:h120(『尾崎紅葉全集』、春陽堂)

 まず博文館版だが、『博文館五十年史』『樗牛全集』出版のすぐ前のところに、「尾崎紅葉氏死亡と『紅葉全集』出版」という一項がある。そこで紅葉は博文館員ではなかったが、彼の斡旋で巖谷小波、広津柳浪、石橋思案、江見水蔭、武内桂舟などの硯友社同人が入館しているので、「硯友社の同人は、氏の遺稿を集めて『紅葉全集』六巻を編し、明治卅七年一月に来館から之を出版した」とある。また「頗る好評を博し、十数年の後に至るまで版を重ね」るとも述べられての遺族たちの生活を援助するための企画だと見なすことができよう。実際に奥付検印紙には紅葉の印が押されている。
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 それならば、その五年後の春陽堂版『紅葉全集』とはどのようにして成立したのだろうか。『博文館五十年史』の記述を信ずるならば、博文館版『紅葉全集』はロングセラーとなり、まだ在庫もあり、著者と内容を同じくするふたつの全集の両立は難しかったと思われるからだ。たとえ、博文館版が菊判全六巻一円八〇銭に対して、春陽堂版が三六判全四巻、定価一円二〇銭であったとしても、また収録作品は巻により異なるにしても、ほぼ同じだったのである。

 しかし春陽堂版の奥付捺印を見て、疑問が氷解した。そこには春陽堂の印章があったのである。これはその『紅葉全集』自体が紅葉、及び遺族に対して印税が発生しない買切原稿によって成立していることを意味しているからだ。確かに紅葉の主要作品である『伽羅枕』『三人妻』『多情多恨』『金色夜叉』は『読売新聞』に連載されていたが、それらの単行本は春陽堂から刊行され、おそらくすべてが買切原稿としての出版だったと考えられる。少しばかり意味は異なるにしても、本連載804でも改造社版『国木田独歩全集』の著作権所有が改造社の山本実彦にあった例を見たばかりだ。

 その買切原稿であるはずの紅葉の作品の、博文館での全集がどうして実現したかというと、それは春陽堂や『新小説』の執筆者たちが硯友社同人を抜きにしては成立しないこともあって、春陽堂は彼らの顔を立て、博文館の刊行を五年間に限り、譲ったのではないだろうか。もちろんそれなりの使用料が博文館から刊行され、春陽堂に支払われていたはずだが、その期限が切れた明治四十二年から春陽堂版の刊行を始めたと思われる。先行する博文館版に対して、持ち運びができる小型本で、定価は六〇銭安く、印税も払う必要がない。それが功を奏し、手元にある第一巻は四十二年八月初版発行、九月四版と記載されている。この『紅葉全集』が範となって、改版の『紅葉全作集』『尾崎紅葉全集』が続けて出されていったのであろう。

 それもあって、小説以外の随筆、書翰、日記なども収録し、新たな編纂校訂による『尾崎紅葉全集』全十巻が企画されたのは、昭和十五年の中央公論社においてだった。編集委員は徳田秋声、里見弴、本間久雄、塩田良平、柳田泉、勝本清一郎で、新たな編纂校訂に携わったのは本間以外の四人だった。その第九巻だけは入手していて、私も拙稿「尾崎紅葉と丸善」(『書店の近代』所収)で引いているように、それには紅葉の日記『十千万堂日録』の収録がある。こちらの奥付検印紙には尾崎と柳田の押印があるので、遺族に印税が支払われていたとわかる。

書店の近代

 紅葉は明治三十六年十月に三十七歳で没しているが、その六月三十日の日記には、「丸善に向ひ百二十円を払ひセンチユリイ大辞典の購入を約す」と記され、内田魯庵との長談のことも付されている。それと照応して、内田も『新編思い出す人々』(岩波文庫)において、その「最後の憶出(おもいで)の深い会見」にふれ、紅葉を偲びながら、次のように書いている。

新編思い出す人々

 自分の死期の迫っているのを十分知りながら余り豊かでない財嚢(ざいのう)から高価な辞典を買ふを少しも惜しまなかった紅葉の最後の逸事は、死の瞬間まで知識の要求を決して忘れなかった紅葉の器の大なるを証する事が出来る。

 そして魯庵はこの追悼文を以下のように結んでいる。「瀕死の瀬戸際に臨んでも少しも挫けなかった知識の向上欲の盛んなるには推服せざるを得なかった。紅葉は真に文豪の器であって決してただの才人ではなかった」と。

 ただ残念ながら中央公論社版の『尾崎紅葉全集』は戦時下の企画として発禁処分を受け、三冊出ただけで中絶してしまった。そのために完全なる『尾崎紅葉全集』 の出版は岩に編み書店版を待つしかなかったことになる。

f:id:OdaMitsuo:20180924183856j:plain:h115(岩波書店版)


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