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古本夜話851 新潮社「新作青年小説叢書」と森本岩夫『若き剣士物語』

 昭和十九年になって、新潮社から「新作青年小説叢書」として、森本岩夫の『若き剣士物語』が刊行されている。しかし「同叢書」は『新潮社七十年』の「刊行図書年表」を確認してみると、ほぼ同時に和田伝『父祖の声』が出されただけで、その後は続かなかったと思われる。
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 森本も未知なので、『日本近代文学大事典』を引いてみると、森本巖夫という人物が出てくる。漢字名は異なるが、同一人物と見なしてかまわないだろう。というのは『若き剣士物語』の「著者略歴」に立項と同じく明治三十年鳥取県生まれとあるからだ。それを引いてみる。

 森本巌夫 もりもといつお 明治三〇・一〇・一七~(1897~)小説家。鳥取県西伯郡幡郷村生れ。小学校卒業後一年間、裁判所に勤務、一六歳で上京、店員、電工などの労働を経て、文章倶楽部記者をした。大正一四年創刊の「不同調」同人となり、新人生派の立場で小説や評論を書いた。のちに「新文化」を主宰。長篇小説『喘ぐ』(大正一二・一一 新潮社)がある。

 この立項から浮かび上がってくる森本のプロフィルは、地方の学歴を有さない文学少年が上京して様々な仕事を経て、新潮社の『文章倶楽部』の記者となり、それをきっかけにして『不同調』の同人に迎えられ、小説家の道へと進み、やはり新潮社からデビュー作を刊行しているというものである。それは明治二十年代に出版社・取次・書店という近代出版流通システムが稼働し始め、それとともに近代文学も誕生する。それゆえに森本のような地方少年も、それらが成長や発展を遂げていく中で、出版や文学を夢見て上京するに至ったと思われる。それに新潮社自体が佐藤義亮を始めとして、正規の学歴を持たない文学青年たちの根拠地でもあったのだ。

 その森本がたどった「新人生派」とか、主宰した『新文化』などの詳細は明らかではないし、『喘ぐ』も読んでいない。また著書としての『足の故郷』もあるようだが、これも未見なので、とりあえ『若き剣士物語』を読むことを通じて、森本の世界をうかがうしかないだろう。この小説は昭和初年から始まっている。時代は伝統を捨てようとする指導者階級の頽廃、科学万能主義の物質文化の眩惑の中で、地方の町長の息子で中学生の太郎一は剣道を会得し、有段者の大人たち以上の技を身につけるに及んでいた。その一方で、太郎一は女学生のモンに好意を寄せ、彼女に見せるために汽車を止めるという「一種の英雄主義的妄想」を実行し、山の妙法寺での修行に出されてしまう。

 その山の中で、太郎一は崖から落ち、蝮に襲われる寸前の樵夫(きこり)を助けた。しかもそれは本剣による蝮の一撃によってだった。それを見て、樵夫は自分がアメリカに出稼ぎにいき、フェンシングという西洋剣術をつかうアメリカ人の親方と喧嘩し、堀口老人から授けられた必勝法の突きの一手で殺してしまい、監獄生活後に日本へ送り返されたと語るのだった。太郎一はその堀口を尋ね、修業に励み、剣の極意を悟る。しかも老人は太郎一の大祖父の弟子だったのである。

 ここにはひとつの物語パターンが見てとれる。時代風調と対立する日本的エトスとしての剣道、それに才能を発揮する主人公のこれ見よがしの行為とヒロインの存在、その罰としての山寺生き、アメリカ帰りでフェンシングと戦った樵夫との出会い、彼に必勝法を教えた老人のもとでの修業、そして老人が大祖父の弟子だったことなどの物語コードが『若き剣士物語』の進行に伴い、散種されていく。

 そこまでくれば、後半の展開は予想がつく。東京へと向かい、さらなる剣道の上達とフェンシングとの出会いを経て、太郎一は「剣道修業で会得したものを活かしてフエンシングに上達すれば、自分一人で世界中の剣士を征服することもできないことではなからう、といふ自覚が生れると同時に、剣道報国の理念が目ざめてきたのである」。

 まだ時代は昭和十一年で、三年後には紀元二千六百年の祝典に合わせ、東京でオリンピックも開催されようとしていたのである。それもあって、太郎一はアメリカから招待を受け、ロサンゼルスでのカリフォルニアのフェンシング選手権試合に出場し、二十余人を勝ち抜き、アメリカ人の手から選手権を奪うことに成功する。それは在米邦人が大騒ぎするところとなり、結婚してアメリカに渡っていた北村モン=モルガン夫人も同様だった。アメリカのおける「日本刀とサーベルとを見事に使ひわける昭和の宮本武蔵」の登場だったのである。まだ物語は続いているのだが、ここまでたどれば十分であろう。

 森本は「あとがき」において、「この小説の一部分には実在人物の実践的事実をかりて書いた。詳しくいへば、主人公太郎一がアメリカで活躍するあたり、特に最後の国際的試合の場面の如きは、記録そのまゝといつてよい」と述べている。この言に関して詳らかにしないが、実際に『若き剣士物語』はモデル小説といっていいかもしれない。ただ私見では、吉川英治『宮本武蔵』や富田常雄『姿三四郎』の影響を指摘できるように思う。


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