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古本夜話870 カヴァラビアス『バリ島』と産業経済社

 前回の阿部知二の『火の島』に関して、ジャワ島だけで終わってしまったこともあり、今回はバリ島にふれてみたい。
 火の島 (中公文庫)

 阿部はバリのことを思い出してみると、ボオドレールの『悪の華』の「異国の香」の一節「ひとつの懶い島、そこに自然が恵むものはめずらかな樹々、と味わいふかい木の実、からだのしなやかで強い男たち、驚くほどの淡白な眼差の色の女たち」が重なり、心に浮かんでくると始めている。
悪の華

 バリは少数の民俗文化研究者が嘆いているように、観光業者たちの手引きによって世界的な遊覧地となり、「唄や踊の島」として著名になっていたが、その伝統も淳風も滅びんばかりの状況に追いやられていた。これはバリにとって決して名誉なことではないし、今回の戦争によって、「蘇生と東洋復帰の機とならなければならぬのである」。異国情趣を売る外国人芸術家たちも、ゴーガンを連想させるどころではなく、三番煎じのわびしさを感じさせる。

 そこで阿部は南部の村に「ラジャ」という土侯、酋長といったほうが適切かもしれない人物を訪ねる。言葉は通じないけれど、ガメラン楽団を組織して指揮し、レゴン踊子も育成している壮漢で、歓迎の宴を張ってくれた。星空の下での食事、深夜までのガメラン楽、そこでの一泊と翌朝の村の聖地の見学は「胸に通じあうなにものか」を阿部に与え、写真や絵からは得られないバリへの親愛感を強くしたのであった。

 そしてさらに奥地も訪れ、山里の踊を見て、豚の丸焼を味わい、仮面芝居や影絵芝居、歌劇などを見ることで、バリ人の舞踊演劇好きを知り、バリの天地が神と魔霊と人間がともどもに楽しむ一大舞台であることを理解するに至る。それからバリの島の特徴、自然の美に恵まれた米作と祭祀、野菜と果実の豊穣さ、多彩な家畜たち、この小天地の自然と結びついて生きている百十四万人の人口から宗教、労働、生活、結婚、神話伝説までもに筆が及び、そこには確かにジャワ島以上の親愛感が充ちている。

 阿部はこれらの言及を直接の見聞の他に、いくつかの本によっていると注で述べ、それらの書名を挙げ、その中のM.Covarrubias:Island of Bali は「絶対の信頼を置くべきかは疑問」だが、「バリ紹介として甚だ好適な本だという定評もあり、翻訳も進められている」と記している。その翻訳が手元にあり、昭和十八年十一月に産業経済社から『バリ島』として、三千部の刊行で、A4判、上下二段組、二三八ページの一冊である。
f:id:OdaMitsuo:20190117114355j:plain:h120(『バリ島』)Island of Bali

 これはミーゲル・カヴァラビアス原著、新明希予、首藤政雄共訳とされているが、「序」は意外な人物が寄せていて、それは本連載113などでふれた、上海におけるユダヤ人河豚計画の主唱者大塚惟重海軍大佐である。そこで大塚は述べている。

 バリ島が、近年欧米人の好奇の対照となつた所以は、単に美男美女の住む常夏の楽園としてのみではない。東洋で最も古い風習、宗教を維持する島として尽きぬ興趣を抱いてゐるからに外ならない。即ち、日本的に云へば古事記の所謂大海原の国に遺る古代風俗研究対照として、最も好個のものである。余も年来、之に着目してゐたが、幸ひ征戦途次〇〇館長としてバリ島寄港の好機を得、更にジャワ島マラン市にて本原著を購ひ得たので、広く識者の研究に裨益せんことを庶ひ、本書訳本を快諾した所以である。

 この大塚の「序」に従えば、彼がジャワ島で入手した原著を首藤政雄と新明希予が共訳し、堀越ハルを発行者とする産業経済社から刊行したことになる。だが原著者、二人の訳者、出版社のいずれにしても、ここで初めて目にするもので、巻末の同社の堀越登吉『紙の統制事情』『紙の知識』といった出版物からすると、紙に関する専門書版元、堀越ハルはその夫人のように考えられる。その一方で、「思想書」として、大月隆仗『大国隆生』、遠藤友四郎『尊皇国史詠歎』も刊行しているので、こちらのラインから『バリ島』の出版へとリンクしていったのであろう。
f:id:OdaMitsuo:20190118103258j:plain:h120(『尊皇国史詠歎』)

 「原著者序」を読むと、カヴァラビアスは一九三〇年に誰も知らなかったバリ島で暮らし始め、マライ語を習得したが、アメリカに帰らざるを得なかった。その帰途、パリに寄ったところ、植民地博覧会が開かれていて、そこにバリの友人たちを見出し、バリへと帰りたい思いにかられた。三三年にグッケンハイム財団からの奨学金と貯金をはたき、バリへと戻った。すでにその時にはバリ島には旅行者が殺到し、バリ人の生活も変わり始めていた。そこで山村に生活を定め、古来の山村の伝統、習慣、儀式を記録し、近代商業主義のもとに失われようとしている現存のバリの文化を一巻にまとめることにしたとある。

 巻末の口絵写真は三十二ページ、半ばにある挿絵は十九ページに及び、バリ島の風景、住民、部落、生活、芸術、劇、儀式、祝祭、葬儀などが浮かび上がり、この『バリ島』の構成もまたそのように仕上がっている。大東亜戦争下において、このような『バリ島』の出現はどのような波紋をもたらしたであろうか。関心は募るばかりだし、それは訳者たちに関しても同様である。その「跋」において、新明は上海で、バリ島の十六ミリ映写に立ち会ったこと、及びそれを一緒に観た大塚大佐が『バリ島』をもたらしたと述べている。そしてバリ島に「古代日本風俗」を見たことを。同じく首藤も「我等の祖先が嘗て経験したであらうやうな、顕幽一如の姿が現存してゐる」ことを表明している。この二人もどのような人々なのであろうか。

『文化人類学事典』(弘文堂)の「バリ」の項に参考文献として、『バリ島』は訳者を付し、その筆頭に挙げられているが、二人に関する言及は見当らない。
文化人類学事典

 なお平成三年になって、『バリ島』はミゲル・コバルビアス著、関本紀美子訳として、平凡社から新訳刊行されるに至っている。
バリ島


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