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古本夜話873 岩倉具栄、大槻憲二、アンドレ・モーロア『詩人と豫言者』

 前回、高橋鐵の『南方夢幻郷』の序に当たる一文を寄せているのが、太平洋協会理事の岩倉具栄であることを既述しておいた。幸いにして『現代人名情報事典』にその立項を見出せたので、それを引いてみる。
現代人名情報事典

 岩倉具栄 いわくら ともひで
 政治学者、英文学者 【生】東京1904.2.8~1978.11.2 号南山、浩堂【学】1927東京帝大政治学科【係】父岩倉具張(公爵)【経】公爵、1934貴族院議員、35済生会参事、37十五銀行監査役、42司法省委員、49法政大教授、他に、岩倉鉄道学校総長、梅若能楽学院院長、日本建設協会社長【家】長男岩倉具忠(イタリア文学者)【著】1952訳ラスキン著《黄金河の王道》、57訳ロレンス著《ロレンス短篇集》、60編《岩倉具宮内大臣集》、他に《戦時人口政策》《大東亜建設と植民政策》《南国の日射し》

 この岩倉と高橋はどのようにして結びついたのであろうか。それは高橋に「まえがき」の中に一端が示され、「序文をお寄せ下さった岩倉公爵は太平洋協会にあって南進の舵輪を握っておられるだけでなく、マンスフィールド、ロレンス等を訳著された心理主義文学の研究者であり精神分析学の先輩です」と記されている。

 その他ならぬアンドレ・モロアの訳書、正確にいえば岩倉、金子重隆、大槻憲二共訳のアンドレ・モーロア『詩人と豫言者』が手元にある。これはA5判上製、函入三一四ページで昭和十六年に岡倉書房から出されている。モーロアの「緒言」によれば、フランス人に向けて発表した講演からなり、「現代苦を克服する文豪の列伝」で、ウエルズ、チェスタトン、コンラッド、ロレンス、マンスフィールドなどの九人の英国人作家を論じている。ただ翻訳のほうは原書表記がPoets and Prophets とあるので、それをキャッチコピーとする英訳版によっているのだろう。
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 「訳者の言葉」は大槻憲二の名前で書かれ、モーロアの「精神分析的の深さ」に基づく批評の特質を挙げた後、他に訳書にも言及している。

 共訳者岩倉具栄氏は公爵、法学士であって、據て学芸に特別の関心を持たれ、さきにマンスフィールド短編小説集『理想の家族』及びD・H・ロレンス小説集『太陽』の訳書を公にせられたことあり、従つて本書の訳者として極めて適当、且つ自然である。同じく共訳者金子重隆氏は早大文学部出身の人、現在、上野公園内の黒田美術館員として国際文化関係の仕事に携つてゐられる。その語学力に就いては、私の保証を待つまでもないであらう。

 この大槻に関しては本連載82で、すでに言及している。彼は矢部八重吉や長谷川誠也と昭和三年に東京精神分析学研究所を創設し、翌年に三人を訳者とする『フロイド精神分析学全集』を春陽堂から刊行する。そして六年には雑誌『精神分析』も創刊され、精神分析研究会が発足する。そのメンバーには江戸川乱歩もいたし、高橋鐵も加わっていたという。
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 長谷川誠也=天渓は本連載866でも挙げておいたように、博文館の出版局長も務め、早大英文科講師も兼ね、大槻の師ともなっていた。長谷川は精神分析の講義も行なっていたと伝えられている。また高橋も長谷川を師としているので、大槻や長谷川を通じて岩倉とつながり、南進論ブームにあやかり『南方夢幻郷』というタイトルを付したことによって、太平洋協会理事の岩倉に序を寄せてもらったと考えられる。

 そのような長谷川、大槻と高橋の関係は出版社にも及んでいたはずだ。霞ヶ関書房版『世界神秘郷』の「夢のあとがき」には大槻の慫慂によること、久保書店版「自ら謎をつぶやく」には長谷川と小野佐世男が作品の掲載を世話してくれたという旨が述べられている。それを具体的にいえば、長谷川が博文館の『新青年』、小野が文藝春秋の『オール読物』へ推薦してくれたのであろうし、戎光祥出版版『世界神秘郷』に収録されたほとんどの作品が、両誌の掲載だったことがそれを裏づけている。ちなみにこれも偶然なのか判断できないが、小野は本連載866などの大木惇夫や阿部知二と一緒にジャワに向ったメンバーの一人でもあった。

世界神秘郷(戎光祥出版)

 また『世界神秘郷』の霞ヶ関書房版は昭和十六年の刊行だが、大槻憲二『民俗文化の精神分析』(堺屋図書)所収の「大槻憲二略譜」を繰ってみると、大槻も同年に宮田戊子と共著で『近代日本文学の分析』を上梓している。おそらく『世界神秘郷』も大槻を通じて、霞ヶ関書房から出版されたと判断できよう。『南方夢幻郷』の東栄社は手がかりがつかめないが、やはり大槻や長谷川の精神分析人脈絡みの出版社だったのではないだろうか。

民俗文化の精神分析



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