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古本夜話879 日本エスペラント学会、小坂狷二『エスペラント捷径』、彩雲閣

 前回の土岐善麿の『外遊心境』にエスペラント語の訳文が収録されていることもあり、ここで日本エスペラント学会の出版物にもふれておきたい。それはこれも例によってだが、浜松の時代舎で、小坂狷二の『エスペラント捷径』なる「独習用・教師用」テキストを入手しているからだ。これは昭和二年初版、同三年第七版で、よく売れていることがわかる。日本エスペラント学会は大正八年に立ち上げられている。だからちょうど設立十年を迎えようとしていた。

f:id:OdaMitsuo:20190204174106j:plain(『外遊心境』) f:id:OdaMitsuo:20190204181240j:plain:h103(『エスペラント捷径』)

 この『エスペラント捷径』は「初学用の独習書」で、文法に加え、多くの模範的文を収録した一五〇ページほどの一冊である。もちろんエスペラントに通じていないし、この内容のレベルもわからないが、小坂が「序」で述べているように、エスペラントにしても「少なくとも中学三年位の程度の外国語の素養」が必要なことは理解できるし、やはり「語学々習の秘訣は根気である」ことも。

 その奥付のところに「我邦にエスペラント普及・研究・実用の中心機関」としての財団法人日本エスペラント学会役員名簿が掲載されているので、そのメンバーを挙げてみる。

 理事長  中村精男
 理事   上野孝男、種田虎雄、河崎なつ、川原次吉郎、何盛三、黒板勝美、小林鐵太郎、 
      高楠順次郎、土岐善麿、西成甫、美野田琢磨、望月周三郎、柳田国男、
      小坂狷二、大井学、三石五六
 幹事   大石和三郎、清水勝雄、木崎宏
 顧問   穂積重遠、三島章道

 肩書は除いたが、大学教授から鉄道技師に至る多様な人々からなり、柳田や土岐がエスペラントを学んでいたのは周知だったけれど、本連載121などでもお馴染みの高楠順次郎も関係していたとは意外であった。ちなみに『エスペラント捷径』の小坂は鉄道技師とされている。

 巻末広告として、エスペラント運動への「大衆の協力」を謳い、日本エスペラント学会の会員になると、大正九年に創刊のエスペラント語研究雑誌『La Revuo Orienta』(ラ・レヴーオ・オリエンタ)が毎月配布されるとの案内もある。この雑誌は未見だし、これらからも手に取る機会を得られるかわからないので、そこに示された内容を列挙してみる。

 1、文芸及び論説欄(エスペラント文)―詳細な脚註を付す。
 2、初等註釈欄―興味あるエス文を和訳し詳しい註を付す。
 3、研究欄―エス語の語学的研究発表。
 4、質疑応答欄―会員の呈出した語学上の質疑に解答す。
 5、普及運動報道欄―国内各地の普及運動を写真入で速報し、併せて海外のエス運動の大事件はすべて報道するを似てエス運動者の見のがすことのできぬ所である。
 6、投書欄。
 7、科学欄。
 8、作文会話欄。
 9、中等講義欄等。

 この雑誌の発行部数と日本エスペラント学会員数はつかめないけれど、月刊誌としてこれだけの内容を盛りこんだものを刊行することはそれなりの会員数を有していたと考えていい。雑誌の他にも、同学会編纂『新撰エス和辞典』、小坂狷二『エスペラント講習用書』、松崎克己『エスペラントやさしい読物』、夏目漱石『倫敦塔』などの「エスペラント書き日本叢書」などの刊行も、これらの会員によって支えられていたにちがいない。なお取次と発売所は北隆館が担っていた。
f:id:OdaMitsuo:20190210144423j:plain:h115(『新撰エス和辞典』)

 ユダヤ系ポーランド人のザメンホフが一八八七年=明治二十年に公表した国際語としてのエスペラントは、一九〇五年にはフランスで第一回世界エスペラント大会の開催、〇八年の世界エスペラント協会の設立に象徴されるように、世界的に拡がっていった。日本に伝わったのは一九〇二年=明治三十五年とされ、〇八年のドイツでの第四回世界大会は先に挙げた理事の国史学者の黒板勝美、及び後の『広辞苑』の編者新村出が参加している。

 またそれに先立つ明治三十九年に、日本における最初のエスペラント書である二葉亭四迷の 『世界語』と『世界語読本』(いずれも彩雲閣)が刊行されている。これらは岩波書店版『二葉亭四迷全集』第九巻に収録されているが、前者は抄録、後者は「例言」だけの収録である。だがそれらを確認してみると、 『世界語』は「露国エスペラント協会々員」の長谷川二葉亭著、「教科用 独習用」で、「文法・会話・読本・字書付」とあり、小坂の『エスペラント捷径』の内容と重なってくる。『世界語読本』のほうはザメンホフ著、二葉亭註釈とあり、これがザメンホフのEsperanto=『国際語』の翻訳だとわかる。

f:id:OdaMitsuo:20190210145210j:plain:h115(『世界語読本』)二葉亭四迷全集 (『二葉亭四迷全集』第9巻)

 二葉亭とエスペラントの関係、これらの刊行の経緯は二葉亭の『世界語』の「例言」、及び同九巻所所収の伊井迂老人「二葉亭とエスペラント」に詳しいが、その売れ行きだけでもふれておくと、たちまち三版を重ね、七、八版まで達し、そのために姉妹編『世界語読本』の刊行に及んだとされる。彩雲閣は歌人の岡麓が明治三十九年に創業し、本連載836の易風社の西本波太が在籍していた。経緯は不明だが、このようなエスペラントという国際語を初めて出版したことになり、その印刷も含め、協力した人々についても想像をたくましくしてしまうし、おそらく二葉亭と彩雲閣版が日本エスペラント学会の出版物の範となったと見なしていいだろう。


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