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古本夜話884 高見順とバイコフ『ざわめく密林』

 そういえば高見順も徴用され、南進していたことを思い出し、『高見順日記』(勁草書房、全九巻)を読んでみた。すると第一巻にバリ島やジャワの「渡南遊記」、タイの「徴用日記」、第二巻/上に「ビルマ従軍」が収録され、それらは昭和十六年から十八年にかけてのことだった。
f:id:OdaMitsuo:20190215114646j:plain:h120( 第二巻/下)

 これだけ詳細に徴用記録としての日記を残した文学者は高見の他にはおらず、とても興味深いのはいうまでもない。しかし日記ということもあり、読み続けていくと、高見は昭和十九年になって大本営報道部の応召を受け、六月に支那へと渡り、その半年近い滞在を「渡支日記」として書き、それが第二巻/下に収録されている。ここではこちらにふれてみたい。

 高見は南京から上海に向かい、内山書店にいったり、滞在中の小林秀雄や阿部知二たちに会ったりした後、彼らとともに南京に戻り、中徳文化協会での大東亜文学者大会に出席する。これは『日本近代文学大事典』で「大東亜文学者会議」として立項されているが、日本文学報国会の初代事務局長久米正雄の構想によるものである。大東亜共栄圏の文学者の親善と協力を目的として、昭和十七年に東京と大阪、十八年に東京で開催され、南京は三回目だった。それから北京を経て、満州に入る。甘粕正彦が会長を務める満州芸文協会の発会披露式があり、それにも出席し、甘粕の案内で満映を見学したりする。次はハルピンである。そしてバイコフを訪ねる。

 路地をはいった奥の小さな家だった。バイコフ老とその夫人と娘さんと三人ぐらし。 
 バイコフは今年七十二歳、もうあぶないといわれるくらいの病気をしたあとだという。
 娘さんは母親似で二十四歳、いま日本語を習っているという。

 高見は本連載279の戸川貞雄とバイコフを訪ねているのだが、その理由については述べていない。バイコフは先述の大東亜文学者会議で来日しているので、面識があったとも考えられるし、高見はバイコフの「菊池寛には大変に世話になったと幾度もいうのだった」との言を書き留めている。この言からバイコフの『偉大なる王』(長谷川濬訳、昭和十六年)と『ざわめく密林』(新妻二朗訳、同十七年)がいずれも、菊池寛の文藝春秋社を版元としていることを想起させた。
 f:id:OdaMitsuo:20190227173246j:plain:h120(長谷川濬訳『偉大なる王』、新潮文庫版)
 f:id:OdaMitsuo:20190227174143j:plain:h120(新妻二朗訳『ざわめく密林』、「世界動物文学全集」28 所収、講談社)

 バイコフは一八七二年キエフに生まれ、ロシア軍に入り、満州に送りこまれたが、軍務のかたわらで現地の動植物調査研究に携わり、二三年以降ハルピンに亡命し、満州国成立後もその地で亡命生活を送り、多くの動物小説を発表し、三六年にはハルピンのザイツエフ書店から挿絵入りの『偉大なる王』を出版している。

 それを翻訳したのは長谷川濬で、彼を含めた長兄を谷譲次とする長谷川四兄弟を論じた河崎賢子の『彼等の昭和』
(白水社)によれば、別役実の父である別役憲夫からハルピン土産にもらったことがきっかけだったという。長谷川は満映宣伝課副課長で、売り出し中の李香蘭を担当し、多忙の中にあったが、渡満中の、これも本連載132の富沢有為男とバイコフを尋ね、『満洲日日新聞』に翻訳連載したのである。そしてこれが昭和十六年に同出版部から『虎』として単行本化され、菊池寛が「満洲のジャングルブック」と絶賛したことで、続いて『偉大なる王』とタイトルを変え、文藝春秋社からも刊行の運びとなった。それは富沢の尽力が大だったとされる。
彼等の昭和(『彼等の昭和』) f:id:OdaMitsuo:20190227112541j:plain:h113 (『虎』、満州日日新聞)

 高見も実際に満洲文藝春秋社を訪ね、社員の香西昇との交流も記されていることからすれば、満州文藝春秋社を通じての満洲日日新聞社との折衝によって、改題の文藝春秋社版の刊行が実現したことになろう。その出版をきっかけとして、バイコフは日本での大東亜文学者大会に招待され、それがいずれも菊池の世話になったことから、バイコフは高見を前にして、何度も菊池への謝意を表明したのであろう。

 その『偉大なる王』は残念ながら入手していないけれども、翌年刊行の『ざわめく密林』は手元にある。昭和十七年七月三版五千部との奥付からすると、『偉大なる王』の好調な売れ行きと評価に相乗し、版を重ねていると見なせよう。「序」を記しているのは大仏次郎で、バイコフには二度会っていて、この『ざわめく密林』は「東満の密林」にあった「バイコフさんの若い日の記録」「作りものの小説ではなく、バイコフさんの生活の実録」だと述べている。そして訳者にもふれ、「翻訳者の新妻さんに、逐語訳よりも自由な訳をされるやうに勧めた。新妻さんが、バイコフさんと同じく軍人の経歴を過去に持ち現在は同じハルピンに住んで、一代前のバイコフさんと同じ仕事をしてゐられるのも奇縁である」。

 この挿絵入りの密林動物小説集は二十三編からなり、その「あとがき」において、新妻は長谷川濬からバイコフの話を聞き、予告もなしにバイコフを訪ね、急速な親交が結ばれたことを語っている。それは次のような理由によっている。

 浮世を外に自然と狩猟とを友とする、一種独特の哲人としての風格を、今以て保持してゐる人である事、奇しくも、翁が在満当時の職務である東支鉄道警護の後黒龍兵(ザアムールツイ) の中隊長といふのは、その組織系統に於て、多少の相違こそあれ、また年代に於て三四十年の差異こそあれ、私の現在の職務―満洲国治安部の鉄道警護長と、似たりよつたりであることなどの諸条件であつた。

 新妻は「一介の武弁」だが、それが動機となって「翁の著作を邦訳し、報はれる事の少ないこの老翁を慰めて上げようとした」と述べ、「あとがき」を閉じている。 


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