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古本夜話886 『現代海洋文学全集』とグッドリッヂ『デリラ』

 前回の海洋文化社の「海洋文学名作叢書」と同様に、本連載487で改造社の『現代海洋文学全集』にもふれておいた。しかしその際には『現代海洋文学全集』に関して未見であった。だがその後、それを二冊入手しているので、続けて書いておきたい。

 書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』を確認してみると、『現代海洋文学全集』は昭和十六年に全十巻予定で刊行されたが、そのうちの六冊が出ただけで中絶してしまったようだ。それでも判明した既刊分をリストアップしてみる。
全集叢書総覧新訂版

1 マンフレート・ハウスマン、高橋健二訳 『青春よさらば』
5 ヨハン・ボイエル、内山賢次訳 『北洋出漁』
6 ジャック・ロンドン、村上哲夫訳 『南海物語』
7 マーカス・グッドリッヂ、岡本圭次郎訳 『デリラ』上
8   〃                   下
9 ジョセフ・コンラッド、土屋巴他訳 『海洋短篇小説集』

f:id:OdaMitsuo:20190304102626j:plain:h120(『デリラ』上)f:id:OdaMitsuo:20190304105942j:plain:h120(『南海物語』)

 入手しているのは7と8の『デリラ』である。だがこの巻末には全集のリストの掲載はなく、その明細は不明のままだ。それに改造社も他の多くの出版社と同様に、社史も全出版目録も出していないので、『現代海洋文学全集』の企画経緯、その中絶の理由もよくわからない。ただ先の既刊リストから判断すれば、収録作品の知名度が低く、大東亜戦争下において、外国の海洋文学翻訳という企画自体が不評だったことに中絶理由が求められるのではないだろうか。

 それを裏づけるように、昭和五十三年に自由国民社から小島敦夫編。『世界の海洋文学・総解説』が刊行されているが、『現代海洋文学全集』とその収録作品への言及はないし、また、『増補改訂新潮世界文学辞典』においても、グッドリッヂと『デリラ』の立項は見当らない。それゆえに実際に『デリラ』を読んでみるしか手がかりはないように思われる。 
世界の海洋文学・総解説

 著者のグッドリッヂは見習水兵として海軍に入り、主としてフィリピン群島、支那、日本沿海で長い海軍生活を送り、第一次世界大戦には駆逐艦乗組員となり、その後ジャーナリズムに携わり、十年を要して『デリラ』を完成したとされる。その駆逐艦をモデルとするのが同書の主人公というべきデリラ号で、時代背景はアメリカが第一次世界大戦に加わる一九一六年暮れから一七年初めにかけての数ヵ月間、舞台はフィリピン群島である。

 デリラ号はミンダナオ島南端のサンボアンからスールー島へひとりの神父を送っていく。フィリピン南部の諸島に住む最も精悍なモロ族が反乱を起こし、その鎮定のために神父が乗りこんでいったように、デリラ号とその乗組員たちも、「死か勝利か」の運命にあることを暗示している。デリラ号はスールー島まで全速で走ったが、艦全体に故障が生じ、減速せざるを得ず、マニラ湾に帰り、修理を施すことになった。だがその時、反乱を起こしたモロ族を支援する武器密輸団がパラワン島沿岸で活動しているので、これを捜索せよとの命令が打電されてきた。

 廃艦に等しい航海しかできないデリラ号はいつ日本の軍艦に襲われるかという不安の中を進み、陸戦隊は未開地の密林地帯を探索し、大きな洞窟に至る。それでも海戦隊は無事に帰艦し、デリダ号はマニラ湾に向かい、大修理にかかる。乗組員たちはストレスから酒と女と喧嘩にその発散を求めたりする。だが新装されたデリラ号に帰艦し、アメリカの参戦が告げられた。ボートを揚げろという命令が下され、デリラ号は本来の使命に邁進することになったのである。

 しかし最も留意すべきはこのような『デリラ』の物語に置かれた「上」における訳者の「作品解説」及び「下」の「おへかき」のいずれも最後のところであろう。まず前者から引いてみる。

 この物語は、そのデリラの活躍場面が、フィリピン群島であり、我が国の海軍も時々噂に上る程で、或る意味に於て極東の関心ことを扱っており、他方米国海軍の兵員に対する再認識も与へてくれる。現在の第二次大戦への米国海軍の参戦も切迫してゐる折柄、この一篇の小説が吾が国民に与へるものが、可成り大きい事を信じて疑はない。

 次に後者から引く。

 米国海軍歩兵は無頼の徒の集合だと言はれ、米人自身少なくとも最近まではそれを認めてゐた。その一端はこの物語にも明らかに見て取れる。然し艦と一体となつてよくその気魄を生かし得るとすれば、無頼漢なる故に恐るべきものとならぬだらうか。米国海軍の士官は教養もあり、精神的にも練成された者が多いと聞かされてゐる。かゝる士官の操縦するこの様な兵員を持つた米国海軍は果して弱いであらうか。吾々としてもこの点に一顧を与へる要はないであらうか。冷静沈着な頭脳に率ゐられる狂暴な力、若しそれが米国海軍の持つ真の相であるとしたら、吾々の考へ方にも一応の反省があつて然るべきものと思はれる。

 『デリラ』は『現代海洋文学全集』 の第一、二回配本に当たり、これらは昭和十六年五、六月の日付で出されているが、十二月には日本軍が真珠湾を空爆し、太平洋戦争が始まっている。それを目前にしての警告とでも称すべきものであり、当然のことながら、軍部には目ざわりな発言だったと思われる。中絶したのもそれもひとつの原因だったのではないだろうか。


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