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古本夜話888 岩田豊雄『海軍』と獅子文六『娘と私』

 火野葦平の『陸軍』に先駆けて、昭和十七年の『朝日新聞』に岩田豊雄の『海軍』が連載され、十八年二月に単行本として刊行されている。岩田はいうまでもなく、獅子文六の本名である。『朝日新聞出版局50年史』によれば、火野が公職追放されたことに対し、岩田は追放指定を受けたが、訴願によって免れたという。
f:id:OdaMitsuo:20190304174603j:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20190304180513j:plain:h120 (朝日新聞社)

 それも作用してか、火野の『陸軍』と異なり、岩田の『海軍』は昭和四十三年刊行の『獅子文六全集』第十六巻に収録され、また早くから新潮文庫化されていたこともあり、読むことに対し、開かれた作品であり続けたことになる。あらためて前者を確認してみると、その「付録月報」に、獅子による「『海軍』その他について」が寄せられ、彼は次のように述べている。
f:id:OdaMitsuo:20190305115901j:plain:h120 (第十六巻)

 戦争中に書いた「海軍」その他のものに、私は本名を用いたが、これは一国民としての意識が強くなり、筆名で文学に遊ぶ気持がなくなったからだった。戦争の衝動がどんなものだったかは、「娘と私」の中に書いてあるから、参照されたい。とにかく、それまでの私の文学は「遊び」で、戯作者として終始するつもりだったが、戦争になって、日本が勝ためなら、何でもする気になった。したがって、戦争中に書いたものは、すべて実用の文学である。

 最後の「戦争中に書いたものは、すべて実用の文学である」との言葉は、文学のみならず、大東亜戦争下のすべての出版やジャーナリズムにも実用の言説だったことを伝えていよう。この発言に加えて、獅子が特異なのは自らの朝日新聞社からの全集に、この「すべて実用の文学」を収録したことである。それを自分の意志で実行した文学者は獅子だけではないだろうか。その第十六巻には『海軍』を含め、岩田名で発表された海軍をめぐる小説や随筆のすべてが収録されている。それもあって、早くから『海軍』が新潮文庫化されていたことになろう。
f:id:OdaMitsuo:20190305120532j:plain:h115(新潮文庫)

 『海軍』は太平洋戦争における真珠湾攻撃に際し、特殊潜航艇に乗りこみ、勇士の一人として戦死した横山正治をモデルとする主人公谷真人の短かりし生涯を描いている。それは海軍や勇士を神格化する戦争文学というよりも、地方のまじめな若者が海軍をめざして成長していくというビルドゥングスロマンの色彩が強く、火野の『陸軍』とは趣を異にしている。それゆえに獅子が『海軍』で追放の仮指定を受けたことにはどのような経緯と事情が秘められていたのか。

 このことを確認するために、獅子が挙げている『娘と私』(『獅子文六全集』第六巻所収)を読んでみた。いってみれば、『娘と私』も『海軍』と同様にノンフィクションである。この作品は獅子のフランス人との結婚、日本での生活と娘の誕生、妻の病と帰国と死、獅子の再婚から娘の結婚に至るまでをたどった自叙伝と見なせるだろう。そのために当然のことながら、戦時下に書かれた『海軍』にもふれられている。「太平洋戦争は、事件として、私の生涯の最大なものであった」とされる。以前には岸田国士が大政翼賛会の文化部長に就任したことに驚き、新体制運動や国家総動員にも不振の目を向け、対米開戦は大暴挙だと考えていた。だが「開戦の日ほど、印象の深いものはなかった」し、その「翌日から、翌年の春にかけて、次ぎ次ぎに発表された、空想的な戦果が人を酔わせ、狂わせた」のであり、「私も、いい気になって、万歳を叫んだ者の一人だった」。
 獅子文六全集6 (第六巻)

 とりわけ最初の戦果をもたらした海軍、その中でも死ぬことを自覚し、小さな潜航艇に乗り、真珠湾に入っていった若い士官たちの行動に深く感動した。その頃「私」は『朝日新聞』から連載小説の依頼を受け、士官の出身地の鹿児島、呉の軍港、江田島の海軍兵学校を取材し、彼が「平凡温健な青年である」ことを確認し、「軍神」ではない本当の姿を描こうとして、『海軍』を書き始めた。その作品に自信がなかったが、日を追うに従い、これまでになり好評を博し、四つの映画会社と七つの出版社から映画化と単行本化のオファーが出され、さらに初めての受賞というべき朝日文化賞を得て、朝日新聞社から出された単行本も記録破りの売れ行きを示したのである。

 敗戦後にこれが前提となり、『海軍』を書いた「私」は「特別な眼」で見られるようになった。敗戦を迎えた世間は日毎に目まぐるしく変わっていく。その状況は次のように述べられている。

 昨日までは、最も貴重視されたものが、最も軽蔑すべきものに、転落していく有様は、凄まじい見ものだった。そして、誰も、それを訝しまず、よい加減に、自分を順応させていく様は、もっと、不思議なものだった。

 そして戦争責任者、戦争犯罪人というタームが新聞に現われるようになる。それは妻の郷里の疎開先にも聞こえてくる。その戦犯使命社は占領軍司令部=GHQと日本共産党によるものだった。実際に出版界においても同様のことが起きていた。しかし戦犯と目される文士たちは掌を返すような言論に励んでいた。それは「私」に「文士廃業」を思い起させたし、出版社や新聞社の連載小説の依頼を断わらせていた。

 その一方で、異常な出版景気に見舞われている東京に戻り、新聞小説の構想を立てている時、『海軍』を書いたことにより、GHQからの追放仮指定を受けたことを知る。それに対し、「私」は戦争中に「聖戦、八紘一宇、大東亜共栄圏」という三語を使用したことがないという「異議申立書」を提出し、それがパスし、仮指定は解除に至る。そして敗戦後の日本の姿を『てんやわんや』として『毎日新聞』に連載し始めるのである。
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