出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話900 日下頼尚『邦人を待つ仏印の宝庫』

 前回の久生十蘭『魔都』における安南のボーキサイト発掘権に関してだが、その数年後にそれに照応するような格好の一冊が出されている。その一冊とは東亜殖産理事の日下頼尚『邦人を待つ仏印の宝庫』で、昭和十六年に発行者を楠間亀楠とする文明社から刊行されている。私が所持するのは同十七年三月の再版である。
魔都

 これはB6判並製の「興亜新書」の一冊で、巻末広告によれば、この他に同じ著者の『食物による体質改造』、小澤修造『現代医学と先哲養生訓』、辻本与次郎『隣組常会夜話』、奥むめお『花ある職場へ』、ニコール・スミス、木川正男訳『ビルマロード』、平野威馬雄『ファブルの自然科学』が掲載されている。その他にも石原廣文『還らぬ白衣』といった「三大戦記」、浅野晃『日本精神史論攷』などの「随筆評論」も見えている。
f:id:OdaMitsuo:20190318170940j:plain:h120

 このような文明社の発行者たる楠間については『出版人物事典』に立項が見出せるので、それを引いてみる。
出版人物事典

 [楠間亀楠 くすま・きなん]一八八一~一九六〇(明治一四~昭和三五)文明社創業者。和歌山県生れ。東京高等商業学校卒。商業学校で教鞭をとったが出版界に転じ、宝文観、南光堂などに勤務したのち、一九二三年(大正一三)東京・本郷菊坂に文明社を創業。『最新商業教科書』を処女出版、関東大震災後、小石川水道端町に移り、『女子商業読本』『簿記教科書』などの自著をはじめ、商業関係書などの学参書を多数出版した。四九年(昭和二四)の総選挙に東京第一区から無所属で出馬したが落選した。

 これで文明社が学参書を主とする出版社だとわかるし、「興亜新書」などは大東亜戦争下における出版物だと了解される。そしてそれらの中に必然的に「南進論」にまつわる『邦人を待つ仏印の宝庫』や『ビルマロード』が組み込まれてしまうことも。前者の著者の日下は東亜殖産理事であると同時に、保健食養協会長の肩書で、『食物による体質改造』を刊行していることからすれば、戦時下に組織された様々な団体に在籍していたことがうかがわれる。

 『邦人を待つ仏印の宝庫』の巻末に収録の「東亜殖産協会の内容」を見ると、その「目的は東亜共栄圏各国の重要物産種苗交換、衣食住必需品支援、民族の共存親睦策、民俗の福祉増進策等を主とする」とある。会長は陸軍中将の井上一夫で、本部を東京、支部を東亜共栄圏内各国の重要都市に置くとされている。同書の題字も井上によるものだ。この東亜殖産協会も、当時夥しく設立された大東亜戦争と大東亜共栄圏のための団体に他ならない。

 それを象徴するかのように、日下は次のように「序」を書き出している。「東亜共栄圏の確立は東亜各民族間の緊密なる連盟を結成し、近隣相親睦して相互協力の下に共存共栄の提携増進こそ東亜民族の自覚を見らるべきである」と。そして昭和十六年五月の東京における日本と仏印の経済協定の正式調印が日仏両全権の間で行なわれ、仏印での関税の免除、もしくは最低税率への軽減が認められることになった。それまで仏印はフランス商品の独占消費市場であると同時に、仏印の原料資源はほとんどフランスへ運ばれていたのである。これは昭和十五年の日本軍の北部仏印への進駐、翌年の南部仏印進駐を背景として成立したものと見なしてよかろう。

 また従来の印度支那の特色は地形とともに居住人種が一変するとし、それらがタイ人、カンボジア人、安南人、ラオス人などだと指摘し、その仏印民族の実態を総括するかのようにいっている。

 全体で約二千三百万、その中最も多数なのが安南人の一千六百六十七万九千人である。然しこれだけの多数でありながら此等の商圏は僅か三十二万の華僑その他に握られ、政権はたつた四万人の仏人に握られ、手も足も出ないのであるから実に腑甲斐ない状態である。

 そうした仏印の社会、政治状況に対して、鉱産、水産資源の豊富さ、農業生産の活発さが強調され、とりわけ鉱産資源は膨大で、「南洋の宝庫」と目される。それは日本にとって「国防資源」に他ならず、その開発が使命ということになる。このような視座から昭和十三年の石炭、錫とタングステン、金などの鉱区数と鉱産額が示され、その他には宝石とボーキサイトも含まれ、まさに久生の『魔都』を彷彿とさせるのである。そしてさらにそれらの総産出額の内訳も挙げられ、トンキン、ラオス、安南、カンボヂヤで占められ、そのうちの九三%が輸出され、近年では日本へと輸出されるようになってきている。

 それらの現況が数字に基づいて報告され、これらを日本資本で操業、かつ開発すれば、仏印が日本にとって「南洋の宝庫」であることがリアルに伝わってくる。それは農産、魚類資源も同様で、続けて取引の要に位置する華僑と対仏印写真、金融と邦人企業問題なども言及されていく。

 このように読んでくると、東亜殖産協会がそれらを支援する興亜院、及びその後身の大東亜省の外郭団体のようにも思えてくるし、実際にそのように機能していったのであろう。また「興亜新書」もその一環として出版されていたとも察せられるのである。


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら