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古本夜話905 熊谷元一『会地村』

 前回の福田清人の『日輪兵舎』の奥付裏の新刊・重版案内に熊谷元一『会地村』を見出し、この長野県の「一農村の写真記録」もまた、大陸開拓の時代とパラレルに刊行された事実にあらためて気づいた。
f:id:OdaMitsuo:20190321163832j:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20190326172750j:plain:h120 (『会地村』、朝日新聞社版)

 といっても戦前版の『会地村』を入手しているわけではなく、昭和六十年に熊谷元一写真保存会によって復刻された一冊を見ていたからだ。戦前版は「あふちむら」、復刻版は「おおちむら」とのルビがふられていた。それは私にとって驚きといっていい写真集で、戦前の一農村の風景が一冊の本として残されていたことに加え、そのような変哲のない農村の生活風景が写真として編まれ、しかもそれが朝日新聞社から刊行されていたという事実を知らしめることになった。この復刻を知ったのは『アサヒカメラ』(朝日新聞社)で、そこに紹介されていた熊谷元一写真保存会から直接入手したのである。昭和六十年といえば、もはや三十年以上前だが、バブル時代が始まりつつあったことを記憶しているし、私が『〈郊外〉の誕生と死』を書こうとする発端でもあった。
〈郊外〉の誕生と死 〈郊外〉の誕生と死(論創社版)

 当時、やはり長野県を出自とする田中康夫の『ブリリアントな午後』新潮文庫化され、再読していたかたわらに、この『会地村』が届いたことを思い出す。一方にファッションモデルを主人公とする高度資本主義消費社会の快楽と悲しみを描いた作品があり、そこに戦前のアジア的農村共同体の風景、それは高度成長期以前の日本の農村に他ならず、両者は対照的なかたちで私の前に出現したのである。そして私たちの世代こそは、田中たちと異なり、このアジア的農村共同体と高度資本主義消費社会を、共時的に体験した最後の世代なのかもしれないと考え、そのことを業界新聞の連載コラムで書いたりもしていた。
ブリリアントな午後

 前置きが長くなってしまったが、『会地村』は「村の四季」と「わしが村」(本文では「わしの村」)の二部構成で、農林大臣の有馬頼寧が、時局下における得難き「農村記録写真」とする「序」を寄せ、続けて編者が、熊谷の会地村でのカメラとペンによる「今までにない、カメラによる綜合的な農村生活の報告書」だと述べている。そして会地村がそれを俯瞰する見開き二ページ写真と野良着の娘の姿を添え、次のように紹介されている。

 会地村は長野県下伊那郡の西部にある。面積〇・七五方里、戸数六百三十余戸、人口三千二百余人に過ぎない小さい村だ。
 四囲を山に囲まれた此の村は、約半数が養蚕と稲作とを営む農家で、他は農村を相手とする小売商、手工業者、雇傭労働者及び俸給生活者だ。
 郡下の農村としては比較的文化程度の高い方であるが、別に模範村でも、更生村でもない。
 といって窮乏村と呼ばれる程逼迫もしてゐない、ひと極平凡な村だ。

 その第一部「村の四季」において、会地村の季節の移り変わりが写真と文章で語られていく。「初詣」の写真には「元旦の朝一時ごろから村人たちは産土神社の初詣に行く」と始まる一文が添えられ、かつての農村の正月と生活史を浮かび上がらせる。まさに高度成長期以前の農村の時間の流れは農業生産、民俗行事、四季の移り替わりに従っていたのである。そうした中にも戦争の痕跡は記され、「盆踊り」の写真には「支那事変が起つたので昨年と本年は休んだ」との記述が見られる。
 
 その第二部「わしが村」では、第一部の「元旦から除夜の鐘に至る縦の生活」ではなく、会地村の「社会的政治的文化的な各種の分野における村の横の生活」の記録が報告されている。すなわち伊那谷と狭い耕地、天気と農業事情、村の財政と人口減少、農業状況、野菜と果樹、蚕と桑畑、養蚕農家の不景気、家畜と林産、悩む小売商の実態などもまた、写真と文章を組み合わせて伝えられる。そしてこれも見開き二ページで、「護れ、銃後を!」と題し、「出征」のシーンが挿入され、「真夏の短い夜もいまだ明けきらず田の上には薄靄がなびいてゐる。/出征兵士を送る村人の行列は長々と村境まで続く。路傍の稲の葉末は人々の歓声に揺れ、露は鈍く光る」というキャプションが添えられている。それは会地村もまた盆踊りの中止と同様に、「時局下」にあることも否応なく露出させている。

 著者の熊谷は明治四十二年会地村に生まれ、昭和四年飯田中学卒業後、小学校に勤務しながら、武井武雄に師事し、童画を描いた。それがきっかけとなり、昭和十一年から会地村の記録写真を撮り始め、『会地村』の出版により、その後拓務省嘱託となり、戦後は『かいこの村』『一年生』(いずれも岩波写真文庫)などを刊行している。このような熊谷の仕事は郷土出版社の『熊谷元一写真全集』として集大成されることになるのだが、その一方で、ふたつの記念すべき写真イコノロジーとも称すべき出版プロジェクトへと結びついていったと推測できよう。

f:id:OdaMitsuo:20190330173650j:plain:h120 一年生 f:id:OdaMitsuo:20190330175501j:plain:h120

 それらの編著者はいずれも宮本常一の仕事の継承者である須藤功によるもので、『写真で見る日本生活図引』(弘文社)、『写真ものがたり 昭和の暮らし』(農文協)として結実する。とりわけ前者は宮本も関係している澁澤敬三、神奈川大学日本常民文化研究所編『絵巻物による日本常民生活絵引』(平凡社)の延長線上に成立した試みであることは明白である。それに加えて、熊谷の写真と文章による『会地村』の影響を見逃すわけにはいかない。そのことは『写真で見る日本生活図引』『写真ものがたり 昭和の暮らし』の双方に、熊谷の写真が多く使われていることからもうかがうことができる。

写真で見る日本生活図引  写真ものがたり 昭和の暮らし 絵巻物による日本常民生活絵引

 またさらに拙稿「甲鳥書林と養徳社」(『古本探究Ⅱ』所収)で、柳田国男、三木茂『雪国の民俗』にふれているが、これも『会地村』の影響を受けていると断言してもいい。しかし『会地村』への言及が見られないとは残念だというしかない。

古本探究2 雪国の民俗


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