前々回の新泉社の「叢書名著の復興」は戦前の、それも昭和四十年代前半の企画刊行だけれど、この「叢書」に関しては考えさせられることもあるし、現在の文庫問題とも重なってくるので、ここで取り上げておきたい。
それにこの「叢書」は単行本復刊ではなく、改訳、新たな序、丁寧な解説が施され、また巻によってはそれに合わせるように、「付録」として関連著作や論文も加えられている。次のその明細を示すが、「付録」タイトルは省き、編・解説者を付す。
著者 | 書名 | 編・解説者 |
1 三好十郎 | 『恐怖の季節』 | 荒正人・大竹正人 |
2 ケストラー、平田次三郎訳 | 『スペインの遺書』 | 平田次三郎 |
3 石田英一郎 | 『文化人類学ノート』』 | 泉靖一・山口昌男 |
4 服部之総 | 『明治維新史』 | 下山三郎 |
5 オグデン、リチャーズ、石橋幸太郎訳 | 『意味の意味』 | 外山滋比古 |
6 マリノウスキー | 『未開社会における犯罪と慣習』 | 江守五夫 |
7 蠟山政道 | 『日本における近代政治学の発達』 | 原田鋼 |
8 松田智雄 | 『新編「近代」の史的構造編』 | 住谷一彦・大野英一 |
9 戒能通孝 | 『古典的世界の没落と基督教』 | 生松敬三 |
10 家永三郎 | 『日本思想史に於ける否定の論理の発達』 | 武田清子 |
11 田中惣五郎 | 『東洋社会党考』 | 鈴木正 |
12 戸田貞三 | 『家族構成』 | 喜多野清一 |
13 土田杏村 | 『象徴の哲学』 | 上木敏郎 |
14 中井正一 | 『美学的空間』 | 鈴木正 |
15.16 リントン編 | 『世界危機に於ける人間科学』全二巻 | 蒲生正男 |
17 細谷千博 | 『シベリア出兵の史的研究』 | 和田春樹 |
所持しているのは 6 に加えて 3 で、前々回ふれなかったけれど、前者は昭和四十二年第一刷り、五十五年第七刷、後者は並製の「学生版」として五十二年第二刷であることからすれば、「叢書名著の復興」はそれなりに読者を得てロングセラーになっていたことを示していよう。先の明細は両書の巻末広告からの掲載だが、その後18『柳田国男教育論集』、20.21小山弘健・浅田光輝著『日本帝国主義史』上下が出され、それで終わっていると見なしていいし、そこで打ち切られた出版状況を考えてみたい。
(『未開社会における犯罪と慣習』) (『文化人類学ノート』 学生版)
新泉社の創業者小汀良久は昭和七年に愛知県に生まれ、二十六年に島根大学文理学部を中退して上京し、翌年に未来社に入社し、営業責任者を務め、三十七年に退社。そして三十八年にぺりかん社設立に参加し、役員となるが、四十三年には新泉社を創業する。あらためて考えてみると、未来社を出自とする影書房の松本昌次や洋泉社の藤森建二も、小汀の軌跡を意識していたのであろう。
その創業目的は文化性を第一義とし、商品性よりも文化史を重視する「質的出版」である。小汀は昭和五十二年刊行の「大量安価で出版の質は保てるか」というサブタイトルを付した『出版戦争』(東京経済)で、次のように述べている。
わたしの場合、企画政策、あるいは営業種目は三つである。いずれも文化性を第一義に考えている。第一に出したい本を出す。第二は残さなければならない本を出す。第三はどこからも出ない本を出す、の三種目である。
第一は出したいから出すという「志」に基づく。第二のことは「埋もれた名著、すぐれた記録、資料」「名著の誉れが高く絶版になっている本」だが、「文庫のかたちで出せるほど、部数の期待できない本」をさし、それが「叢書名著の復興」であることはいうまでもないだろう。第三も文字どおりの意味で、具体的に挙げれば、サルマン・ラシュデイの五十嵐一訳『悪魔の詩』で、訳者の五十嵐は筑波大学研究室で、何者かによって殺され、事件は迷宮入りしてしまっている。当時の『悪魔の詩』販売状況に関しては、今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』(「出版人に聞く」シリーズ1)に証言が残されていることを付記しておこう。
それらはともかく、小汀に先述のサブタイトルを伴う『出版戦争』を書かせたのは、新泉社創業後に起きた低定価による出版市場支配ともいうべき第三次文庫ブームであった。第一次は昭和初年の岩波文庫創刊に象徴され、第二次は昭和二十四年の角川文庫を始めとする中小出版社によるのだが、第三次は四十六年の講談社文庫、四十八年の中公文庫、四十九年の文春文庫、五十二年の集英社文庫といったように、大手出版社が相次いで文庫合戦に加わっていったのである。そこでは岩波文庫や新潮文庫が体現していた「文庫=古典、名著・名作の観念」は一掃され、「売れるものなら何でも文庫化する時代」の到来といえるし、五十一年には講談社学術文庫もスタートした。
そして講談社からは新泉社に対し、石田英一郎の『文化人類学ノート』ばかりか、荒畑寒村『谷中村滅亡史』 も学術文庫へというオファーが出されてくる。それらの経緯と事情も『出版戦争』で具体的に語られているし、そうした結末に関しても同様である。小汀は「ここ数年来の復刊本ブーム、文庫ブームで、こういう本はどんどん開発されて、わが“名著の復興”は開店休業のありさまであることを申しそえておく」とも書いている。それゆえに、続けられなかったことになろう。
小汀は『悪魔の詩』事件後の平成十一年に亡くなり、新泉社は存続しているけれど、経営者も代わり、小汀時代の全出版目録も出されていないので、ここにその一端でしかないが、
新泉社についての一文を記してみた。だが小汀が『出版戦争』を上梓してから四十年経つわけだが、それがまさに敗戦に終わってしまったことを実感してしまう。
また小汀とNR出版協同組合に関しても記録が必要と思われるが、近年風媒社の稲垣喜代志も鬼籍に入ってしまい、もはやそれも難しいかもしれない。
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