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古本夜話925 金子光晴『マレー蘭印紀行』

 前回の神原泰『蘭印の石油資源』にふれながら、タイトルのこともあり、絶えず想起されたのは金子光晴の『マレー蘭印紀行』だった。ただ私が読んでいるのは中公文庫版なので確認してみると、初版は昭和十五年十月に山雅房から刊行されていて、神原の著書とほぼ同時代に出されているとわかる。やはり昭和十年代後半は大東亜戦争と併走するように、蘭印も含めた東南アジアに関する多くの出版物が次々に企画され、本連載でもそれらを取り上げてきた。その時代ならでは著作や研究として刊行されたのであろう。金子の旅行記にしても、そうした一冊だったと考えられる。
マレー蘭印紀行(中公文庫版)

 それを物語るように、金子は「跋」において、「南洋の旅行記を山雅房の川内氏の好意で出版するはこびになった。/この旅行記は、もっと早く出版したかったのだが、都合が悪くて今日まで延びてしまった」と記している。それに加えて、私は『金子光晴』(新潮日本文学アルバム)で、山雅房の『マレー蘭印紀行』の書影を見ているけれど、山雅房のことや「川内氏」が川内敬五であること以外は、残念ながら何もつかめていない。

金子光晴  f:id:OdaMitsuo:20190614163847j:plain:h115(山雅房版)

 だがこの「南洋の旅行記」は、昭和三年から七年にかけての渡欧の途次に立ち寄ったシンガポール、マレー半島、ジャワ、スマトラなどの「熱帯地の陰暗な自然の寂莫が読者諸君に迫ること」を意図し、帰国後に徐々に書き継がれていたとされる。その事実を知ると、やはり内容が時期尚早で、その出版を受ける版元がなく、ようやくこの時代になって、山雅房が名乗りを上げたと見ていいように思われる。またこの旅は妻の森三千代を伴っての、金子の二回目の渡欧に他ならなかった。それにこの戦前における『マレー蘭印紀行』の上梓があったからこそ、戦後になってそれらをトータルに記録した自伝的小説ともいえる『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』(いずれも中公文庫)も書かれるに至ったのではないだろうか。 私も『どくろ杯』の上海滞在記を参照し、以前に拙稿「上海の内山書店」(『書店の近代』所収)を書いていることを付記しておこう。

どくろ杯  ねむれ巴里  西ひがし  書店の近代

 さてここで『マレー蘭印紀行』に戻ると、そこには前回の石油資源としての即物的な蘭印とはまったく異なる、金子のいうところの「熱帯地の陰暗な自然の寂莫」を孕んだ蘭印が十全に描かれている。そこからその特有の熱気と湿度に包まれた熱帯地の原色の色彩が迫ってくるし、それは金子が日本人としてはまさにアンリ・ミショーの『アジアにおける一野蛮人』(小海永二訳、弥生書房)ではないけれど、「東南アジアにおけるエイリアン」のような眼差しとポジションを有していたことを伝えているかのようだ。
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 それゆえに「熱帯地の陰暗な自然の寂莫」が浮かび上がってくるし、それは昼の世界と異なる熱帯地の闇の深さに他ならない。熱帯地の夜のジャングルとは、ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』(鼓直訳、水声社)のエピグラフに記したヘンリージェイムズの「人生のメタファーとしての狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く、騒然たる森」のようにして現れる。金子は書いている。
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 夜の密生林(ジャングル)を走る無数の流れ星。交わるヘッドライト。
 そいつは、眼なのだ。いきものたちが縦横無尽に餌食をあさる炬火(たいまつ)、二つずつ並んで疾走(はし)る飢渇の業火なのだ。
 双の火の距離、火皿の大小、光の射(や)の強弱、燃える色合いなどで、山に人たちは、およそ、その正体が、なにものなにかを判断する。ゴムの嫩葉(わかば)を摘みにくる麋、畑の果物をねらう貍(モサ)、鶏舎のまわりを終夜徘徊する山猫、人の足音をきいて鎌首をもたげるコブラ、野豚(バビ)、怖るべき豹、―それぞれに、あるものは螢光、あるものは黄燐、エメラルド、茶金色、等々。あやめもわからぬ深海のふかさから光物は現われ、右に、左に、方向をそらせて條光(しゆつこつ)と消える。(後略)
  
 窓の外は、どんよりとした闇空であるが、雨は一静雲落ちてこない。
 雨の樹(レイン・トリー)が、オラン・ウータンのように、毛むくじゃらな枝を、次から次へ、縦横にのばして、からみあっていた。その枝のあいだにのぞく闇が、毒血を吸込んだ蛭のように、まるくふくれかえっていた。

 このような夜の闇と動物たちのざわめき、風景描写を前にすると、高度成長期以前の田舎の闇の深さや森の不気味さを思い起こしてしまう。そういえば、二十年ほど前のことだったが、ロンドンで貿易商を営んでいる友人がベトナムに出張した際に手紙を寄越し、ここにはイギリスや日本で失われてしまった闇の暗さがまだ残っていると書いてきたことがあった。かつての日本の農村は街灯もなければ、人通りもなく、もちろん車も走っていなかった。だから星が見えなければ、夜は漆黒の闇に近かった。

 日本は熱帯地ではないけれど、『マレー蘭印紀行』は東南アジアの夜の風景や闇の深さが日本と地続きであることを示唆し、日本も紛れもない東南アジアの一画に位置していることを暗示しているかのようだ。それは大東亜共栄圏幻想を胚胎させたファクターでもあったかもしれないし、金子の後の『どくろ杯』に始まる三部作と異なる色彩を放つ描写を形成するものとならしめているのだろう。

 この『マレー蘭印紀行』に触発され、そこからの一節を添え、一冊の写真集が編まれている。それは横山良一の『アジア旅人』(情報センター出版局)、『金子光晴の旅』(平凡社)で、前者は熱帯地の明るさに注視し、それらを映し出しているといえよう。
アジア旅人 金子光晴の旅

 なお戦後の山雅房は神道書出版を主としているようだが、戦前と同一の版元であるのかは確認できていない。
 

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