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古本夜話934 モースの弟子たちと『民族』

 もう一編モースに関して続けてみる。山田吉彦は『太平洋民族の原始経済』の「後書」において、講義後のモースとの交流について、次のように書いている。

 火曜日には私はモース教授と同じ通りに住んでゐたので一緒に帰るように誘はれた。電車賃は何時もモース教授の厄介になつた。私が如何に払はうとしてもこれは絶対的に拒否された。ポルト・ドルレアンまでの電車の中では以前同教授のところで勉学した宇野、赤松、松本(信広)等の諸教授の近況をよく訊ねられた。宇野博士が宗教社会学を書かれたことを告げるとモース先生は“ははあ、先を越されたな”と髭の唇に微笑を浮かべられた。

 これには少しばかり注釈が必要であろう。山田が渡仏し、ソルボンヌ大学で社会学、民族学を専攻し、モースに師事したのは、昭和九年から十年にかけてである。それから考えると、「以前同教授のところで勉学した宇野、赤松、松本(信広)等」が留学したのは、モースが『社会学年報』を復刊し、民族学研究所を創設し、民族誌学の講義を始めた一九二五、六年=大正十四、昭和二年以後と見なせるだろう。ちなみに宇野は宇野円空、赤松は前回も挙げたシルヴァン・レヴィ『仏教人文主義』の日仏会館出版代表者の赤松秀景で、その理由は後述する。松本(信広)は松本信弘であることはいうまでもあるまい。これらのモースと日本人研究者の背景には柳田国男が大正十四年十一月に自ら命名し創刊した『民族』を置くことができよう。

 『民族』は人類学や民族学を志していた岡正男雄と柳田の出会いをきっかけとし、岡の友人、先輩の田辺寿利、石田幹之助、有賀喜左衛門、奥平武彦を含む六人が発起人、編集委員となってスタートした。石田は東洋史学者で、当時はモリソン文庫(東洋文庫)在籍、田辺は本連載929などで既述しているように社会学者、奥平はドイツ人文地理学専攻、有賀喜左衛門は後に農村社会学へと進んでいる。これらの様々な分野の若い人文学徒との結びつきは、柳田が『民族』に託した民俗、民族、人類、考古、言語、歴史、社会学といった広範な総合雑誌のイメージに起因しているのだろう。

 それは『民族』第一号に寄せられた「編輯者の一人より」の、次のような言葉にも表出している。これは無署名ながら、柳田によるものだ。

 「民族」と云ふ名称は、言はゞ記憶と会話の便の為に選定せられた標語である。我々は雑誌の編輯に由つて、民族に関する学問の範囲を限定せんとする野心を持たぬ。羅らば我々の事業の領域はどれ迄かと言ふと、是も亦追々に読者が之を決するであらうと思ふ。而して此雑誌が繁栄し且つ永続する間には、多数の力は自然に相作用して、真に何々学と名くべき大なる一体を作り上げることと信ずる。我々計画者の之を切望することは申す迄も無いが、読者諸君に取つても之は甚だ楽しみな未来であると言はねばならぬ。

 それは第一号の執筆者とテーマにも投影され、浜田耕作「石金両時代の過渡期の研究に就いて」、井波普猷「琉球語の母韻統計」、新城新蔵「十二支獣に就いて」、柳田国男「杖の成長した話」、鳥居龍蔵「太平洋諸島の巨石文化に就いて」がメイン論文として並んでいる。新城は重力や地磁気の研究から天文学に進み、後の京都帝大総長である。

 こちらに先の「編輯者の一人より」、リヴァース、岡正雄訳「民族学の目的」、奥平武彦「ラッツェル以後」、石田幹之助「書庫の一隅より」、有賀喜左衛門「浜田教授の『豊後磨崖石仏の研究』」といった編集委員たちの翻訳や論稿、書評が続いている。また「北方文明研究会の創立」「啓明会と南島研究」「おもろ草子の校訂刊行」などの告知、紹介記事も付され、それから「学友書信集」もあり、そこには「巴里(松本信広君)より『民族』同人へ」という便りの掲載もある。この信広君こそ、モースが山田に近況を訪ねた松本に他ならない。そこにはマルセル・グラネ、ペリオ、マスペロ、プシルスキイ、モースの消息や講義が語られ、本連載738のアンダーソンや、パリで日本学の代表であるエリセーエフと交流し、ロシア語を習っていることも述べられている。これに「倫敦の秋葉隆君より『民族』の一同人へ」も加えれば、このようなインターナショナルな状況の中で、『民族』が創刊されたことが自ずと伝わってくる。

 なお柳田と『民族』の関係については、柳田国男研究会編纂 『柳田国男伝』(三一書房)の第十章「日本民俗学の確立」において、「雑誌『民族』とその時代」で詳細にたどられている。また『民族』は昭和六十年に岩崎美術社から全冊、全七巻が復刻されているので、それを参照していることを付記しておく。

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