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古本夜話950 松山俊太郎『法華経』、プシルスキー『大女神』

 続けて一九三〇年前後のフランス民族学や社会学に大きな影響を与えたと推測される、トリックスター的な「パリのアメリカ人」であるW・B・シーブルックに言及してきた。

 本連載935の松本信広はシーブルックがパリに現われる前に帰国している。彼の「巴里より」に記されているように、二〇年代後半のフランス民族学はモースの未開宗教、ジュネップのフォークロア研究、グラネの極東宗教、マスペロの中国神話研究、プシルスキーのインド説話などの講座が設けられ、それらは日本の『民族』の動向とも通底するものだった。そのジュネップは本連載で後述するつもりだし、グラネは本連載579ですでに取り上げているので、ここではシーブルックというストレンジャーに続いて、まずプシルスキーのことを書いてみたい。それに彼は松本の博士論文の指導教授だった。
 
 ただこのジャン・プシルスキーは各種事典などに立項は見出せず、サブタイトルを「宗教の比較研究序説」とする『大女神』の翻訳も出されていない。十年近く前に安藤礼二たちによる翻訳刊行が予告されていたが、まだ現在でもその上梓を見ていないので、翻訳と膨大な「訳注」の困難さを想像してしまう。実は私もJean Przyluski. La Grande Déesse-introduction a l’ étude comparative des religions (Payot,1950) を所持しているのだが、貧しい語学力ではとても歯が立たず、収録された写真や図版を見ているだけで読みこめていない。それは前の所有者のフランス人も同様だったようで、二二〇ページのうちの一七ページまでしかペーパーナイフが入っていない。また『書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録』(国書刊行会)にも同書を確認できるし、書き込みもあるとのことだが、残念ながら参照はできない。

書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録

 そこでからめ手から手がかりがつかめないかと、アデル・ゲティ『女神』(田中雅一、田中紀子訳、「イメージの博物誌」30、平凡社)などを読んでみたが、プシルスキーと『大女神』に関しては何もふれられていなかった。
女神

 ところがその後、『Fukujin』(第15号、白夜書房、平成二十三年)が特集「松山俊太郎 世界文学としての法華経」を組み、松山と安藤の対談「世界文学としての法華経」でプシルスキーに詳しく言及し、また安藤は「女神の神話学ジャン・プシルスキー紹介」を寄せていた。管見の限り、プシルスキーについての初めてのまとまった言及であると思われるので、『法華経』には無知だけれども、それらを通じてプシルスキーと『大女神』のラフスケッチを試みてみたい。

Fukujin

 まずプシルスキーのプロフィルを提出しておく。彼は一八八五年生まれで四四年に没しているので、『大女神』は死後の刊行である。彼は高等研究実習院、及びコレージュ・ド・フランス教授として、モースの民族学、グラネの中国学と並び称せられる壮大な神話学理論を構想していた。その源泉となったのは本連載913のフレイザーの『金枝篇』で、それ以上に比較神話学の規模を拡大し、エジプト、メソポタミア、インドなどの神話にも注視した。インドに関してはヴェーダやウパンシャッドも含め、インド的神話宇宙の中心に自然を体現する「大女神」の力をすえる。

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 松山にとって、インドは様々な神話が重層したひとつの宇宙で、ユーラシア大陸の東西両端の神話をリンクさせるトポスである。それに対し、『法華経』のベースにはエジプトからペルシア(バビロニア)を経て、インドでひとつの完成に至る宇宙創生のドラマが秘められ、白い蓮華たる天空の太陽神「釈尊」と紅い蓮華たる大地の女神「多宝如来」が聖なる婚姻に至り、世界が再生される。人間の心の信仰の表出が宇宙を生成させる神話のメカニズムであり、『法華経』の中核にはそれが秘められている。それゆえに、松山にとっての『法華経』は芸術作品にして世界文学となるのである。

 プシルスキーの『大女神』読解が、導き出された『法華経』における神話論理の核心というべき「秘義」は、松山の言葉で語ってもらおう。安藤が松山の「ロータスの環」から引いている部分で、再引用する。

 この秘義こそ、エジプトの〈スイレンに坐する太陽神ホルス〉のモチーフが、メソポタミアにおける〈世界の中心の池の生命の樹〉や〈太陽を表象する大車輪〉のモチーフと複合し、インドの神話的諸伝承と合流した末に形成された、画期的な構図を開示するものだったのである。
 インドでは、〈太陽=白蓮華〉〈大車輪=大法輪〉〈太陽神ヴィシュヌと釈尊の近似〉〈ヴィシュヌと蓮女神ラクシユミーの対(夫婦)関係〉などの事実が認められていたから、〈天的な真理の啓示者・釈尊(日輪=白蓮)〉を〈地的な生産力の根源・大女神(紅蓮)〉が迎え承けるという、絶妙の構図が成立したのである。

 そしてこうした構図が、「法華経の一つのコア」である「見宝塔品の多宝如来と二仏並座を行う釈尊」へとリンクしていく。しかしプシルスキーはその根拠も出典もほとんど示さずに死んでしまったことが『大女神』の問題でもある。

 柳田国男が松本信広に、プシルスキーはフランスの折口信夫だと語っていたようだが、まさに二人は同時代を生きていたことになる。だがどうして『大女神』の翻訳は出されてこなかったのか。それは折口のフランス語訳が困難であることと共通しているのだろう。またプシルスキーの『大女神』にはミルチャ・エリアーデの原型的象徴的神話学と、ジョルジュ・デュメジルの実証的な印欧比較神話学も交響し、さらに言語学に基づいた実証主義、イメージの照応による象徴主義の混在が生じている。それにプシルスキーの神話学は旧石器時代まで遡る考古学的時空間の極限、ベルグソンなどの創造的進化論まで拡大されたことで、『大女神』が「世界と神話の起源へと向かう一冊の書物」と化してしまったことも、邦訳が実現しなかった理由のひとつでもあろう。

 だがそれでも翻訳は試みられたのであり、プシルスキー翻訳試史を記しておこう。松山は澁澤から『大女神』を貸与され、二、三十年前に翻訳しようとしたが、自分では面倒臭いので、知人に頼み、雑誌で五回ほど連載した。ところがほとんど使いものにならず、訳者を替えて、さらに試みるつもりでいた。また種村季弘も『大女神』をひとつの手がかりにして、象徴的な神話学体系を構築しようとしていたようだ。おそらく彼ら以外にも、『大女神』の翻訳は試みられていたのではないだろうか。

 だが安藤が語っているところによれば、サドの翻訳者である土屋和之との共訳で、ほぼ完璧な訳が仕上がったという。しかしそれからすでに十年ほどが経とうとしているが、先述したように、未だに刊行されていない。やはり翻訳と訳注が繰り返し手直しされ、難航していることをうかがわせている。早く出されることを願うばかりだ。松山の死によって、彼の訳による『法華経』を読むことは果されなかったからだ。

 なおその後、『Fukujin』(第18号、明月堂書店)で特集「追悼 松山俊太郎」が「年譜」も添え、編まれたことを付記しておく。本連載895でも既述したけれど、松山が入院したことで、三島の畑毛温泉をともにすることができず、本当に残念だったというしかない。

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