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古本夜話956 佐藤融吉、大西吉寿『生蕃伝説集』と杉田重蔵書店

 きだみのるは『道徳を否む者』の中で、台湾の町の印象に関して、「アルジェリア・モロッコに範を取ったと云われる台北の町は美しく、そして歩道は張り出した二階の下になって、日射が遮られていた」と記している。そして「植民地に漂う異種文化は少年の中にエキゾチスムに対する嗜好(グー)を芽生えさせた」とも。これがきだをして後にモロッコに赴かせ、トラピスト修道院へと向かわせる発端となったのだろう。

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 それらだけでなく、マルセル・モースのもとで民族学を学ぶことになった発端すらもうかがわれる。それは「生蕃」についての言及と会話に、その最初の痕跡が表出していよう。「少年」は台北一中に通う汽車の中で、「生蕃の一隊」を目撃する。「彼等は広い多彩の厚手の織物を纏い、腰に弦月形の蕃刀をつけていた」。「生蕃」は台湾の原住民で、日本の同化政策により、日本の国力を見学させるための旅行に駆り出されていたのである。「少年」は「痩せた生蕃の風貌を気味悪く眺め」、父のところに訪ねてくる警察の人が語る「蕃界勤務自体の挿話」を思い出す。それは次のようなものだ。

 生蕃の馘首は悪い気でするのではなかですたい。馘首してくると奴らは部落中で集まって儀式をして、口から酒をつぎ、首から流れでた奴を受けて皆で飲むですな。そしてその首にこんなことを云うですたい。「これでお前は俺らの仲間になった。おまえは仕合せ者だよ。おれらの天国に行けるようになったのだから」と。奴らは自分の部族のいるところが一番好え国だと思うとるですな。だから自分たちの行く国が一番上等の天国と思うとるですたい。愉快ですな。

 話はまだ続いていくのだが、これだけにとどめ、註釈は加えない。

 これは明治四十年代におけるきだの体験であるが、この時期から台湾総督府の蕃族調査会によって、大正時代に『蕃族調査報告書』『蕃族慣習調査報告書』(いずれも全八冊)として刊行される蕃族研究が始められていた。この両書が柳田国男の「山人」や折口信夫の「まれびと」の原初のイメージに影響を与えたこと、また蕃族の反乱としての霧社事件を映画化したウェイ・ダーション『セデック・パレ』などについて、拙稿「見てごらん/美しい虹の橋を/祖先の霊が私を呼んでいる」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)で既述しているので、よろしければ参照されたい。

f:id:OdaMitsuo:20190924141920j:plain:h115 f:id:OdaMitsuo:20190924141614j:plain:h115 セデック・バレ 郊外の果てへの旅(『郊外の果てへの旅/混住社会論』)

 だが大正時代に出された蕃族調査書はそれらだけでなく、やはり大正十二年に佐藤融吉、大西吉寿を著者とする『生蕃伝説集』が出されていたのである。佐山は拙稿で挙げておいたように、先の調査書の執筆メンバーの一人だった。この書名だけは本連載941の松本信広の『日本神話の研究』で目にしていたが、それが台北市の杉田重蔵書店からの刊行だとは認識していなかった。おそらくこの版元は台北市で書店を兼ねていたと思われるし、戦前における植民地や外地での出版の全貌はまだ明らかにされていないし、もはやそれらの書店や出版者の消滅と時代の風化もあり、全容をたどることは難しい。

f:id:OdaMitsuo:20190924112555j:plain(『生蕃伝説集』、大空社復刊)日本神話の研究

 私はまったく偶然に、菊判上製、七二八ページの『生蕃伝説集』を神保町の長島書店で見つけたのだが、これは台北市の南天書局による一九九六年の復刻版なのである。先の二つの調査書の台湾での復刻も仄聞していたけれど、こちらも同様だったとは知らずにいた。どのようにしてこの復刻版がその二十年後に神保町へと流れついたのだろうか。それもさることながら、実はそれを入手してしばらくして、古書目録の横浜の古書馬燈書房の欄で、『生蕃伝説集』の初版のカラー書影を見つけたのである。これは復刻版と異なり、函と本体が総木版画装で、その挿画を担当している盬月桃甫によるものだ。

f:id:OdaMitsuo:20190924145144j:plain:h120(『生蕃伝説集』)

 大西の「はしがき」を読むと、彼は台湾総督府における佐山の同僚だとわかる。大西も「北部蕃界の旅」を終え、佐山と「台湾で蕃界ほど愉快な処はない、蕃人ほど可愛いゝ人はない」と話が尽きず、「生蕃の伝説は実に世界のどの国の神話伝説よりも面白いと思ひ」、『生蕃伝説集』の企画が持ち上がったという。「凡例」によれば、同書は生蕃の説話を集め、それに平埔蕃と南島群島の伝説を加えたもので、生蕃説話の大半は佐山の『蕃族調査報告書』から引き、さらに類書を参照し、平地の蕃族である平埔蕃史料はそのほとんどを旧民政部嘱託伊能嘉矩の報告により、南洋類話はScott, Indo-Chinese mythology. 及びDixon,Oceanic mythology の抄訳だとされる。

Oceanic mythology (Oceanic mythology )

 そこで「南洋類話」を除き、それらの内容を挙げると、「創世神話」「蕃社口碑」「剏始原由」「天然伝説」「勇力才芸」「怪異奇蹟」「情事情話」の七つのセクションから構成され、それらの各章がさらにそれぞれの生蕃や事象ごとに分類され、項目でいえば、三百近くに及んでいることになる。例えば、『道徳を否む者』で語られていた「馘首」は「剏始原由」のところで、「馘首」として立項され、その歌や「馘首の由来」という挿画を添え、一二ページに及び、警察の人の証言を裏づけている。

 本連載でずっと『民族』にふれてきたが、その創刊は大正十四年十一月で、大西たちも『生蕃伝説集』を編むにあたって、日本における人類学や民族学の胎動を意識していたにちがいない。大西の「はしがき」にある「私共は此の小著を以て人類学や民族学までに大いに貢献しようなどゝ大それた望は毛頭持つてゐない」という言葉は、逆にそれらを意識していたことを問わず語りに伝えていよう。

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