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古本夜話966 萩原正徳、三元社、『旅と伝説』

 昭和十年に創刊された『民間伝承』を読んでいると、雑誌の紹介欄に多くの民俗学に関連するリトルマガジンの新しい号の概要が記され、これらのトータルなコラボレーションによって、日本の民俗学も造型、展開されてきたことを実感させる。

 その中に必ず『旅と伝説』があり、これも幸いにして、『民族』と同様に、やはり岩崎美術社から全巻が復刻されている。しかしこの雑誌はタイトルのことも作用してか、ほとんど言及されていないように思われるし、それらを象徴するかのように古書価も驚くほど安い。私にしても大部の全巻を浜松の時代舎で購入し、ほぼ目を通しているにもかかわらず、かつて拙稿「時代小説、探偵小説、民俗学」(「本を読む」⑦、論創社HP連載)でふれたにすぎない。

f:id:OdaMitsuo:20191105113704j:plain:h120『旅と伝説』(創刊号) f:id:OdaMitsuo:20191106214421j:plain:h120(岩崎美術社、復刻)

 だが本連載でも『民族』や『民間伝承』にも言及してきたし、同じく復刻版を所持している『旅と伝説』のことも書いておくべきだろう。それにこれだけ長く出され続けた民俗学絡みのリトルマガジンは他にないと思われるし、『柳田国男伝』においても、その要を得た紹介がなされているからだ。それを引いてみる。

 柳田の関係した雑誌で、『民族』とともに南島研究の興隆に大きな役割を果たしたのは、『旅と伝説』である。この雑誌は、東京の三元社から、昭和三年(一九二八)一月より昭和十九年一月までの間、毎号欠号なく発行され、この間各地から数多くの民俗資料や採集報告が寄せられた。柳田にとっては貴重な情報源の一つであった。
 南島研究の面からみたこの雑誌の特色は、奄美諸島に関する論稿が数多く発表されていることである。雑誌の編集発行に当った萩原正徳が奄美大島出身で、かなり意欲的な奄美出身の研究者と連絡をとり、研究発表の場として、この雑誌を活用したのである。
 奄美大島に関する研究は、この雑誌の刊行によって、ようやくその緒についた。昇曙夢(一八七八~一九五八、ロシア文学者)や岩倉一郎(一九〇〇~一九四三、昔話研究者)、金久正といった人びとが、『旅と伝説』によって活躍の場を得てから、奄美に関する研究は、南島研究全体のなかで然るべき位置を占めていくことになる。

 『旅と伝説』の復刻は一巻に半年分を収録した全三十二巻という大部のものだが、創刊の昭和三年一月号を繰ってみると、この雑誌が「伝説」を謳っているけれど、「旅」のほうの色彩が強く始まっている。確かに藤澤衛彦「雪ある山々の伝説」、昇曙夢「奄美大島に伝わる『あもれをなぐ』の伝説」は掲載されている。だが神社仏閣巡礼や温泉行楽、スキーやスケートなどに関する寄稿が多く、表紙裏の一ページ広告は「鉄道乗車券印刷」の国友鉄工場、同じく裏表紙は松屋呉服店で、旅行と行楽のイメージが強い。また長谷川伸の時代小説「心中破り」も見える。

 それにやはり奥付と広告から、京橋区尾張町の三元社が「写真と写真応用の製作と印刷」専門の三元社写真製作印刷所の出版部門だとわかる。これも口絵写真の神社仏閣諸国巡礼のグラフィックな旅行を想起させる。二月号は湖案内、梅見、温泉めぐり、四月号は桜名所案内がメイン、六月号は郷土玩具特集で、創刊から半年分の第一巻の復刻を見てみると、『旅と伝説』が当時の旅行ブームに合わせて創刊されたと考えていいだろう。

 それから昭和四年の第三、四巻を繰っていくと、三元社が本連載213の南蛮書房として、昇曙夢編『ソヴェートロシア漫画・ポスター集』、ピオントコフスキー、萩原厚生、伊藤好道訳『ソヴェート政権獲得史』、レーニン、廣畑貞吉、田畑三四郎訳『農村問題とマルクス批判家』などの左翼出版物を刊行しているとわかる。またその一方で、真澄遊覧記刊行会として、柳田国男校訂『来目路の橋』『伊那中路』『わがこゝろ』を出し、また『旅と伝説』寄稿者の茂野幽考『奄美群島とポリネシア南方文化の研究』の発売所ともなっている。

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 柳田が「木思石語」の連載を始めるのは昭和三年八月号からで、それに寄り添うように中山太郎、早川孝太郎、折口信夫などの寄稿もなされていく。ただ柳田にしても折口にしても、ダイレクトな「南島研究」は発表していない。確かに昇は創刊号から二回続けて奄美伝説に関する寄稿をしているが、それらを合わせても十二編で、南蛮書房との関係が深いように思われる。岩倉市郎は「南島研究」を十五編寄せているが、金久正は六編であり、彼らが「『旅と伝説』によって活躍の場を得て」、奄美研究が活発になったと判断できない。それに『旅と伝説』と三元社からは奄美研究も単行本として刊行されていない。

 『旅と伝説』の復刻は『民族』や『民間伝承』と異なり、別巻に「総目次 執筆者別索引 総索引」がまとめて収録され、その全容を俯瞰できる。その「執筆者索引」を追っていくと、本連載の関係者だけでも、同937の賀喜左衛門が四編、同82などの大槻憲二が三編、同55などの尾崎久弥が十二編、同747の喜田貞吉の五編、同777などの北野博美の三編、本連載で後述する栗山一夫の二十一編、同じく後藤興善十一編がただちに見つかる。それに先に挙げた長谷川伸の他に、井伏鱒二、平林たい子たちの小説、富田常雄の戯曲なども掲載されている。

 それゆえに『旅と伝説』は旅行をメインコンセプトとし、伝説や文芸を加えた雑誌として始まり、それに柳田が寄稿したことで民俗の色彩が加わり、執筆者やテーマも多様化していったと思われる。それに加えて、特筆すべきは十六年間にわたって毎月刊行されたことであり、そのために「柳田にとっては貴重な情報源の一つ」だったことになる。

 その編輯発行兼印刷人の萩原が昭和九年頃の木曜会の初期メンバーだったようで、『柳田国男伝』にその集合写真が掲載され、そこに萩原の姿も見える。おそらく『旅と伝説』を通じて木曜会に参加することになり、そのメンバーの寄稿を得ることになったのではないだろうか。また『柳田国男伝』は萩原が奄美大島出身と述べているが、それよりも確実なのは彼が編輯発行兼印刷人を名乗っていることからすれば、三元社写真製作印刷所の経営者、もしくはその身近な関係者ではないだろうか。それゆえに驚くほど長く『旅と伝説』を出し続けることができたのではないだろうか。


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